この3連休、ご門徒宅報恩講にご法事と駆け回り、少々バテ気味で迎えた月曜日です。
やはり、こんな慌ただしい中での選挙などやってほしくないですねぇ。
各党のマニフェストや主張などをゆっくり吟味する余裕もありません。
ただ、テレビで流される文言を聞いていいるとなんだか「そんな安易でいいの?」という気がすることもしばしば。
その大きなものは、たとえば憲法改正であったり、日銀の在り方であったり。
どちらもその成立には、戦争経験による反省、過ちをおかさないという決意などが込められています。
よく、今の憲法は占領軍に押し付けられたものだから、というお決まりの理由で改憲をという声が聞かれてきましたが、今回はそれを前提としたうえでの公約が叫ばれています。
しかし?
そんなに安易に改めたり、破棄したりしてよいものでしょうか?
なぜ? そこまでして「軍」が必要なんですか?
一般国民にとって「軍がない。戦争をしない」、これほどありがたいお約束はないのです。
その国民にとって何よりありがたい法、それも成立過程はともかく、国の最高規範たるものを、なぜ変えたいのですか?
軍があれば、何がそんなに都合が良いのですか?
聞くまでもないかな(苦笑)。
さらに、暴走老人と揶揄された方は核兵器保持まで言い出していますが、唯一の被爆国の国民である自覚がまったくないですよねぇ。
長引く不況や犯罪増加、進まない被災地の復興などなど、先行きが見えず不安な時代には、勇ましいことを言うことで頼もしいリーダーのように見える「錯覚」が出現しやすいことは歴史が証明しています。
地に足をつけて、国民が安心して暮らせる国づくりを、国民とともにしてくれる人、それも口先だけでない人がいたら投票したいと思います。
どうしてもそんな方がいなければ、白紙投票によって「私には、支持したい方も政党もございません」という意思表示をするしかないでしょうね。
変える変えると勇ましい声は、とても響きが安易です。気を付けましょう。
合掌

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