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8月に想う(3)

夏と言えば、花火でしょうか。

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大きく花を咲かせ、そして消えてゆく。

桜の花と同じで、どこか物悲しさを感じるのは、日本人ならでは感性でしょうか。

70年前に終わった戦争で散った、たくさんの命を想うがゆえ、8月の花火はより切なさを感じるのかもしれません。

先月、こんな本を読みました。


あの戦争を想い、考えるうえで「満州」という存在はけしてはずすことはできません。

この本は、日本にとっての「満州」と、そして日本人と国の本質的な部分を解き明かしてくれます。

たとえば、天皇と他国の王との決定的な違いについて。

一般的な王国とは、「民を守るために軍隊がある。その軍を統率するために王がいる」 と。

日本帝国は、「王(天皇)を守るために軍隊がある。その軍隊を守るために民がいる」と、真逆であったと記されています。

そういわれると、なるほど、と思います。

どこの戦場でも、置き去りにされ、情報を途絶され、集団自決を強いられた国民たちの存在がそれを物語っています。

ただ、ポツダム宣言受諾に当たってのやり取りの中で、国体護持しか頭にない政治家や軍人たちに対して、天皇だけが「国民を助けたい」と願ったように、この国の構造はけして天皇ご自身の本意ではなかったであろうと思います。

たとえば安保法案にたいしてのデモや抗議活動にたいして、いまだに「お上に逆らうのか?」的に、サヨクのアカのとレッテル貼りをし続けるこの国の本質は変わってないのかもしれません。  

自分ほもちろんですが、子や孫の時代に不安を感じて声を上げることが民の精一杯の国を想う気持ちの表れであるとも思えます。

「戦争は嫌だ」という想いを利己的であるとか、滅私奉公が美しい日本精神だとか、勘違いも甚だしいと言わざるを得ません。

当然のことですが、国も国体も、民あって初めて成り立っています。

戦争の犠牲となった無数の民はもちろん、多くの戦死者の想いとは、自分たちを美化することではなく、「二度と自分たちのような戦争犠牲者の出ない国づくり」というものであろうと思います。

合掌

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