2009年6月
私が私を受け入れる
今日、歌手のマイケル・ジャクソンさんと女優のファラ・フォーセットさんが亡くなったとニュースで知りました。
ボクは、どちらも特にファンというわけではなかったのですが、ふたりともボクがティーンエイジャーだった頃に活躍された方だけになんとなく感慨深いものがあります。合掌。
ファラさんは、ガンとの闘いの末に亡くなったのですが、マイケルさんに関してはよくわかりません。
ボクのマイケル観というか、その姿をみるたびに思っていたのは、なぜそこまで肌を白くするのだろう? という疑問です。兄弟たちと組んでいたジャクソン・ファイブ時代の映像をみると、とてもかわいい黒人の男の子であり、大ヒットを飛ばしは始めたころでもカッコいい黒人男性でした。
それなのに、彼は肌を白くし、髪をストレートにし、まるで白人になりたがっているように変わっていきました。やはり、アメリカ社会はそこまで白人至上主義なのか? と感じましたよね。
彼の手記などを読んだことがないので、ボクが思い、感じることを書いていますが、彼は白人至上主義社会のアメリカで黒人として胸を張って生きることよりも白人と同化する道を選んだことが悲しいです。
私とは、良くも悪くも、黒くも白くも黄色くも私でしかない。その私を私のまんま受け入れてあげられるのは、まず私なのです。私を受け入れていない私は、他人も受け入れてくれません。
自己を嫌悪することほどの地獄はないね。と、むかしとある先生がおっしゃいました。あるがままなりと。愛するということは、その対象たる人を100%受け入れることです。
こんな俺やし、しょうがないという意味ではありません。こんな俺を、まず俺が100%受け入れ愛する、それが自分らしく生きるということではないですか? 自分を愛せない人は、他人も愛せない。マイケルはずっとそんな葛藤を抱えて生きていたのではと思うと悲しいです、本当に。
ファンの方々からはお叱りを受けるかもしれませんが、これがボクの思うマイケルです。
<今週の予定>
6/27>午前~月忌・10:00~寺にてT家永代祠堂経兼1周忌・11:30~T家にて49日法要・19:00~T家通夜
6/28>午前~月忌・10:00~T家葬儀・午後~寺務
6/29>終日~寺務
6/30>午前~月忌・午後~寺務
7/1>休務日
7/2・3>終日~月忌
寺報出稿、そして
掲示したいものはいろいろあるのに掲示できない日々がようやく終わりました(笑)。以前のものより掲示スペースも広く、カギもかかるので安心です。
本日、まいどまいど遅れがちな寺報「大慈山」の原稿を書き上げ、レイアウトしてようやく出稿しました。来月早々にはお届けできそうです。ホッ。
よく晴れた夏空の今日、「あぁ、ツーリングに行きたいなぁ」などという思いを断ち切って原稿を書き終わって、さぁ、明日でも明後日でも晴れたらGOだーっ! って思ったところで…
待てよ。なぁんか忘れてへんかぁ? となにかを思い出しました。しばしデスクの上に散乱する原稿やら書類やらをガサガサ…ガサガサ…「あ、これや!」と。
そうです、先日ここでも書きましたが某所からの原稿依頼があったのです!! まぁ、しかし締め切りはたしか今月中やし…と安心しつつ、明日、いや明後日、まぁ今週中には…。
はい、そうです。ギリギリまで追い詰められないと始められない人です。ここでは、週に3回も好き勝手なことを書かせてもらっているのに、いざ原稿依頼などという言葉を使われると…現実逃避していたようです。
あ、やばい。その依頼主さんはここを読んでくれてはるんやった(汗)! えぇと、大丈夫ですよ、今月中に必ず書きます、届けます、はい!
