年寄り?

Dsc02370御遠忌に向けた修復もほぼ終了した当寺です。

右に下がっていた鐘楼も、しっかり水平になり、新しい瓦ですっかり新築のようにきれいです。

先日の内灘報恩講で、世話役のNさんと世間話をしていたところ、80代半ばの彼女が病院に行くと、周りでは「トシを取ると~~~」という話ばかりだとか。

そこでその人たちにトシを聞くとみんな70代だったそうで呆れたそうです。「アタシから見たらみんなまだネンネやわいね」と(笑)。

なんとなくわかります。ボクがお参りに言っているお宅でも、80~90代の方よりも60~70代の方のほうが、いかに自分はトシを取ってどうこうというお話をされますね。

年寄りぶりっこというわけではないでしょうが、どこか自分で自分を「年寄り」にしたがっているようにも見えます。

おそらくは、だいぶ以前に書いたSばぁちゃんの病院のハシゴと同じで、トシを取ったから、病気になったからもっと人に頼りたい、大事にされたい、つまり人恋しくなるということかもしれません。

人はどう意地を張ってみても、他人との関係性でしか自分の存在感を感じることができません。若く元気で仕事や家事、趣味などに夢中になっているときは紛らわせていても、それらから離れふと年齢を感じると急にその人恋しさが大きくなるということでしょうか?

そうでなくても、季節は秋とあってしんみりするものです。人恋しい自分を素直に受け入れ、そんな自分を見つめなおしましょう。阿弥陀さんとは、そんなすべての人々を耐えることなく等しく照らすために光り輝くお姿をされています。

その光に気づいたとき、その光に手を合わす私が本当に素の私です。

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生きる、そして死ぬ

Dsc02303明日は祖母の満中陰(49日)を迎えます。

いないんだな、という実感が少しづつ現実化してきた7週間でした。

7日ごとのお参りも家族で勤めてきました。亡くなって仏と成った祖母が、ボクも死ぬ身を生きていることを教えてくれている。一寸先は闇、そんな今を生かされてあることを教えてくれている。

そして、そんな教えを阿弥陀さんがその後光でもってボクに届け、今を精一杯生ききってくださいと願ってくださっている。

その教えと願いを受け取る形が合掌であり、応える形がお念仏です。

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50歳女性の死

Dsc02081南砺市のご門徒さんのIさんのご夫人が亡くなり、夕べのお通夜、本日のご葬儀を勤めてきました。

現役中学教師であった方とあって、お通夜には大勢の中学生たちが、ご葬儀には卒業生だという高校生等の青年たちが参列されていました。

ボクや役僧T氏も何度もお会いしており、その明るく丁寧で、ハツラツとした人柄に好感をもっていただけに本当に言葉もありませんでした。

彼女は50歳、15年前の乳ガンの転移だったとのことです。最後のその瞬間まで力強く生きようとがんばっていらっしゃったとIさんからお聞きし、余計にご遺影の笑顔を見ることが辛い思いでした。

ご葬儀を終え、お骨となった後の法要(中陰)の読経、そして蓮如さんの「白骨の御文」拝読。

聞きなれたこの御文ですが、「あした(朝)には紅顔あって、夕べ(夜)には白骨となれる身なり」という一節が沁みました。あらためて血の通った紅顔であるボクもあなたも、夜には白骨となるやもしれぬ今を生かされてあることを亡き方が仏となって教えてくださってあるのだと思い知らされます。

合掌

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今をいただくだけです

Dsc01915昨日は津幡のI家にて7回忌法要を勤めてきました。

そこで、I家のおばあちゃんにはひさぶりにお会いすることができました。以前は当寺の報恩講などに必ずご参詣されていたのですが、ご高齢のため年に一度のI家報恩講とご法事のときにしかお会いできません。

それでもお元気そうなお姿に安心し、法要を勤めました。そして法要後、コーヒーとI家名物(?)のシュークリームをいただきながらお話していると、「ただ、ただ、今をいただくだけの生活です」とおばあちゃんはおっしゃいました。

