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他力と自力~ひとつのたとえ

8月のお盆も終了し、ようやく平常=ふだんの生活が戻ってきました。

ボクには、お盆休みなどはありませんが、皆さんは帰省したり行楽地に出かけたりと、楽しまれたとともに非日常の疲れを感じてる頃かもしれませんね。

金沢にはお盆の棚経の習慣がなく、お盆そのものも7月なのでそれほど多忙ではありませんが、県外ナンバーで渋滞する街中での移動にはいつも辟易させられます(苦笑)。

今日と明日、ご門徒宅報恩講を砺波市と南砺市でお勤めし、長い秋の始まりともいえます。

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ところで、皆さんはお墓参りなどされましたか?

お墓参りによくある光景ですが、おロウソクに火を灯すことにこだわる方、特に男性に多いようですが、いますよね。

先月、当寺の墓所に来られた方々の中にも多くいらっしゃいました。

風が吹けば、火は消えるものです。

でも、消えては点けるの繰り返しをされます。

この行為は他力と自力のたとえともなるんですよ。

風が吹けば火は消えるという自然の摂理が他力で、それに逆らってあくまで火を点けようという執着心が自力なんですね。

人が生きるということも、これと同じです。

執着心に固執するがゆえに、わが身そのものが自然に生かされてある存在であることが見えず、自力でもって生き、今の自分を形成したと錯覚し傲慢にさえなります。

生まれたことも、生きることもすべては執着心とはかけ離れたご縁でもって成り立っているにも関わらず、それに気づかず、自力を行使し続ける生き方は、まさに風の吹く中で火を点け続けることと同じです。

その他力に身を任せ生かされてきたわが身を自覚して、はじめて自力も意味を持ってくるのではありませんか?

執着心あるがゆえに人は愚かである、と。

愚かである私が生かされてあり、喜怒哀楽を行使できているんですね。

その自覚と感謝の言葉が南無阿弥陀仏です。

おロウソクに火を灯すことよりも、しっかりお念仏申すお参りをすることが肝要かと思います。

合掌

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