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芸術家は死して作品を残す

ここ数年、内外の大物ミュージシャンや俳優さんなどの訃報が続いているような気がします。


先月亡くなったロック・アーティスト、デヴィッド・ボウイさんの特集番組を録画していて、ようやく見終えました。

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日本では歌手、バンドやグループを総じてアーティスト(=芸術家)と呼ぶ傾向にありますが、そのすべてが自分を自己プロデュース(=企画、立案、実施)し、パフォーマンス(=表現)できているかどうかは疑問です。

失礼ながら、予め敷かれたレール、つまり他人のプロデュースによって、決められたパフォーマンスをこなしている方も多いように見受けます。

デヴィッドさんは、常にその時代を読み、その時代に自分を乗せていかに表現するか、さらにはそこから新たな音や表現を創造していけるかを常に考え、想像し、苦悩していた、まさにアーティストであったと思います。

その中から「ボクは、ロックを利用しているんだ」と、誤解を招きかねない名言を発しています。

後年、同じくイギリスのロック・アーティスト、デヴィッド・シルヴィアンは「ロックの概念は、聴く者の感性に委ねられている」という名言を発していますが、芸術とは「こうだ!」という決められたものでなく、どう創造していくか、そしてそれを受ける側がどう受け取るかというキャッチボールのようなものであろうと。

デヴィッド・ボウイにとって、自分の生き方を表現する手段がたまたまロックという媒体だったということかと思います。

私たちも、そのたまたま目の前にある手段、つまりご縁あった仕事や学業や環境を利用し、自分の生き方をプロデュースし、パフォーマンスしいるのだと思います。

デヴィッドの作品は永遠に残ります。

私たちの生きた証(作品)も、デヴィッドのように世界的でなくとも、残る所、残る人にはちゃんと残っていきます。

それは、ボクやあなたが日常生活上で、いかに自己プロデュースしパフォーマンスするかにかかっているのではないかと思います。

デヴィッド・ボウイさんに捧ぐ。

合掌

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