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合理主義と合理主義的の違い

三寒四温というのでしょうか?

ぼつぼつと温暖な日が混じるようになってきました。

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ある日、月忌参りの途中、当寺創建の地であるつつじが丘(創建時は大桑村の一部)から現大桑町へ降りていく道を通り写真を1枚。

ボクのご先祖も、この道を通ってお参りに回ったであろうと想像します。

もちろん、クルマはなく徒歩であり、今よりもずっと雪も多かったであろうと。

思えば便利になりました。

でも、そのぶん何でも簡略化され、ものごとの重みやありがたみも希薄化しました。

こんな言葉があります。

人間が合理主義を尊ぶことと

人間が合理主義的であることとは

無関係である

(湯川秀樹)

人間はとかく合理主義をありがたがり、それがさも正義のように思い、振る舞いがちですもの。

より良い暮らし、より便利な生活を求めつづけることも必然ですが、その代償の大きさを過小評価しすぎているように思います。

人の心は合理的にはできていませんし、また、そうはなれません。なったとすれ
ば、それは機械化した心かもしれませんね。

合掌。

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刻みたい言葉」カテゴリの記事

コメント

湯川博士の「合理主義」の言葉,深い言葉だと思います。でも,ちょっと難しいです。でも,ここでは,難しくとらえる必要はないですね。

「合理主義」…合理的な考え方…「科学」を支えているのは,間違いなくこの「合理主義」ですから…。科学はどこまでも発展し,この世から“不幸”というものを減らし,病気さえも克服し,・・・「宗教」なんて,この世からなくなるのでは,とさえ思っていた時期もありました。
「神は死んだ!」ずいぶん前に,高校生の時の社会科(倫理)の時間の言葉です!

でも,この時代にこの年齢まで生きると,実は逆なのではないかと思っています。
最近,やっぱり,科学(合理主義)が進めば進むほど,人間は精神的なよりどころ…その大きな一つが「宗教」を欲していくのではないかと思います。これは自分自身がそうだから,単にそう言っているのですが…。

(おまけ)「合理主義」の対義語は「精神主義」でしょうか。
この「精神主義」との付き合い方を人間が誤ると,また,たいへんなことが起きますから…難しいですね。

投稿: 鹿児島のタク | 2013年3月 9日 (土) 07時21分

タクさん、こんにちは!

「科学はどこまでも発展し,この世から“不幸”というものを減らし,病気さえも克服し,・・・「宗教」なんて,この世からなくなるのでは,とさえ思っていた時期もありました」

こういう考え、なぜか年配男性にとても多く見受けられますね。タクさんのように、そこに疑問を感じる方は少ないかもしれません。

年配の方は、不便で貧しい時代をご存じなぶん、今の物質的繁栄や合理的な利便社会を肯定しやすく、逆に若い方は生まれたときから便利で合理的な環境にいるので、疑問も感じやすいのかとも思います。

親鸞さんの生きた750年前の人も、今の人も悩みや苦悩にそう大きな違いはないと思います。もし、まったくの別物化していれば親鸞さんの教えも仏教そのものも現在はなくなっていたでしょうから。

合理主義の反対語は観念主義でしょうか?

投稿: Kei@住職 | 2013年3月 9日 (土) 13時31分

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