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みんながやってるから?

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ご法事にご葬儀が重なり、ハードな土日を終えてホッとする月曜日。

数軒の月忌を終えた夕方、コーヒーを呑みながらニュースを観ていました。

「?????」

まず、神戸で日常的に見られる自転車の無法運転の特集。

信号無視は当然、ケイタイしながら、音楽を聴きながら、タバコを吸いながら、傘をさしながら、歩行者を縫いながらなどなどを平然とやってのける光景。

そして、桑名でのハマグリの違法密猟。

絶滅寸前までいった桑名のハマグリを、地元漁師さん方が長い年月をかけて復興したハマグリ漁ですが、漁師さん方の目の届かない場所や時間に、何十人もの密猟者がいる光景。

それも一見、のどかな潮干狩りのように10キロ単位で取っていくとか。

テレビのレポーターが「ここはハマグリを取ってはいけない場所だって知ってますか?」などと尋ねても、よくて無言、悪ければ逆切れする密猟者たち。

そして言うのは、周囲の密猟者たちを指さして「みんなやってるでしょ?」と。

みんながやっていればなんでもアリですか?

極端な話、みんなが殺人をしていたら、あなたも人を殺しますか?

しないでしょ?

同じですよ。

みんながしていればアリなら、法はなんのためにあるんでしょうかね?

桑名ハマグリを何年もかけて復興した漁師さん方を思えば、もし自分がその漁師のひとりだったら怒りませんか? 怒るでしょ?

先週のニュースでも、とある島ではほとんどのクルマやバイクにナンバーがついていない、でもそれがその島では当たり前の光景だという映像が流れていました。

違法ですよ! でも、島民は「ここでは普通なんやけどなぁ」とまったく無疑問。それがかまり通ってきた異常性など感じていません。

以前から何度も書いてますが、あまりにも自分と自分のいる光景を客観視できなさすぎです。

みんながやっている。

これは協調性でもなんでもなく、本来なんの免罪符にもならないと知りましょう。

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多事想論」カテゴリの記事

コメント

これはいわゆる、
エゴイズム
と呼ばれる現象で、はるか遠い昔から人間がやってきたことですねぇ。例えばギリシャ危機の発端は、
脱税が日常茶飯事だったから
という事だったそうです。領収書を出さない代わりに商品をまけておきます、なんてことを
みんながやっていたからなんです。
また、人は周りに誰もいなければ、老人が重い荷物を持っていると、手伝ってあげるけれども、人がたくさんいると無視するそうです(某TV番組)。
また、危険な時もそうで、ある部屋に一人でいる時、煙を入れたらすぐ逃げようとするのに、集団でいると、誰も逃げないという実験も見ましたね。

つまり人間は集団でいる時、エゴが出るという結果が出てくるのです。素直ではなくなるのです。

ところが集団で被災すると、ご存知のようにみんなで助け合いが起こるわけです。

これは、一人でいるときには自我というものを意識しませんが、他人が居ると、相手が居て、自分と違ってたり同じだったりする部分を見て、初めて自我が生まれる。こうして集団にいればいるほど自我が出てきて、しまいには居場所がないとか言い始める。

これが凡夫なんですね。親鸞さんが言った阿弥陀様に救われるはずの人々。集団で無ければ人は生きてはいけないが、裏腹に四苦八苦する人が出てくるというわけです。ですので、私もそうですが、絶対他力に帰依するからこそ、人の浅ましさや業が見えてしまうのでしょう。

こういった人々は我々では救えない。そこで怒りを覚えながら我道を行くか、哀れと思って我道を行くか。親鸞さんは後者だったのですね。故に甘んじて云われのない罪を被って越後に流されていかれました。それもこれも、私は信心のココロを持っているから既にお救い頂ける身として、念仏されておられ、凡夫が救われることを願われたということでしょう。

しかしマナー違反を言い続けるという事は正しいことでしょう。絶対他力ならば、仏がそう言わしめていると考えていいのです。

けれども凡夫達の行動を、実力行使で阻止したら、これは自力を頼むことになり教えに反してしまうし、法治国家の原則にも違反する。マナー違反によって危険があるとか、目の当たりにしたら、法治国家としては、国に訴えたり、あまりに危険なら警察に相談したり、こういった行動を起こすのが正道ですね。私たちは集団にあってなお、一人でいる時の感情を出すことができる稀有な存在ですから、何を無せるか、もう一つの阿弥陀様の力である、智慧の光を使って、一緒に考えましょう。(^O^)v。

投稿: 加藤 隆志 | 2012年6月19日 (火) 03時11分

はい! おっしゃるとーりです(^▽^)/

投稿: Kei@住職 | 2012年6月19日 (火) 07時03分

先生から、正解を頂いちゃったです (〃 ̄▽ ̄〃)エヘッ。浄土真宗門徒と名のってよろしいかしら〜ん ( ̄0ノ ̄*) オーホホッ。

結局私はエゴが過ぎた所もあったし、自己欺瞞もあったし、なるべくしてうつ病なんてココロの病にかかりました。自分の尺度で世間を見ていたので、いろんな世間の有様がストレスになってしまった。

しかも、老人に席を譲るなんて恥ずかしくて、寝たふりしてました。

が、今やオープンマインドになり、絶対他力(他力本願と言いたいけど誤用されるから( ̄▽ ̄;))に帰依してから、みんながやってるから族については、哀れみの視線を送って、こうして善福寺さんと凡夫の姿を見るという御縁ができますた(^O^)v。

あの方々はホントはすごいストレスがかかっているはずなんですが、そのはけ口として、ルールを破っているのが正直なところでしょ。ココロが平和ならば、ルールぐらい守る余裕があるはずなり〜〜。

さて、親鸞さんが悟りを開かれた、絶対他力に生きるとすごい楽なんですけどもねぇ。やることなす事みな仏の意思。人が亡くなって悲しむけれども、浄土で仏になって、生きていた頃の苦しみもなく、今や純粋に残してきた人々の心と体の健やかなことを願って慈悲と智慧の光を照らし、実は心配されているのはこっちの方だ、という風に考える浄土真宗の独特な精神世界には、誠に救われておりまする。南無阿弥陀仏。

…と言いながら懇意にしている浄正寺さん曰く、実は理解してない真宗僧侶も多いのだとか。う〜んそりゃ800年も前の悟りで、教団になって、公益法人となって、葬儀屋さんと化している以上は、それも致し方なしですね( ;∀;)。諸行無常。でもホントに私みたいに深入りして抜けなくなって、心安らかになれた感動は、伝えていきたい…って前にも言いましたね( ̄▽ ̄;)。生活に真宗を取り入れる方法を伝えたいです。何も朝晩正信偈を仏壇の前で唱えるだけではねぇ。そんな人が、陰口を叩いていたら悲しいかも。

投稿: 加藤 隆志 | 2012年6月19日 (火) 19時31分

ご法事後などにお話をさせていただくのは、皆さんに教えを聞いていただくとともに我が身にも言い聞かせています。自分自身の学びの確認をさせていただいています。

ご法事という、聴聞させていただくご縁をともに大切にいただくことが大事だと思っています。

投稿: Kei@住職 | 2012年6月20日 (水) 21時31分

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