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良い悪いは別にして

学校教育の現場での体罰が問題となっていますが、みんな自分の学生時代などを思い出していろいろなご意見をお持ちであろうと思います。

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たとえば戦前、戦中だと親や教師に殴られることが当然で、それは悪いことをした子どもが悪いんだという時代。

戦後でも長くそんな感覚が尾を引いていたと思います。

たとえば、ボクが高校のころには某大学柔道部出身の体育教師が常に竹刀を持って校内を歩き回り、髪型や服装のおかしい生徒をその竹刀で「ぺーん!!」と軽く殴って「明日は直してこいよ!」と言ってました。

でも、ボクらのころくらいまでは、やはりそれは生徒側に問題があるからという認識だったと思います。

しかし、今はどうでしょう。

まず、幼いころから親にも叩かれたことはおろか怒鳴られたことのない子どもたちにそれは通用しないでしょう。

また、子の叱り方を知らない、あるいは知ろうとしない親たちにとっても体罰そのものが受け入れられない事柄になっています。

そして、先生もそんな親と、責任回避主義一辺倒の学校に板挟みの中で子どもたちと向き合わざるをえない現状にある。

本来、子どもを殴らざるをえない状況があって初めて体罰が成り立つのであって、ヤミクモにそれをしてたらそれはおかしいのは当たり前。

要するに、それだけの判断力を持ち合わせた現場責任者がいない、あるいはそういう存在を信頼して任せ、何かあっても毅然と対処できる学校責任者がいないのではないかと。

子ども、先生、学校、親の間に信頼関係がまったくなく、責任だけを投げ合っているから教育現場がおかしいのではないのでしょうか?

家庭での日常によって育つこと、たとえば「挨拶」のひとつもできない子を学校に送り出すことに何の疑問もない親は文句しか言わないでしょう。

学校で学ぶべき人間関係、社会性を育てることよりもひとつでも多くの単語を覚えさせる授業しかしない、あるいはできない学校は塾や予備校と同じでしょう。

親は当然、教師も学校もそれぞれが子どもた対して平等に責任を追うという意識が大事なんではないですか?

その意識が信頼というリンクをしていないから、責任の押し付け合いにしかなっていないのではないですか?

偉そうに、仮にそう言われても、そう思いますし言います。間違っていたら指摘してください。ちゃんと聞きますから。

うわべだけの、形だけの人間関係は疲れるだけで何も生み出さない。本音での関係を築きませんか? お互いに。

人と人、もっと暖かいご縁にしませんか。寒い大寒に思う多事争論。

合掌。

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