一寸先は闇、いつなんどきどうなるか何も決まっていない今を精一杯生ききる、それが阿弥陀さんの願い(本願)だとすれば、おばあちゃんは阿弥陀さんと真正面から向き合う生活をされているんだなぁと頭が下がりました。

合掌してどうなる? 念仏してどうなる? 阿弥陀さんてなんや? 合掌もせず、お念仏も口にせず、阿弥陀さんを見もしないでそんな疑問を投げかけてくる方が多いですが、朝な夕なに合掌し、お念仏を口にし、阿弥陀さんと向き合う生活をしてみましょう。

日々の月忌参り、ご法事、報恩講、さまざまなお宅を訪れますが、こういうおばあちゃんとのご縁をいただけることは大きな喜びであり、あらためて自分を見つめなおすことにつながります。

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あるじぃちゃんの戦争

Azia15先日、とあるご門徒宅の報恩講を勤め、お斎をいただきました。このお宅では毎年恒例で、夕方に勤めた後に酒肴をいただきます。

この家のじぃちゃんは呑んで話をするのが大好きなため、毎年いろんな会話をするのです。じぃちゃんは、朝な夕なに欠かさずお内仏に参り、正信偈を拝読する熱心な真宗門徒であり、ボクのような若造でも「権現さん」と言って敬ってくださるありがたいご門徒です。

呑んでの会話も世界平和を願い、どんどんおかしくなっていく日本を憂い、政治のあり方などにもしっかり筋の通ったご意見を持っているのですが…

戦争は罪悪であるという話には「もっともです!」と言うにも関わらず、そこからご自分の戦争体験に及ぶと「○○○やら、×××××(どちらも戦時敵国民への蔑称)やら、あんな連中はどうしても許せん!」と言い、拉致問題等の国に対しても「あんな国が存在しとってはいかん!」と激高します。

ボクは、それらの国の体制には問題はあるし、戦時中のいろいろにもいろんな見方ができるが、そんな国の国民ひとりひとりが必ずしも悪いわけではない、と言うと「いや! あんな国のやつらもみんな一蓮托生! すべて裁くべきです!」と手に負えなくなってきます。

どんな国に生まれても人は人であり、腹を割って話せばわかる場合もあり、そんな人も大勢いるでしょう? と言っても「あんな国の連中と話す気はございません!」と。

とくに共産国に対する憎悪にも似た嫌悪が強く、旧ソビエトや中国には蛇蝎のごとくの言い分です。それに反論しようものならボクまで「赤」呼ばわりする始末でした。

選ばず・嫌わず・見捨てずという阿弥陀さんに朝晩手を合わせている意味はなんでしょう? ともにこの世に生を受けた人間同士が選び合い、嫌い合い、見捨て合ってる私自身に気づかずにいるなら、阿弥陀さんの御光に照らされてあることを拒否しているのと同じでしょう?

と問うと、じぃちゃんは言葉に詰まりました。そして「わたしは…、親鸞さんのお心に少しでも近づきたいと思ってお参りしているんです」と小さな声で語りました。だったら、どこの国だろうと、肌に色がなんだろうと、人と人のご縁が開かれていくこと、御同朋として交わっていくことを嫌ってはいけないでしょう?

と言うと、「でも!……」とまた激高しかけて、しゅんとしてしまいました。ボクも途中でだいぶ荒い言葉も言ったことを詫び、これからもいっしょにお参りしましょうと言って帰ってきました。

このじぃちゃんは戦時中、主に中国大陸に従軍し、台湾で敗戦を迎えたらしいですが、国のためにと命をかけてその時代を生き抜いてこられたことでしょう。殺さなければ殺される、敵を人だと思っていては殺せない、殺して当たり前の連中だと思うことで闘い、生き抜いてきたのでしょう。

そんな命と青春をかけた時代をどうこう言われたくない、それは正しかったことでなければ自己消化できないのだと思います。

敗戦後、60年以上もたっているのに、ボクがそう思ってみてもじぃちゃんにはまだそれが続いているのです。戦争の犠牲者というと、戦死者、空襲や原爆の被害者などを連想しますが、戦争をし、生きて帰った人もまた犠牲者なんですね。

