« 故人の存在 | トップページ | 楽したいという思い »

死語ではない「村八分」

この時期にしては比較的温暖な日々です。


22894488_1485831018161174_549608465
今日も日中は20度ほどあり過ごしやすかったです。

さて、テレビやネットのニュースをみていると、信じられないような事柄があり驚くことが多いですが、「村八分」という言葉を耳にして、まず「今どき?」と思いました。

過疎化した町村などへ、Uターン、あるいは都会から移住した人への嫌がらせなどが意外なほど多くあるそうです。

その土地に根付く習慣や常識は多々あると思いますが、それに馴染む馴染まないということはあろうと思います。

しかし、悪しき習慣や常識も多くあるようで、新参者には不公平にしか見えないこともあるそうです。

深刻な過疎化、住人が増えることはありがたいことなはずです。

にもかかわらず、排他的になってします構造的な問題ですね。

似たようなケース、お寺の世界にもあります。

後継者のいないお寺に、いわゆる婿養子に入り、子ができたとたんに半ば追い出されるように離婚させられたとか。

本来ありがたい話なのに、排他的になる、とても身勝手な話ではありませんか?

習慣や常識、本質を守ることは大切ですが、時代や生活リズムなどさまざまな流れの中で変革していくこと柔軟性は必要ではないですか?

お互いの疑問を持ち寄って新たな形を構築していく、そんな風になっていただきたいものです。

合掌

�l�C�u���O�����L���O�y�u���O�̓a���z �ɂق��u���O�� �N�w�u���O�� �ɂق��u���O�� �N�w�E�v�z�u���O ���y�^�@�� �ɂق��u���O�� �I���W���L�u���O�� �u���O�����L���O�E�ɂق��u���O���� �ɂق��u���O�� �N�w�u���O ������ �ɂق��u���O�� �o�C�N�u���O��

|

« 故人の存在 | トップページ | 楽したいという思い »

多事想論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 故人の存在 | トップページ | 楽したいという思い »