夕べからの雨で雪もだいぶ溶けてくれました。
そんな今日の午後、市内の親戚寺院C寺のご住職がご来寺されました。
というのも、来秋にC寺さんで親鸞聖人七百五十回御遠忌をお勤めされるということと、当寺住職、つまりボクにその式司(しきじ=法要の総責任者)をご依頼に来られたのです。
近い親戚であるC寺さんと当寺は、これまでもお互いに式司をお願いし合うご縁を紡いできています。
大任をいただき勉強しなければなぁと思うとともに、良い経験をさせていただこうと思います。
それはともかく、ご住職とはいろいろな会話をさせていただき、気がつくと1時間以上もたっていました。
それは、ボクが日頃から思っているお寺を取り巻く現況への危機感や、僧侶としてこれはハズしてはいけないと思うことがお互いにかなり近い感覚を持っていらっしゃることから、思わず会話が弾んだんですね。
一般社会でサラリーマンを経験されたこともあるご住職は、一般社会から見たお寺という狭い社会の在り方への疑問を強く感じていらっしゃいました。
そして、ボクがブログでよく書いている「自分を客観視する」ことの重要性をも共感し合えました。
ボクが年頭に大事にしたい言葉として掲げた「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない(宮沢賢治)」も、この客観視を持ち合わせなければ理解しづらいかもしれないと思っています。
自分の言動を一歩離れて自分で自分を観察するような感じであったり、逆に相手の立場を主観視(自分の視点を重ねる)してみたりしてみてください。
今日は、そんな感覚を分かり合える方が、意外と近くにいらっしゃったことが嬉しゅうございました。
合掌。

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