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2009年2月

スーパースター

2009022600000001maiallentview000ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に向けて、野球が盛り上がっていますねぇ♪

その中でもシアトル・マリナーズのイチロー選手がひときわ声援を集め大人気とか。先日のオーストラリア戦をテレビで見ていましたが、ものすごいカメラのフラッシュでした。

感じたのは、近年あまり見られなくなったスターの輝きのような存在感ですね。個人個人の好みが細分化し、国民的スターやアイドルというものがいなくなって久しいことで、より輝く存在です。

ボクがヤクルトファンなのは、これまで書いてきましたが、かつてはパリーグでは阪急が好きでした。その流れでオリックスになっても応援していたのですが、イチロー選手のメジャー転向でなんとなく興味を失っていきました。

そんなイチロー選手の活躍を楽しみにするとともに、他の若い選手たちにはあの存在感を盗み取ってもらいたいですね。それが野球人気復興に繋がっていくことになればと思います。

まぁ、個人的にはヤクルトファンなので、青木選手、元ヤクルトの稲葉選手(現日本ハム)、岩村選手(現タンパベイ・レイズ)の活躍を願っています♪

<今週の予定>

2/28>午前~月忌・午後~寺報編集

3/1>11:00~S家にて3回忌法要・14:00~寺にてO家7回忌法要

3/2・3>終日~月忌

3/4>午前~月忌・午後~寺務

3/5>終日~月忌

3/6>午前~月忌・午後~寺務

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古(いにしえ)への思い

Hmbdさて、今夜は何を書こうかなと思っていると、南米で次々に発見されている古代遺跡の番組をやっていて見入っています。

思えば、ボクは幼いころに買ってもらった子ども図鑑の中で、恐竜などの古代生物のものだけを何回も見ていました。

そして、親によればいつしか世界中を発掘して回るような人になりたいと言っていたらしいです。あまりよく覚えていませんけどね(笑)。

しかし、小学校高学年になって社会の授業で歴史が入ってくると興味を持ち、中学高校と歴史だけは唯一好きな科目となり、大学も史学科へ入ることができました。

今は失われてしまったもの、埋もれてしまっているもの、古(いにしえ)の智恵などには今でも興味を惹かれますね。今でも欧米式よりも古い日本家屋が好きだったり、三国志の世界に没頭したり、江戸時代の習俗や戦史に感心したりです。

死ぬまでに一度見ておきたいものとして、ナスカの地上絵、ピラミッド、マチュピチュ等があり、発見されてほしいものは邪馬台国の遺跡です。

しかし、すごいですね。5000年以上も前にピラミッドのような建造物を造ったこと、そしてそれがボクらと同じ人間の力によるものだってことが。一説には宇宙人説もある? まぁ、それもロマンがあっていいかもしれませんね(笑)。

ところで、今見ている南米遺跡からは、平和都市だったらしく、一切の武器が見つかっていなしらしいですね。いつか、ボクたちの文明が滅びて、何千年かたったら大量の武器ばかりが発掘されたなんてことにはなりたくないですねぇ。

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世界遺産に思う

0008ボクの住む金沢市が世界遺産登録を目指しているそうです。そして一昨年だったかにその候補には入らなかったといいます。

なんだか違和感を覚えたボクは、世界遺産とはなんだろうか? と考えています。

世界遺産とは「人類が共有すべき顕著な普遍的価値をもつ不動産」と定義されています。多くの方が「世界遺産」と聞いて思い浮かべるのはどういったものですか?

ボクはエジプトのピラミッドであったり、カンヴォジアのアンコールワットであったりです。金沢市の価値の有無以前の問題として、単純にピラミッドと同列に並べることができるかどうか? と考えると「?」なんですよね。

また、ピラミッドやアンコールワットにあって金沢にないもの、それは世界規模の知名度も上げられます。極端な話、東京の渋谷センター街を歩く女子高生たちに金沢のことを聞けば、おそらく横浜の金沢区の方が知名度が高く、さらに石川県はどこにある? と聞けば東北という答えも多いでしょう。

日本国内においてさえ、その程度の知名度だということは想像に難くないのです。金沢と石川県のお家事情を考えてみれば、お隣の富山県のように全国規模の企業本社もなく、観光資源に依存せざる得ないことはわかります。

ある調べでは、金沢への観光客には意外なほど(?)リピーターが少ないというデータがあるとか。ということは、単純に観光地としての魅力が飛びぬけているわけではないということですね。

そこで世界遺産という金看板が必要になってくるということなのでしょう。しかし、現実は甘くないですよ。たとえば白川郷が平日でも多くの観光客で賑わっているのはなぜか? それは世界遺産という金看板だけじゃないと思います。

あの合掌造りの家々がただあるだけなら、あれほどの人は来ないでしょう。そこに人が住み、人の生活があるからです。金沢の観光地を見れば、観光施設に人はいてもそこに人の生活があるかといったら希少に見えます。

たとえば、素敵な家にご招待されたとしましょう。訪れたあなたは応接間に通され、お茶を振る舞われます。そして数時間もすれば帰ります。それでもう一度行きたいと思いますか? 本当に見たいのは居間、台所、お風呂等といった生活感ある場所じゃにですか?

