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尊重し合うということ

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息子の中学歴史教科書を見せてもらいました。

やはり、そうなんだなぁと確認したかったことがあったからです。

1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府は過去の話で、今は源頼朝が全国に守護と地頭を設置した1185年が鎌倉幕府成立と教えられているんですねぇ。

ウワサには聞いていたものの、そうか、こういうことも変化していくもんなんだと感心しました。

クイズ番組を見ていると、漢字の書き順などもボクがずっとそうだと思っていた順序が違ったりすることがあり、へぇ~!とこれまた感心します。

そして、この手のことはボクらの身近にもよくあることなんです。

例えば、お経や正信偈の読み方(節の扱い、息継ぎ等)や儀式作法も、当寺前住職が若き日に教わったことが、今は変化していることがあります。

前住職は、それが当然とボクに違いを指摘します。

しかし、ボクはそういうふうに教わっている。

それをいくら説明しても、そんなはずはないと受け入れてくれないということが多々あります。

これは、様々な分野や形でどこのご家庭や職場でもあることではないですか?

お互いが「そうか、なるほど」という柔軟性をもって話し合えれば良いのですが、どうしてもお互いに意地を張ってしまいますよねぇ(苦笑)。

老いては子に従え、言葉で言うのは簡単ですが、これを実践しているケースをほとんど見たことがないです。

また、子は40、50になっても子の立場に徹することも、これまた容易ではないですよね。

何度も書きますが、人が互いに尊重し合うには、やはり安田理深先生のこの言葉↓を常に心がけたいものですね。

【人間を尊重するということは 相手の話を最後まで 静かに聞くとことである】

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ご縁いろいろ」カテゴリの記事

コメント

尊重し合う、釈尊の中庸のお話ですね。でもそんな釈尊の弟子たちも、やっぱり尊重し合えず、上座部と大乗にわかれていきました。

またこれができれば戦争も起こることは無い。近代の戦争は大体どっちの言ってることも正しい。どういう訳か信念を持つとそうなっちゃう。

善福寺さんの仏教の教えを学んでいてさえそうなら、尊重し合う事を願いはすれど、尊重し合わない人間を批判するのはお門違いかもしれないですね。

結局ほどほどで手を打ち、こうしてブログで説法して頂いて、我が身のことと受け止める方が何人かいて、それでよしとすることがいいのかもしれないです。私も、何故何故のどツボにはまることも多かったけれど、結局できる範囲まで尊重し合い、できない人はもう追求しないのがいいのかな?

考えてみれば、本願寺が西と東に別れたのも、織田さんの理不尽なお話に妥協したかしなかったか、というだけなのに、何と今や作法まで違ってるでしょ( ̄▽ ̄)。

とりあえず、お話を最後まで聞くことぐらいは心掛けたいなぁと、私も出来ないことが多いですしね。

投稿: 加藤 隆志 | 2012年6月 8日 (金) 17時20分

相手の話を最後までしっかり聞くことが、その人を人間として尊重することになる。安田先生の言葉は、わかりやすいけど深い。逆を言うと、人の話を聞かない人は、目の前にいる人を人間として尊重する気がないということになる。簡単に見えることほど難易度は高い。

投稿: Kei@住職 | 2012年6月11日 (月) 22時14分

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