« お寺の舞台裏 | トップページ | 金沢お盆の原風景 »

なぜ? こんなことが起こるのでしょう?

火曜日に当寺墓地のお盆にむけての設営をしました。

その翌日のこと。

181328_341617245915896_1543390447_n

こんなお墓が見つかりました。

前日にはなかったはずなんです。

自然に割れた? とはとても思えず、人力によるものと思われますが、なぜこのお墓なのか? かがわかりません。

そんなに目立つほど大きかったり、変わった色をしているわけでもありません。

ともかく、深夜、早朝の見回りをします。

また、これ以外にもこんなお墓が発見された場合は、警察などしかるべき筋と相談することになります。

このお墓には、この一族の仏と成られたご先祖のお骨が納められています。お墓そのものは、いつかは壊れるものですがそんな人の思いがそこにあるんです。

もしも、故意にこんなことをした方がいらっしゃるのなら、あなたにも同様に仏と成られたご先祖があって、そのご先祖からの生命のバトンタッチを受けてあなたがこの世に存在している事実を見つめてください。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 浄土真宗へ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ にほんブログ村 バイクブログへ

|

« お寺の舞台裏 | トップページ | 金沢お盆の原風景 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ひどいですね。。

このような状況は初めて見ました。

投稿: みんなのつえ 高橋 久 | 2012年7月11日 (水) 22時11分

阿弥陀様は、
「自分のしたことが、悪いことだということすら分からない人」
ほどに、慈悲の手を差し伸べている。もし罪を感じ人の暖かさや、慈悲の心に触れ、懺悔の心が芽生えた時、その方も救われる、そう親鸞さんはおっしゃられましたね。

恐らくは子供の悪戯でしょうが、子供は大人を見て成長するのだから、結局は私達大人のしてきたことの裏返しだと、

酷い、ケシカラン

では済まされない。私達大人も、こうした子供たちを生み出した

罪人

であることを自覚しなければなりませんね。その為に何をすべきなのか?阿弥陀様は知恵の光も下さっている。その光を使うのは私達大人ではないか?

大人こそが、自分さえ良ければと思っているのでは?だからこそ、子供たちは私達に背を向けているのでは?そして大人の社会に背を向けているのでは?だからこんな事が起こるのでは?

私達大人が、こうした事件を招いている事を忘れてはいけません。

投稿: 加藤 隆志 | 2012年7月12日 (木) 06時59分

>高橋さん
当寺でこんなことは初めてです。本当に困ります。

>加藤さん
分かっています。ていうか、同様のことは何度も書いてきています。

投稿: Kei@住職 | 2012年7月12日 (木) 07時16分

ご住職(*^^*)。私はいつもコメントはご住職に宛てて書いてはおりません。ご住職が私の書く真宗の教えをご存じない訳がないじゃありませんか!?私はコメントを書き誰かが検索をなさり、何かのご縁でこのブログとコメントに出会い、何か感じていただければそれで良いのです。全ては他力の成せること。

南無阿弥陀仏(^人^)。

投稿: 加藤隆志 | 2012年7月12日 (木) 10時51分

>加藤さん
お気持ちはありがたいのですが、そこまで考えていただかなくて結構です。ボクはボクのペースで、そのときに書きたいこと、書かなければならないと思うことを書いていますし、そうしたいのです。

あなたのご好意には感謝しています。でも、それがそのボクの思いを超えてしまって、一人歩きしています。以前に、ご自分のブログ等をと言ったのもそんな思いからです。いろいろな理由でブログはやめられたとのことですが、コメントやトラックバックを受け付けない設定にするなど、方法はあると思うので、ぜひそうじていただけませんか?

