風はさわやかながら、日に日に日差しが強くなり、このままでは夏が思いやられるなぁと思う、暑さに弱いボクです。
平日の法務は月忌参りがメインですが、さまざまなお宅にお邪魔します。
金沢郊外の農村では、この大きさのお内仏(=お仏壇)が普通サイズです。
真宗と農村とが、長い長い密接な関係を築いてきた証ですね。
10年ほど前まで、農村ではお留守でも鍵があいていて、ボクらは勝手に入ってお参りをして、お内仏に置いてあるお布施をいただいて帰っていることも多かったのですが、最近はそういうこともほとんどなくなりました。
鍵の隠し場所を聞いているお宅もありますが、何かあったときに真っ先に疑われそうで怖いです(苦笑)。
あと、最近はお年寄りがデイサービスに行くことも多くなり、月忌参りの日によっては夕方にと頼まれることもおおくなりました。
いろいろなことが変化しますが、お参りをするお心があっての変化ならできる限り対応していきたいと思います。
合掌
コメント
母の命日です。過去記事時読んでいます。膨大です。2006年6月26日_生きて残された我々が仏さんの教え、一寸先は闇、一寸先にはわが身の死というご縁をいただくかもしれない「今」を生かされてあるんですよ、ということに気づいていく・・・今日はじっくり味わいます。 生かされて「いる」ではなく「ある」なんですか。
投稿: もなか | 2013年5月16日 (木) 13時08分
生かされてあるの「ある」は、在るということだと思っています。
存在させていただいていると。
ご母堂のご命日に。合掌。
投稿: Kei@住職 | 2013年5月16日 (木) 20時51分
ありがとうございます。
生かされてあると言ってみましたら他力を感じました。安堵というか絶対的な安心。間違ってたらご指導お願いします。
投稿: もなか | 2013年5月16日 (木) 21時21分
それで良いとおもいます。
たしかに「在る」というと、自力でなく他力のおかげさんでという響きが伴いますね。こちらこそ気づかさせていただきました。ありがとうございます。
投稿: Kei@住職 | 2013年5月17日 (金) 19時45分