朝晩は涼しく、日中は暑い、ここ数日そんな日が続いています。
そんな今日は、燕の巣を見かけ、ヒナたちが親の帰りをまっている姿に思わず笑みがもれました。
先日、親鸞聖人の歎異抄の有名な「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」がわからん、という方とお話してました。
そもそも、悪人とは何か? ですが、悪人と聞いて普通イメージするのは殺人や強盗などのいわゆる犯罪者のうような感じでしょうか。
そのイメージならわからなくなっても仕方がないのです。
だから、あなたも私も悪人なんですよ、と言われると冗談じゃないと拒絶してしまうんですね。
では、善人とは? ということですが、実は悪人よりたちが悪いのが善人です。
人は基本的に悪人であって、その自覚のない人が善人なのです。
悪人=罪深い人。
罪=執着心にがんじがらめになり、他人を傷つけ、貶めること。さらには、命を奪って生きながらえていること。
つまり、自分はいつも正しいところにいて、他を批判し排除していることありませんか?
毎日3回の食事で、生きるために命あった動植物を殺していますよね?
そんなもん当たり前だ!
そうおっしゃるならそれが善人なんです。
むろん、食べなければ死んでしまうので食事はしなければなりません。でも、それを当然と思う人=善人、感謝してせめて残さず食べてあげようと思う人=悪人ということです。
一般的な善人悪人とは逆と言ってよいかもしれませんね。
そんな罪深い私を自覚する言葉が南無阿弥陀仏です。罪深いが、いただいた命ある限り精一杯大事に生きてることが、食した命を無駄にしない生き方です。
お食事の前に「いただきます」というのは、「(命を)いただきます(ありがとうございます)」ということです。
いただいた命を大事に生きるとは、等しく命を大事に生きる隣人とのご縁を大事にすることでもあります。
善人と悪人、皆さんもじっくり自問自答してみていただきたいなと思います。
合掌
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