温暖ながら、やや曇り空のお彼岸の中日、恒例の春彼岸会をお勤めいたしました。
昨年亡くなられた当寺ご門徒物故者追徴会もかねての法要です。
およそ20名ほどのご参詣をいただき、お勤めと住職感話。
人に寄り添うということ、いずれ行かねばならぬ彼岸を思い、此岸で今をともに生きる御同朋、御同行である私たち、そんなお話をさせていただきました。
熱心にうなずいきながら聞いていただき、ボクの方がありがたい気持ちでいっぱいとなりました。
昨日までの3日間、南砺市のご門徒宅への報恩講をお勤めし、今日の彼岸会をお迎えし、やや疲労気味ですが、おかげさんで心地よい疲労感です。
合掌

コメント
「此岸」と「彼岸」…私たちのように浄土真宗を信仰する者にとっては,「彼岸」とは「西方浄土」を意味しているのでしょう。(!?)
人間は,いづれはちゃんと死ぬんだと,時々思っている方がなんかいいような気がしてきました。
私は,昨年,四捨五入したら50歳になりました。
「敦盛」の「人間50年 化天のうちを比ぶれば…」を思い出します。
投稿: 鹿児島のタク | 2013年3月21日 (木) 18時56分
タクさん、こんばんは。
彼岸=お浄土ですね。
一寸先は闇。一寸先に自身の死というご縁をいただくかもしれない「今」を生かされてあるということだと了解しています。でも、日常生活の中でそれをすぐ忘れてしまうから、朝な夕なに亡き方をご縁にして阿弥陀さんに手を合わせるんですよね。
四捨五入で50歳? あら、ボクもすでにそうですよ(笑)。同年代だったんですねぇ♪
投稿: Kei@住職 | 2013年3月22日 (金) 00時06分
「自分の死」も,ご縁ととらえる。…ある種の謙虚さ…大切にしたいです。
どうもありがとうございました。
投稿: 鹿児島のタク | 2013年3月22日 (金) 06時46分