大雨注意
たしかに外は、滝のような雨が降っています。昨年の浅野川氾濫を思い出し、心配です。
そんな今夜、突然当寺の火災警報がけたたましく鳴り響き、びっくり! 大慌てで寺中を点検して回ったものの、火災が起きている気配はなく、警備会社に電話で問い合わせたところ、今夜は同様の報告が多くあるとのこと。
こんな異常に湿気の多い日には警報装置が誤作動しやすいのだそうです。装置の解除方法を聞き対処しひと安心。
数年前には、一部の部屋の天井裏に猫たちが侵入し、その大量の糞尿が漏れ出して警報が鳴ったことがあり、大騒ぎとなったこともありました。本当になにがあるかわかったもんではありませんね。
今夜の大雨も、ただの大雨で済むといいのですが。皆さんもご注意くださいね。
夏日
梅雨入りしてからというもの、昨日ちらっと降った以外に雨らしい雨がなく、今日は快晴の夏日となりました。
ジメジメ感がなく、カラッとした暑さだったので、こんな夏ならいいんだけどなぁと暑さ嫌いの僕でも思います。
車内の冷房も一度かけてしまうと、かけずにはいられなくなりそうなので、少々暑くても今だに窓全開で走っております(笑)。
月忌で農村にお参りにいくと、ありがたいことに「今朝、掘ってきた」というタマネギやジャガイモをいただきます。でも、「梅雨なんやし、降るときゃ降ってもらわにゃ困るなぁ」と苦笑されます。
街中のお宅へ行くと「雨降らんで、楽でいいわぁ」と言われます。人は自分の立ち位置を元にものを思い、感じ、発言する生き物です、はい(笑)。
<今週の予定>
6/20>午前~月忌・11:00~寺にてO家13回忌法要
6/21>10:00~墓建立下見でI家ご来寺・11:00~O家にて25回忌法要・12:30~当寺墓地にてK家納骨
6/22・23・24・25・26>終日~月忌
修復、順調です
先週から鐘楼の修復が始まっています。ご覧のような形で土台の歪みを直していくそうです。
昭和11年に建立されたという当寺の鐘楼ですが、屋根の葺き替え以外にこの土台の歪みをなんとかしたいという問題があったのです。
こんなふうに柱の下の支えの部分のコンクリートがスカスカになっていて、全体的に向かって右側へ沈むような格好になっています。
ここへあらたにコンクリートをうって水平に戻すわけです。なんせ、上部には大きな鐘が吊ってありますので、その重さは半端ではないです。
その前から取り掛かっている土蔵の壁の修復も順調で、連日にわたって左官屋さんが作業してくださっています。
そして、今日は会館内の手すり、スロープが設置されました。僕にとっては待望だった設備です。
お年寄りが多く集う場所だけに、こうした安全面を早く確保しておきたかったのです。他のお寺さんでも、まだあまり見かけないのが現状なので、お寺へ行こうと思ってくださるひとつの理由になればと期待をかけての設置です。
玄関と御堂入り口にスロープを設置し、玄関のスロープ横にはさらに手すりをつける予定で、お手洗い内にも手すりを設置しました。
早ければ今月30日の善福寺講、遅くとも来月の盂蘭盆会には皆さんに見ていただき、利用していただけるかと思いますので、ぜひご来寺ください。お待ちしてます。
諸々の行は常無らず
昨日、ショッキングなニュースがありました。とあるお宅に月忌参りでお邪魔し、仏間に入ると、隣の茶の間からテレビのニュースが聞こえてきました。
「…NOAHの三沢光晴選手が … …心配停止し … …死亡が確認されました …」と。
呆然としつつ、我に返り月忌を勤めましたが、その日はずっと信じられない思いでいっぱいでした。帰宅後、ネットでいろいろ検索し現実だと認識せざるを得ませんでした。
享年46歳。プロレスリングNOAH(ノア)社長兼看板レスラー。全日本プロレス出身。馬場さんの弟子で元2代目タイガーマスク。13日の試合中に相手選手のバックドロップを受け心配停止し、病院に搬送されるも死亡。
僕は熱烈な彼のファンというわけではなかったのですが、現在のプロレス界を代表するトップレスラーであったことは間違いなく、その存在感はだれもが一目おいていました。
なにより受身の上手さでは定評あった選手だけに、今回の事故は技を受けたことだけが原因ではないと思われます。ここ10年ほどのプロレスの凋落はひどく、この春にはNOAHのテレビ地上波中継も打ち切られています。そんな現状に社長としての心労や、長年の現役生活で心身ともに満身創痍だったであろうことは想像に難くないです。
でも、三沢さんはそんな現状にも「こんなにおもしろいものがなくなったらもったいないよね」と前向きにプロレスに向き合っていました。
残されたすべてのレスラーたちには、こんな三沢さんの意思を受け継ぎ、プロレスをおもしろく、盛り上げてもらいたいと切に願います。