人の心に深く深く沁み込んで離れず、いつまでも戦争から開放されない、なんて辛いことだろうと痛ましい気持ちです。また、ケンカになるかもしれませんが、このじぃちゃんとはずっと付き合っていきたいです。

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親鸞聖人ご命日

Photo今日、11月28日は真宗の宗祖親鸞聖人のご命日です。

毎年11月21日~28日には、京都のご本山で報恩講が勤修されており、全国から大中小さまざまなバスや電車でご門徒が参集されます。

特にこの28日は御堂に入りきれないほどのご参詣があり、紅葉シーズンとあいまって京都は人でごった返していることでしょう。

この時期になるとボクも本山の職員(宗務役員といいます)をしていた頃の、この期間の忙しさを思い出します。

秋に各家や各寺で報恩講をお勤めするのも、親鸞聖人のご命日、そして本山の報恩講にちなんでいるわけですね。できればボクも毎年本山の報恩講をお参りしたいものですが、ご門徒宅報恩講ラッシュのこの時期、なかなか厳しいですねぇ(苦笑)。

まだ、本山の報恩講に会ったことのないご門徒方には、ぜひぜひ一度お参りしただきたいと思います。全国から参集されるご門徒さん方の熱いお念仏の声に触れてみてください。

<今週の予定>

11/29>終日~寺務

11/30>午前~月忌・11:00~寺にてM家1周忌法要・16:00~寺にてN家49日法要

12/1>休務日

12/2>午前~月忌・13:30~市内T地区報恩講9軒

12/3>午前~月忌・13:30~市内K地区Y地区報恩講4軒・夕方~月忌

12/4>午前~月忌・10:00~市内J地区N地区報恩講15軒

12/5>9:00~市内O地区報恩講7軒・午後~月忌

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親・子・孫に受け継ぐ姿勢

Dsc01839今日は市内のご門徒宅8軒で報恩講を勤めてきました。

その中のK家では、ボクが訪れるとお知らせしてあった14:00に息子さんのお嫁さんとそのお子さんが2人やってきました。

K家はじぃちゃんとばぁちゃんがふたり暮らしですが、クルマで5分ほどの場所に息子さん一家が住んでおり、そこには息子さん、その妻と3人の女の子(8歳、6歳、4歳)がいます。

今日はK家の報恩講だからと、お嫁さんは次女と三女を幼稚園から早引けさせてお参りさせようとやってきたのだと聞いて驚きました。

そして、正信偈を唱える間、じぃちゃん、ばぁちゃんといっしょに静かにお参りしていたのです。

お茶をいただきながらおしゃべりしていると、長女も小学校が終わればここへ来てお参りするのだといいます。

真宗門徒にとって報恩講は年間最大行事です。しかしながら、ここまで熱心に一家揃ってお参りしようという姿勢に感心しきりでした。思えば、このK家では毎年必ず可能な限り揃ってお参りされています。

ばぁちゃんは「ホンマによく出来た嫁さんで幸せやぁ」と笑顔で言っていました。このお嫁さんの表情や言動から、「しなければならない」という義務感はなく、「するべきもの」というその家の人間として当たり前だという姿勢を感じました。

「若いもんは仏壇なんか見向きもせんわ」と、さもそれが時代の流れだからしょうがないということを言う方は多いですが、若くてもこういう女性がいるということは、時代がどうであろうと守るべきものを大切にしようという強さを感じます。

この家で育った息子さんも、土日など仕事が休みであればお参りされますし、そうでなくても実家へ来れば必ずお内仏に手を合わすということです。

こういう姿勢こそが、お内仏を中心とした本来の真宗門徒の生活なんだなぁとボクもうれしくなりました。

じぃちゃん、ばぁちゃん、つまり両親のお参りする姿を見て育った息子さんと、きっと同じような家庭で育ったであろうお嫁さん、そしてそのふたりの姿勢を見て育っている3人もお嬢ちゃんたちも親、祖父母のような大人になっていくのだろうなぁと想像します。

