布施=価格??
某流通大手がホームページでお布施の価格目安一覧表のようなものを掲載し、それに仏教界からの反発があって削除されたとか。
たしかにお布施はどれくらい?というお問い合わせは年々増加傾向にあります。
しかし、その感覚がそもそも違うんです。
仏事は営利事業ではありません。
ですから、ものを買うという行為と同じではありません。
つまり、価格という概念はなく、心の問題なんです。
仏となった亡き方から、自分自身の生かされてある今と、必ず来る死を見つめなおすご縁をいただくのが仏事です。
その貴重なご縁をいただいた感謝の心がお布施です。
もちろん多くの方がだいたいこれくらいという目安的なものはあります。
しかし、それは宗派によって、地域によって格差があり一概に「こうです」と言えられるものではないんです。
たとえば、そのホームページに記載された項目を見ても、戒名についての値がありますが、ボクら真宗に戒名などありませんのでその時点で当てはまりませんよね?
真宗では法名といい、「釋(尼)○○」という仏弟子の名のりに金銭は不要ですし、「○○院」という院号法名についてはご本山である東本願寺に8万円以上を寄進されたお心にたいして、ご本山からお礼として下付されるものです。
むろん、ボクたち僧侶がそんなお心に応えられるような存在であるかどうかが問われてある問題でもあるので、この問題は良いご縁なのかもしれません。
お通夜やご法事に行った方から「お坊さんはお話(お説教など)もせず、ボソボソとお経を読んだだけだった」という話を聞くことも年々増えてます。
お通夜、ご葬儀、ご法事などなど、なぜ仏事を営むのか? ということをお話して、単なる表面上のみの供養に終わることなく導くのが僧侶の役目であり、それにたいしてのお心がお布施です。
僧侶とご門徒(檀家)に日ごろからそんな問いも気軽に会話できる関係性が構築されていれば、こんな問題も起こってこないのかもしれません。
僧侶はお経の配達人になってはいけません。
会話が大事です。
まぁ、それは僧侶だけでなく、人間関係の基本中の基本ですが。
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