宗教とは、一般に人智を超越した観念という意味だそうです。
その観念じたい間違っていないと思うんですが、この観念の受け取り方や表現方法が間違っていることが多々あるように思うんです。
たとえば、一般に新興宗教と言われる新宗教は、江戸後期以降に成立した宗教団体を指します。
これらの中で、いわゆるカルトと呼ばれるものの多くは、「人智を超越した」具体的な存在を人為的につくっているように思います。
多いのが、霊能力や霊能者という存在。
そういう存在を一切否定するつもりはないですが、仮に存在したとしても世界中にほんの数人としか思えませんし、この日本という小さな国に何人も存在するとは到底思えません。勝手に思い込んでいる人は別にして。
人は弱いんです。不思議な力と出会い、それによって現状が好転したとすればそれを信じてしまうんです。
ただし、この現状の好転ははっきりいって単なる偶然です。というよりも、病は気からというように、その人の気を好転させる話術やトリックを駆使した結果、好転した事柄を見つけたということでしょうね。
それで終わればめでたしめでたし…なんですが、その好転した人を宣伝媒体に使って複数の人を誘う、誘われた人がまた複数の人を誘うを繰り返し、その誘った人には報酬(位やご利益など)を下付するからややこしい。
病気が良くなった、家族関係が円満になったなどなどと思い込んだ人々が「あそこにいってあの方のお話を聞くだけでいいのよ」と誘い常連にさせる、自分は良いことをして、しかも報酬があると思い込んでいるので罪悪感はまったくない。
そうなれば、あのお方の力をより広めるため等々とさまざまな名目で寄進させられることになります。それも気がつけば、家が建つほどの高額な寄進です。
疑問を持ったとしても、あなたの功績はすでに来世に善人への転生が約束されているから云々と、だれも保障できない事柄を保障したりしてごまかします。
人智を超越した観念とは、まず私が、あなたが生まれ生かされてあるという奇跡のことであり、そのことに感謝する気持ちではないですか。
それを当たり前として感謝もなにもないから、より良い事柄をもっともっとと求め続けるんです。
そこが見えないから、人智を超越したように巧みに演出された偽者に踊らされることになります。カルトとは、宗教を演出しお金儲けをする集団のことです。
人の力は、けして人智を超越しません。そう見えたなら、それだけ上手な演出だというだけのことです。

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