真宗門徒にとって報恩講は年に1度の大事な仏縁であり、代々受け継がれてきた仏事です。
それが希薄になっていくケースもあれば、逆にまだまだしっかり受け継がれるケースもあります。
今日、報恩講をお勤めしたある年配夫妻のお宅にお邪魔すると、市内に住む娘さんとお孫さん(男性)が来ていました。
聞けば、報恩講を前にお内仏の仏具おみがきを手伝ってくれ、今日はお休みだったのでお参りもしたいと来てくれたとのこと。
大学を卒業したばかりというお孫さんが興味をもってくれていることが嬉しいですね。
それはひとえに、その家では今でもしっかり受け継がれてきた仏事が相続されているということです。
お勤めをし、報恩講の意味や仏具のことをお話させていただき、彼もまたいろいろしゃべってくれました。
祖父母がお参りする姿を見て子が育ち、その子がお参りする姿を見て孫が育つ、そんな真宗の風景がそこありました。
たまに「若いもんはお参りせん」という方がいますが、それはそう言っているご自分がお参りしていないからです。
その姿を見せている家だと、仮に若いときに関心がなかったとしても、遅くとも祖父母や両親が亡くなった後にはお参りするようになるものです。
なぜか年配男性に多く見られますが、好んで「時代が変わったから」と言う方がいますが、古きものすべてが悪しきものなら、それを大事にしてきたご先祖お心も悪しきものですか? と問いたいです。
受け継がれてきた歴史、意義、人々の心を大事にいただく報恩講をお勤めし続けていきたいものです。
合掌
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