偏見をお持ちの方もあろうかと思いますが、一度でいいから生で観戦してみてください。あなたが思っている以上におもしろいですよ。
諸行無常、しかしその行は縁あるすべての人々の中に残ります。
合掌。
時代に流される
先日「納得不納得」で紹介した方もそうですが、やたらと年配層からの「今の時代、通用しない」とか、「時代は変わってしまった」という言葉を聞きます。
それが、嘆かわしいことだったり、苦笑まじりだったりではなく、さもいいことのように言われる。挙句には「わしでさえ仏壇に手を合わせとらんもん、息子らの時代になったらだれも参らんぞ」とまで誇らしげにおっしゃる。
いったい何を威張っているのか? と首を傾げたくなります。親である「わし」がしなければ子である「息子ら」もしないでしょう、当たり前のことです。子は意識的、無意識を問わず、両親や祖父母の姿をみて学習し踏襲していくものです。
幼き日に親でなくても、じぃちゃんやばぁちゃんが毎朝仏壇に手を合わせていた姿を見ていた子は大人になってもそれを覚えています。だから、ご法事などの席で上記のような親たちよりも、ボクの話に関心を持って話しかけてくれたりする若い方は以外と多いものです。
それはともかく、ここで考えたいのは時代が変わることを迎合する方々の存在です。時代は変わる、これは必然ですが、それが本当に正しい方向への変化なのかという問いが不可欠だと思うんです。
たとえば戦前~戦中~戦後とめまぐるしく時代も価値観も変化しました。なかでも昭和初期~戦中、戦雲うずまき、どんどんものがなくなり、人が死んでいく時代です。聖戦、国益、神国不敗などの言葉でそれを覆い隠され、気がついたときには焼け野原と絶望とともに戦後を迎えました。
その戦前~戦中の過程で、疑問をもったり行動したりした人々は投獄され口を塞がれていきました。反面、時代の変化に無疑問的だったり見て見ぬふりをする人々は否応なく戦争に飲み込まれ飢えに苦しみ、子や父を戦場に取られ、殺され、空襲に逃げ惑い、家を焼かれました。
開拓という名のもとに中国東北部に希望を求めた人々は、北の強国の侵攻でその希望を潰され、追われ、財産どころか家族をも失いました。気がつけば守ってくれると信じた軍隊も、役人もまっさきに逃げ出していました。
安易に時代に流され、それに迎合するとはこういうことです。人が、私が生きるということを見つめ、考え、ご縁をいただき感謝する、お内仏に手を合わすとはそういう時間です。我々のご先祖が750年受け継いできた大事な心を「時代」のせいにして捨てることを必然と考えますか?
蓮如上人は「世間を客とし、仏法を主とせよ」と言われました。時代の変化は世間の常であり、それは入れ替わる客のようなもので、中心には仏法を据えよということです。
<今週の予定>
6/13>11:00~H家にて13回忌法要・午後~寺務
6/14>終日~月忌
6/15>午前~月忌・11:30~寺にてU家3回忌法要・午後~寺務
6/16>午前~月忌・午後~寺務
6/17>終日~月忌
6/18>午前~月忌・午後~寺務
6/19>終日~月忌
梅雨入り
嫌な季節という方が多いですが、ボクは案外嫌いじゃないです。雨の日って、けっこう静かでいいんですよ。
雪の日も好きですし、やはりボクってインドア派なんだなぁとつくづく思います(笑)。自然のことですし、好きの嫌いの言っても受け入れるだけですしね。
晴耕雨読という言葉があるように、晴れの日、雨の日、それぞれに人が合わせて生きる、それが人も自然の一部であることを忘れないことでしょうね。
暑い日に家の中を寒くし、寒い日には暑くしてきた結果の地球温暖化。自然に逆らう生活を文化的と錯覚してきた近現代世界。その上、まだ便利にまだ豊かにと求め、開発という悪行をやめない人の愚かさ。
そんな人として生きるがゆえに、自分を愚禿(ぐとく)と名乗った親鸞。ちっぽけで愚かな自分だからこそ、阿弥陀に救われていく道を求められたのでしょう。そんなお話を今年の善福寺講ではしています。
目に付く些細な無秩序
高速道路料金の値下げからこっち、週末には観光客の数が増えたように思います。
そこで目に付くのは、相変わらずの悪い意味での「旅の恥は掻き捨て」な光景です。
バス停や交差点でタクシーに手を上げる人々に止まるタクシー、それらの場所や繁華街付近での路上駐車、横断歩道なき場所での集団横断、いずれも立派な道交法違反ですので認識しましょう。
近所に自転車で横断歩道なき場所を自転車で横断するので有名な老人がいました。家族が言っても、近所の人が言っても、彼は聞く耳を持ちませんでした。
彼は車に撥ねられ亡くなりました。
些細なことだと思いますか?
政治家や有名人が法に触れることをしてニュースになると、異論反論を口にしますが、法の上では同じことですよね?
