今日、今年初のご葬儀をお勤めいたしました。
日々、さまざまなご縁をいただきながら生かされてある命に思いを馳せます。
中東では、拘束された人々の身が案じられたまま時間が過ぎています。
無事の帰国を願わずにはおれません。
しかし。
この事件発生から、ツイッターなどを読んでおりますと、なんとも言いようのない発言も多々見受けます。
危険な地で報道をしてくださる方がいて、自分も暮らすこの地球上で何が起こっているかを知ることができ、いろいろなことを考えさせられます。
その方が拘束されている事実に・・・
「国民の大多数は誰もその情報を欲してはない、と開き直りたくなる。恩着せがましい物言い」
という書き込みがありました。
とても情けない思いがします。
言いたくはないですが、島国根性丸出しのアジアの田舎者としか言いようがありません。
どうでもよい? 他人事ですか?
それなら、一切ニュースも見なさんな、と言いたくなります。
数年前にあった拘束事件時に、ときの総理大臣が「自己責任」という発言をして以来、やたらとこういう風潮が目につくようになりました。
自己責任、なんとも冷たい言葉だと思います。
人の為と書いて「偽」という言葉になりますが、それは巡り巡って自分の為であり、無関係と思われてもどこかで皆が繋がっているということです。
もっと想像力を駆使し、自分や自分の国を客観視して思考しましょう。
短絡的な言動は、自分の為にも国の為にもなりえません。
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
宮沢賢治さんのこの言葉、今一度じっくり噛みしめたい思いです。
合掌
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