8月も半ばに差し掛かろうとしています。
来たる15日は、68年前に敗戦が決定された日です。
終戦ではなく、敗戦です。
6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が投下され、同日ソビエト連邦(現ロシア)が参戦し、にっちもさっちも行かず、15日にアメリカ、イギリス、中国、ソ連など連合国に無条件降伏勧告(ポツダム宣言)を受諾を打診しました。
あの戦争が正しかったかなかったか等の議論がいまだに盛んですが、真宗には日中戦争時より「戦争は罪悪である」と批判し続けた竹中彰元師という大先達がいらっしゃいます。
人が人を殺すことは罪悪であり、それを国ぐるみで組織的に行い、そして賞賛されることは異常であり、その行為は罪悪です。
戦争によって命を落としたすべての人はもちろん、戦場に駆り立てられ殺さなければ自分が殺される異常事態に身を置かざるを得なかった兵士たちもまた犠牲者です。
そして、原爆という非人道的の極みと言える兵器を使用した国も、そこまで追い詰められながら降伏しなかった国も、ともに罪深いと思います。
そして、犠牲者の多くは、戦争さえなければ平穏な日常生活を過ごしていたであろう一般市民の方々です。
ボクたちが常に意識し、考え続けなければいけないと思うのは、そんな戦争をしないこと、為政者が戦争の方向へ向かうことを許さず、支持せずに平和を堅持することでしょう。
それが、すべての戦争犠牲者にたいする戦後世代のボクたちにできる戦争責任を背負うということだと思います。
生かされてあり、等しい重さを持つ命と命が、おたがいに消し合うようなことをしない、してはいけない、させてはいけない、そうあらためて強く思う、それが8月という月ではなかろうか、そう思う次第です。
合掌
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