たかがそんなことでとか、自分ひとりくらいとか、自分に対しては温情豊かですが他人には容赦なく批判することは簡単だし、誰にでもできることです。
社会がおかしいのは、そんな社会の構成員である自分がおかしいからで、その小さなおかしいの積み重なっておかしな社会を構成しているんです。
政治のせいでも、教育のせいでもありません。ボクやあなたが小さな無秩序を重ねている上に社会全体の無秩序があるんです。
ともに考えていきましょうよ♪
納得と不納得
今日、月忌参りで訪れたとあるお宅で、来年に当寺でお迎えする親鸞聖人七百五十回御遠忌へのご懇志への疑問というか、お叱りをいただきました。
当寺は通常会計はもちろん、御遠忌などの特別会計の予決算書なども寺報ですべて公表していますが、このお宅のご主人(71歳)は鐘楼などの修復に数社による入札はしているのか? と詰問されるのです。
それもしないで予算書と懇志の依頼だけをされても今の社会では通用しないとおっしゃいます。当寺では、これまでもこういった場合にはこれまでの実績と信頼関係で業者にご依頼し、見積書をだしてもらい、役員会にてそれを検討した上で決定しています。
しかし、最低でも2社以上による入札を行うのが常識だと言われ、ボク自信の社会性の疎さを感じました。ただ、決してご門徒さん方のお気持ちに甘えていたつもりはありませんし、不義理をしないという心構えは持っていたつもりでした。
そして、ご主人はご懇志を断るつもりはないとありがたい言葉を言ってくださいましたが、その後に「親鸞だかなんだか知らんが、750年もたってなんで法事せにゃならんのかわからんし、関係ないと思ってるけどな」とおっしゃいました。
さらに「仏壇に手を合わせとっても、それは自分の親やじぃさんばぁさんに合わせとるだけで、阿弥陀も親鸞も関係ないし、今後も寺に参るつもりはない」と。
ボクは「親鸞がいなかったら、あなたは手を合わすべき場所もないんですよ」と言うと、「…そうかもしらんが、わしゃ知らん」と。
前半のお言葉には納得し、それには「貴重なご意見ありがとうございました」と言いましたし、事実そうだと思います。でも、後半のご意見には納得できないし、もっと話し合いたいと思いました。
次のお宅へ行かなければならず、「ぜひ、またお話しましょう。ありがとうございました。よろしくお願いします」と言ってその家を出ました。
バリアフリー化
土蔵の壁修復と平行して、本日より大玄関から御堂への廊下とお手洗いに手すりをつけ、階段などの段差にスロープ設置によるバリアフリー化工事が始まりました。
本来ならお年寄りが多く集まる場所であるお寺だけに、もっと早くしておきたかったことです。本当にようやく実現できることにボクもホッとしています。より多くの方々に安心してご来寺いただければと思います。
さて、今週末には例の百万石祭りがあります。この祭りへの疑問は、毎年書いていますが、今年も憂鬱な気分です。いったい誰がこの祭りを楽しみにし、喜んでいるのでしょうね?
経済効果? どれほどあるのか知りませんが、金沢という街を愛するなら、この街の正しい歴史を知ってほしいし、そうすればこの祭りが無意味であることがわかるはずなんですけどね(苦笑)。
むろん、この街には百万石という観光資源以外に外貨獲得の方法がないことはわかっています。でも、おかしいものはおかしいと言うことを忘れたら、それは民主主義ではないですからね。皆さんもご一考ください。
さて、どぉしたもんかなぁ?
土塀の修復が完了し、現在は中庭に面した土蔵の修復に入っています。
ぞくぞくと御遠忌ご懇志をいただき、大変感謝しております。皆さまのお志は、寺報での報告した予定どおり各事業を順次着工していきます。秋の報恩講にはある程度、皆さまの目でじかに確認していただけるようになると思います。
さて、このブログも丸3年を超えてあちこちで「見てますよぉ」とのお声をいただき、これまた感謝です。できましたら、コメントもご遠慮なく書いてほしいなぁと思っていたりもします(苦笑)。
で、これを見たとある所から「原稿依頼」がきました。思いつくまま、気ままに書いているのはおわかりだと思いますが(笑)、実は決まった枠で書いたりしゃべったりすることは苦手なんです。
さらに言うと、あまり人目につくことも苦手です。ひっそりと毒を吐いて、いや生きているスタンスでいたい人です。
さて、どぉしたもんでしょうかねぇ。これもご縁と引き受けて行こうと思ってはいますが…。






























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