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「今、ここ」を生きる

インドア派のボクは、ツイッターやフェイスブックでの会話を楽しんでいますが、皆さんいろいろな思いを語り、表現してくださいます。


ただ、批判と文句は違うと思うことなども多々ありますし、ボク自身もそんな書き込みをしている場合があったりして反省することも。

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今、ここ(自分の居場所)で起こったことや思ったことを表現することは大事なことであり、今、ここで生きる我が身の認識なしに何も言えないとも思います。

私は、今ここに在る。

その自覚があって、初めて過去や未来、あるいは違う場所への思いを馳せることができます。

でも、感じるのは、その今、ここという認識がちょっと違うのでは? と思うこともあります。

たとえば、政治に望むことの代表が景気回復のようですが、現与党のマニフェストはそれ意外にも山ほどあり、とても危険性を含んだものも多くあります。

しかし、不景気の今と、ここ(この国)だから、とにかく景気回復してもらわにゃ話にならん、という違う意味での今、ここ主義、言い換えればその場&その時主義とでも言えば良いのでしょうか?

そんな感じがします。

とにかく景気回復、そうおっしゃる年配層の親父さん方は「わしら、どうせ先は長くないからええけどな」ともおっしゃる。

その場&その時主義の上に、あとは任せた的な無責任さを感じざるを得ません。
為政者が暴走した過去から、それを監視し抑制する役割を担う現憲法を変えようという現与党の意図は、為政者によって国民を管理しやすい過去の法に近いものへ戻そうというものです。

もちろん景気回復は大事なことです。

でも、今、つまり目先に囚われて、自分の未来、自分の子や子や孫の未来は二の次という感覚を強く感じます。

最初に書いたように、今、ここを生きるとは、そんな目先の話ではなく、今、ここを生きる自覚とともに、過去や未来をしっかり見据えるということです。

そして、この国の国民も他国の人も、それこそ目先の主義主張が違っても、そんな今、ここを共に生きる同朋です。

親鸞聖人が説かれ、真宗という教団が目指すのはそんな御同朋、御同行が共に生きる社会であり、その社会を照らすのが阿弥陀如来、自覚を表す言葉が南無阿弥陀仏です。

合掌。

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