時代の流れを是とし流されていくことほど楽なものはありません。でも、ご先祖代々受け継いできた大切なものを受け継いでいく姿勢こそが、本当の意味でご先祖を大事にするということなんではないでしょうか? それは、お墓の前に何千回お供えをすることよりも気高いことだと思います。

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普段着と正装

Dsc00802ご門徒宅での報恩講も100軒を越え、ようやく半分近くというところです。

真宗門徒の報恩講は、よく「ほんこさん」と呼ばれる秋から冬の風物詩ですが、各家では我が家の報恩講を迎える前に仏具をピカピカに磨き、お内仏を清掃し、内敷をかけ、松花やお華束(おけそく=お供えのお餅)を注文します。

しかし、昨今ではそういった家庭も少しづつ減少し、報恩講に赤いおロウソクを灯すことも「なぜ?」と問われます。

毎日のお参りや月命日のお参り、つまり普段は白いおロウソクを灯す家が多いのですが、本来はそういった普段のお参りでおロウソクは灯しません。

でも、それはそれとして、それを普段着と例えるなら、報恩講や年忌法要、またお正月やお盆は正装といえます。

普段のお参りも大切ですが、報恩講などは正装で迎える仏事ということです。

当寺では、修正会やその年の初参り時に赤いおロウソクをお配りしていますが、その使い方がわからずお内仏に山積みになっているお宅もあります。ぜひ、正装してお参りする時にお使いください。

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報恩講のご案内

Dsc00351報恩講とは、真宗の宗祖・親鸞聖人のご命日である11月28日に、その恩徳を偲び、お念仏の教えを相続する私自身を見つめなおすご縁のことです。

京都のご本山では、11月21日~28日に報恩講がつとまり、全国のご門徒が期間中に数万人ご参詣されます。

本来は、そのご本山の報恩講までに各寺、各家の報恩講をつとめて京都へ上がったそうですが、農村などでは農閑期に入る12月につとめたりします。

当寺では、毎年10月29日~30日に報恩講をお勤めします。ここ数日の間は寺中の大掃除、今日は御堂の荘厳をしました。

明日も諸準備をし、あとは皆さんをお迎えするだけとなります。ぜひご参詣ください。

<善福寺・報恩講>

10/29>午後1時半~お逮夜のおつとめ・2時半~お説教(鳥越智慶さん)・3時半~御伝鈔拝読(抜粋)

10/30>午前10時半~結願日中のおつとめ・正午~お斎(おとき=昼食)・午後1時~門徒報恩講(正信偈同朋唱和)・1時半~ご講話(平等明信さん)

※両日とも若院得度報告いたします。

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おみがき

Dsc00605ひさびさの雨です。

でも、例年に比べて暖かい、いや昼間は暑いくらいだったりしますね。

さて、連日の報恩講参りを続けていますが、ピカピカに磨かれた仏具で報恩講を迎えるお宅にお邪魔すると、なんだかうれしくなりますね。

最近はその数も減少ぎみではありますが、年に1度の報恩講を大切にお迎えする心というものがそこにはあります。

当寺では、報恩講前の26日、午後2時よりおみがきをいたします。ついては、ご奉仕くださる方をあと若干名募集していますので、体験してみたいという方はぜひご一報ください。

<今週の予定>

10/25>9:30~K家報恩講・10:00~T家報恩講・11:00~N家にて1周忌兼3回忌法要・午後~月忌・15:00~声明練習

10/26>10:00~T家報恩講・10:30~Y家報恩講・11:00~M家報恩講・11:30~O家報恩講・13:30~T家報恩講・月忌

10/27>午前~月忌・10:00~Z寺報恩講参勤・11:00~Y家報恩講・午後~御堂荘厳

10/28>午前~月忌・9:30~K家報恩講・10:00~U家報恩講・10:30~M家報恩講・午後~報恩講諸準備

10/29・30>善福寺報恩講(右サイドバー参照)

10/31>あとかたづけ

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