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真に「人」として独立した存在ですか?

秋深し、なぜか豪雨、雷、暴風が吹き荒れる金沢です。


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先日の当寺報恩講でお話いただいた玉光さんと、夜に一献やりながらいろいろなお話をさせていただき、最近いろいろ考えることが多いように思います。

そもそも玉光さんとは、ご本山で出版部に勤務していたときに、取材でご同行していただいたご縁があって、いつか当寺に来ていただきたいと思っていました。

今回の講題「親鸞・一人になることのできる宗教」も、もともとは親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマとして考えていらっしゃった言葉だとか。

その前の蓮如上人五百回御遠忌時の「バラバラでいっしょ~差異(ちがい)を認める世界の発見」というテーマ、実は玉光さんのご考案なんです。

一人になる。

これは、ボクが20歳前後か、それ以前から漠然と思っていた「人は一人では生きていけないが、一人で生きていける人でありたい」ということとリンクした言葉だと思えたし、また玉光さんも「まぁ、そういうこっちゃな」と言ってくださいました。

生まれ、生き、死ぬ、それらのプロセスにたいして、だれでもない自分自身が責任をもって生ききる。

阿弥陀さんに照らされ、一寸先に死ぬかもしれない「今」を生ききるボク自信に、ボク自身が全責任をもって生ききる。

そんな独立した人が集まり形成する社会こそが、サンガ(僧伽)であり、同朋社会であると思うんです。

自分自身に責任がないという思い込み、自分自身に関係ないという勝手なスタンス、それらによって出てくる身勝手な批判と文句。

南無阿弥陀仏は、人がこの社会に生きる存在として皆に責任と関係性があって存在していることや、そんな人と人とが交わる場所こそが人の生きる場所であるという、人の生きる道をも教えてくれる言葉です。

人任せや無関係を前提とした生き方が多い中で、私という存在をしっかり見つめなおしてみませんか?

あなたは真に独立した「人」と成っているかどうかを。

合掌。

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コメント

毎度!久保田です。釋尊の「天上天下唯我独尊」の教えが思い起こされます。「唯(ただ)われひとり、ゆえに尊し」…「誰しも世界に一人、歴史上に一度だけの私(たち)。だから人は皆尊い。」と意訳しております。

投稿: 久保田 寿 | 2012年11月 8日 (木) 18時23分

久保っち、ようこそ(^_-)/

言われてみて気づいたけど、釈尊の「天上天下唯我独尊」を親鸞さんも一人になることのできる宗教=真の独立した「人」と解釈したのかもしれないね。

同朋社会の顕現も、そういう親鸞さんの想いを表現したものなんだね、きっと。

投稿: Kei@住職 | 2012年11月 8日 (木) 22時18分

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