他人の眼
その家では、過去に自殺した方がいます。そのご法事をおつとめした際、家の方々といろんなお話をしたんですが…
おばぁちゃんが、どぉしても「自殺なんて、本当に近所に聞こえが悪くて悪くて」というようなことばかりおっしゃいます。
いくらお子さんやお孫さんが「そればっかり気にしててもなにも解決しないでしょ?」と言っても、そればかりなのです。
ボクは読経後のお話で、家族のだれかが亡くなるということを、残された私たちがどう受け取るかが問われてあるということが大事であって、私たちがなにかをしてあげる、たとえば慰めてあげるというものではないですよと。
人が死ぬということは必然であり、避けられないこと。たとえそれが自殺であっても、自分が死んだら後に残る家族はどうなるだろう? と思わずに死ぬ人はいないでしょう。
自ら死を選ぶことほど辛いことはないはずですし、本来は与えられた命をどうこうするということは罪深いことです。しかし、そういう死を選んだ辛さ、苦しさ、悲しさを察し、共有してあげられなかったことを悔いましょう。
そして、今ご縁のある家族や親しき人たちとの関係を見直し、ともに生きるご縁を大事にして、死ぬその日まで生ききることが亡き方を大事にすることに繋がっていきます。
というようなお話をしましたが、どこまでおばぁちゃんに聞いていただけたかはわかりません。他人の眼を気にするあまり、自分を見失ってはそれこそ同じことの繰り返しになりかねないと心配でなりません。また、その家のご法事が近づいていますので、いろいろお話したいものです。
<今週の予定>
3/7>午前~月忌・11:00~T家にて1周忌法要・14:00~寺にてT家25回忌33回忌法要
3/8>午前~休務・14:00~寺にてT家49日法要
3/9・10>終日~月忌
3/11・12>午前~月忌・午後~寺務
3/13>11:00~寺にてT家33回忌法要・13:30~G寺にて太子会参勤
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