これまでのコメントに関してですが、実はだいぶ前からとても困惑しながら拝読していました。例えるならば、ボクの描いた絵に他の色や風景を書き足されているような感じがしています。

ツィッターの反応についても、たとえばボクが「A」という話を書いたものに、あなたの反応はかなりの確率で「A'(エーダッシュ)」と、どこか違うんです。ボクの文章力不足などもあるのでそのへんはお詫びいたしますが。

なんども言いますが、あなたのご好意には感謝しています。だからこそ、だんだん辛くなってきました。お察しください。合掌。

投稿: Kei@住職 | 2012年7月12日 (木) 13時20分

申し訳ない。ご住職の意にそぐわないコメントを拒否なさりたいのも人の心。自分の期待しないものは排除したくなるのも自由でございますね。

縁もしがみつくものではございません。未だお会いせずに縁を絶つのも世の習いです。15日はお邪魔すること無く金沢を去りますが、確かに一人の人間が金沢から出て、生きたこと、思し召しくださいませ。南無阿弥陀仏。

投稿: 加藤隆志 | 2012年7月12日 (木) 14時02分

加藤さん?
申し訳ありません。ボクは拒否とかご縁を絶つとか、そんなことは言ってませんよ。むしろ、そんなボクの意図しない反応(意に反するのとは違います)をされることをご指摘させていただいただけなんですけど(汗)。

投稿: Kei@住職 | 2012年7月12日 (木) 16時50分

自分の意図しない反応など世俗では、当たり前なのです。それを他力本願に生きる方が意図しない反応を苦ととらえる、つまりは全て、自分の意図通りになって欲しいと願う心があるからでしょう?私はそれ故にネットで苦しむのです。なにも言わない、会ったこともない人が自分の意図する反応をしてくれると考える、その自分の都合にしか目が行かない、それを子供たちは見ているのです。自分の意図にはまらないなど、会社では通用しない。しかし平気でそういう若者が増えている。今一度、破壊された墓石をご覧なさい。

私は自分の意図通りに事が運ぶなどあり得ないことは世俗でよく知っている。故にその世界で生きる方が良いし、それを知らぬ人とは、縁を切りたいのです。

阿弥陀仏のお慈悲がご住職にありますように。

投稿: | 2012年7月12日 (木) 17時12分

あなたは何者ですか? まず名乗りなさい。いちいちご指摘しないとわかっていただけないようですので、いちいちご指摘させていただきます。

>自分の意図しない反応など世俗では、当たり前なのです
知ってます。当たり前です。

>他力本願に生きる方が意図しない反応を苦ととらえる、つまりは全て、自分の意図通りになって欲しいと願う心があるからでしょう?
違います。場をわきまえる、つまりここがそれをする場かそうでないかを知っているだけです。ボクは他の方のブログでは、その記事に疑問を呈することはあっても、けして飛躍したコメントは書きません。それこそ世俗社会の当然でしょう?

>なにも言わない、会ったこともない人が自分の意図する反応をしてくれると考える、その自分の都合にしか目が行かない
それはあなたのことでしょ? 会ったこともないボクにご自分の都合で書いたことへの反応、そして検索によって云々と都合の良い理屈を書いていますよね?

>今一度、破壊された墓石をご覧なさい
何度も見ましたよ。その上で本文にそのことを書いています。読んでますか?

>私は自分の意図通りに事が運ぶなどあり得ないことは世俗でよく知っている。故にその世界で生きる方が良いし、それを知らぬ人とは、縁を切りたいのです
ボクも知っていますよ。あんまり舐めないでください。自死を考えたことさえあるんです。それこそそれを知らぬあなた、それを知らぬと決めつけているあなた自身の問題性に、あなた自身が気づいてないだけです。

会ったこともない人間に、勝手な想像による決めつけを押し付け、勝手にすでに存在しているご縁を切るの切らないのと、勝手に騒いでいるのはあなたなんですよ。阿弥陀さんのご慈悲とおっしゃるのなら、あなた自身をしっかり見つめなおし、阿弥陀の御光を感じていただきたいと思います。
合掌。

投稿: Kei@住職 | 2012年7月12日 (木) 23時41分

この記事のコメントのやりとりにおいて、見苦しい部分があったことをお詫びいたします。ボク自身、感情的になったとはいえ、不徳のいたすところと反省いたしております。申し訳ありませんでした。合掌。

投稿: Kei@住職 | 2012年7月13日 (金) 21時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« お寺の舞台裏 | トップページ | 金沢お盆の原風景 »