老いを受け入れる
今日は吹雪もあって、とても寒い1日でした。
毎月お参りにお邪魔しているY家にて。いつも楽しく会話させてもらっている85歳のおじぃちゃんが出てこないので、おばぁちゃんに尋ねると「腰が痛くて寝ているんですよ」とのこと。
腰に持病があることは知っていたので、寒いからかなぁと思っていました。
読経を終え、お茶をいただきながらおばぁちゃんから、おじぃちゃんが元気がないと聞かされました。
生きていてもなんの楽しみもないと。腰の痛みも入院した方が良いくらいにも関わらず外へ出たがらないと。
とてもびっくりしました。
ここのおじぃちゃんは、明るく陽気でいつも楽しい会話させていただき、ついつい長居してしまうこともしばしばだったからです。
しかし、よくその会話の内容を思い返してみると「わしももう85ですよ」であったり、「ご住職はまだ若いもん」とか、「この歳になったらだめだめ」といったものでした。
明るく笑いながらしゃべっていましたが、実は結構マイナス思考な内容なんですよね。
ボクは専門家でありませんが、いろんなお宅にお邪魔して、さまざまなご家庭を見て感じているのは、歳を取るということは想像以上に辛いことなんだということであり、さらにその歳を取るということを本人も周囲もなかなか受け入れがたい環境なんだということです。
たとえば、ボケないためにといろいろ「しなければならない」とか、家にばっかりいてはだめだから「外へ出なければならない」と常に言われ、もの忘れしないように部屋中に「あれはだめ」「これをする」などのメモ書きが貼ってあるなどなど。
あるがままのその人、その人が歳を取るということをそのまんま受け入れることがとても難題なんです。
テレビで見たケースですが、とある認知症になったおばぁちゃんは、自分が20代だと思い込み、鏡を見ても年老いた自分の姿を自分だと認識できず「知らないおばぁさんが来た」と言って聞かなかったそうです。
同居する娘さんは、最初は「しっかりしてよ」と叱ったりなだめたりしたそうですが、母は50代のわが娘を「おねぇちゃん」と呼んですでに亡くなった姉だと思い込んできかなかったそうです。
しかし、あるときから娘さんはその母の姉を演じ始めました。すると母は、うれしそうに「おねぇちゃん、おねぇちゃん」と娘の言うことを聞くようになり、亡くなるまでとても幸せそうだったと。
この娘さん、最初はとても辛かったが、自分が姉を演じることでうれしそうな笑顔の母の姿に、逆に自分もうれしくなっていったといいます。
だれもがいつまでも健常でありたいと願うことは当然です。でも、それは無理な話です。老いる、衰えることこそが当然です。
あるがまま受け入れましょう。上記の母娘のように、そこから人と人の新たなご縁が開かれていくのはないでしょうか?
来月、Y家のおじぃちゃんとお会いできたなら、もっとあるがままのおじぃちゃんと会話できたらと思います。
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