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信頼と安心は支えあってのもの

一昨日の土曜日、「自殺防止シンポジウム」に参加してきました。

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この国ではここ13年間、毎年3万人強の自殺者がいます。実際ボク自身もここ数年は年に1、2軒の自殺者のお弔いをさせていただいています。

この現実をもっと知って、ボクたち僧分、そして仏教の対応を考えておく必要を感じる必要性からの参加です。

また、本山勤務時代お世話になり、最近ツィッター上で再会させていただいた上田紀行先生(東京工業大学准教授)がパネラーとして参加されることからお誘いを受けてというご縁もありました。

シンポジウムは県の社会福祉会館を会場に、5~60人ほどが参加されていました。主宰のNPO法人は多くの司法書士さんによって活動されている会です。

自殺願望を抱く方が実体験を語られた後、上田先生と清水康之先生(自殺対策支援センター「ライフリンク」代表)が壇上にて自殺の現状と社会的背景や構造をわかりやすく説明され、参加者たちが質問や意見を述べるという進行でした。

ここでも以前から書いていますが、「自己責任」というとても冷たい言葉が横行し、だれも支えないし、支えようとしない社会から「信頼」と「安心」が失われてきていると。

家族や友人との絆は、この支え合いにあり、そこから信頼関係が築かれ安心感を得ることでつくられるものです。

宗教、とくに仏教はそんな支えとなっているのか? という厳しい問題提起もありました。

ボクも感想を発言するタイミングを計っていたのですが、残念ながらタイムアップでした。

ボクが感じるのは、日ごろの法務の中で出会う「自殺する者は結局のところ弱いんだ」とか、「自殺者が増えるのを社会のせいにして甘えている」とかという感覚の方が以外と多いということです。

これは「弱さ」を許さない、失敗を許さないという自己責任至上社会の産物です。

そして、自殺者のご遺族に多い事前に気づかなかったという感覚には、気づこうとしなかったのでは? という疑問を感じます。

というのは、仮にそういう兆候があっても「うちの子にかぎって」とか、「そんなはずはない、きっと大丈夫だ」という希望的観測が多く見受けられることではないでしょうか?

それは、たとえば以前にも書いた認知症の場合でも同じです。「認知症になってもらっては困る」という思いであり、それが発展して「なるわけがない」となるわけです。

現実を受け入れて支えてあげる、言うは易し、でもとても難しいことです。

あるがままの私を受け入れてくれる「支え」は、家族、そして友人など周囲に人がまず弱さや失敗を許し、寄り添ってあげることでしかあり得ません。

弱いことはいけないことですか? 失敗したらいけないのですか? 人は機械ではありません。

今回、すごく勉強になったシンポジウムでした。こういったところでの学びを大事に、そしてお寺にいかに取り込んでともに考えていける環境づくりができるか、ボクたちが問われてることはたくさんあります。

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