今日の午後、寺報の発送作業をしました。
郵送分は明日、もしくは明後日にはお手元に届くかと思います。
ボクや役僧T氏が手配りしているお宅は、今日から3~4日くらいの内にはと思っています。
さて、マナーのお話の続き。
当寺のご門徒は、富山県の砺波市や南砺市にもあり、お弔いをお勤めさせていただくと金沢との違いに気づくことが多々あります。
これはお弔いだけでなく、ご法事でもそうですが、総じて富山の方々はとても丁寧で、金沢は簡略化というか、おざなりになっていることが多いかと。
たとえば、お通夜やご葬儀の際、ボクや役僧T氏の退出時に横を通ると皆さん会釈をしてくださいますが、金沢ではほぼ見られなくなりました。
これは、坊さんが偉いからということではなく、ボクらが身にまとっている法衣は仏法を表現したものであるからです。
そして、お通夜、ご葬儀の式次第を終えてボクらが控室に下がると、すぐに喪主さんが後から控室に御礼のご挨拶に見えます。
むろん、式の最中にしゃべるような不心得者はおりません。
金沢では、年々こういう丁寧さが退化し、絶滅間近と言ってよいと思います。
ご葬儀で、自分のお焼香を終えた方々がしゃべるのはもはや日常化しつつあり、また、ちょっと前のお通夜でも・・・。
そのときは、前3列ほどが60~70前後くらいの男性で占められていました。
読経後にボクがお話させていただいているときに、見るともなしに見ていると、背もたれに大きく寄りかかる方、中には足や腕を組む方、あからさまに「早く終われ」という顔の方などなど。
ボクの話がつまらないのは反省いたします。
しかし、後部座席にはうなずきながら熱心に聴聞されている方も少なくなかったのになぁ、と。
そして、お話を終えてお仏前で合掌し、喪主席に一礼し退出しようとすると、前3列のおじさん方は横と、中には後ろを向いてしゃべり始めていました。
仮にボクに至らない点があったとしても、喪主さんはじめご遺族の方々の心情に想いを馳せるなら、こんな行為はできないはずです。
「礼を尽くす」、あるいは「場をわきまえる」ということを忘れすぎてませんか?
何をしにここに来たのですか?
と、問うてみたいものです。
ちなみにこの夜は、故人の一番下のお子さんの同級生であろうと思われる多くの高校生たちが参列していました。
若い彼らは静かに手を合わせ、ボクの話にもちゃんと耳を傾けてくれていましたよ。
本当に、最近よく見聞きする年配層の無軌道ぶりには辟易いたします。
「今どきの若いもんは」などと言うなら、子どもや若者のお手本となるべきちゃんとした大人であってください。
お願いします。
合掌
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