そしてなによりその家の人が飾らず、普段のままで接してほしいのではないですか? そこが白川郷等と金沢の大きな違いだと思います。

ピラミッドやアンコールワットのように、何千年を経ても健在な先人たちの偉業にかなわないのはもちろん、現在進行形の文化においてもはっきり言って中途半端で世界遺産にはほど遠いとボクは思います。

厳しいようですが、そこに住む人間の生活があっての観光です。金沢城やその周辺の整備もいいですが、それが市民の生活を妨げては本末転倒です。まず、地に足をつけましょう。

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卵と壁、自覚と信念

Dsc02007作家の村上春樹氏がイスラエルの文学賞である「エルサレム賞」を受賞され、現地ににてスピーチを行いました。

その際、戦争を生む社会システムを「我々を守る一方、時には組織的な殺人を強いる『壁』」と呼び、人間を壁にぶつかると割れてしまう「卵」にたとえた。ただ、卵は個性を持つかけがえのない存在であり、自分は「常に卵の側に立つ」と同国の侵攻について述べました。

また、「壁は高く勝利が絶望的に見えることもあるが、我々はシステムに利用されてはならない。我々がシステムの主人なのだ」とも述べ、各方面から賞賛されていますね。

氏は、周囲から受賞を辞退し現地へは行くべきでないと言われたが、「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」と述べたとか。

眼から鱗が落ちるような言葉であり、作家として、人としての揺るぎない信念を感じます。戦争ができる国を「普通の国」と定義し、憲法改正、再軍備を目指すこの国の壁たちには村上氏のこの言葉を熟読していただきたいものです。

大臣が酒に酔って記者会見なんぞしてる場合じゃないですよね、本当に(苦笑)。どれだけ言い訳しても、泥酔した経験がある人、泥酔した人をみたことのある人ならあれが泥酔であることは容易にわかりますもの。

でも、大事なのは壁を批判することよりも、我々ひとりひとりが卵である自覚と信念を持つことだと思います。村上氏のコメントは、自分が卵である自覚と、いつでも壁にぶつかっていける信念があってこそだろうと感じます。

<今週の予定>

2/21>休務日

2/22・23・25・26>終日~月忌

2/27>午前~月忌・午後~寺務

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また作ってしまった

Dsc02005今週に入って、真冬の再来とでもいうか、雪模様の毎日です。

今朝は、ひさびさに雪カキをしつつ、また雪ダルマを作ってしまいました(笑)♪

クマだか、タヌキだかよくわからないのが最近の作風(?)です。愛息が幼稚園に入ったころまではバイキンマンとか、凝って作ってたんですが、最近はこんな感じです(苦笑)。

しかし、本当に最近は雪カキをしない家が増えたなぁと感じます。わずかにしているのは年配層の方ばかりで、若い方がしている姿をほとんど見ませんね。

Dsc02006 寒いのは当たり前で、それを言い出したら何もできません。というよりも家の中が暖かすぎるのではないですか?

10分も雪カキすると汗をかくぐらい暖かくなります。コートも手袋もいりません。運動不足解消にもなり、しかもエコです(笑)。

手足が冷たいという方、手足を暖めるのは逆効果らしいですよ。たとえば、お風呂あがりに手足に水をかけると、身体が自然と暖めようという働きをするそうで、かえって身体がホカホカしてくるそうです。

寝るときに靴下や手袋をする方、ゴムの部分の締め付けが血行を妨げてこれも逆効果だそうです。

だれもが幼いころに経験あると思いますが、素手で雪合戦や雪ダルマづくりをするとそのうち雪の冷たさを感じなくなりますよね。って、それは冷たさで麻痺してるか、しもやけですかね(苦笑)?

ボクは何度も言いますが、暑さより寒さの方が馴染みやすいんですよね♪

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言葉の疑問

Ramenn先日、京都に行った際、ひさしぶりに大好きなラーメン屋さんに行ってきました。おいしかったですねぇ♪

ラーメンとお蕎麦は、かなり個人個人の好みが細かく別れますが、ボクはここのラーメンが好きです。画像を見て、どこのラーメンかわかる方はかなりの京都通かも(笑)?

それはともかく、意味がよくわからず、使い方がおかしいのでは? と思う言葉ってないですか?

言葉は時代とともに変化するものではあると思っていても、なぁんかおかしいよなぁと思うことが多々あります。

たとえば「意味がわかんない」という言葉をよく聞きますが、本来だと文章を読んでここの意味がよくわからないなぁ、というような場合に使うと思います。しかし、若い方(そうでない方も)などは、人の話を聞いたり、行動を見て使います。

その場合、それはその言い分や行動の理由がわからないのであって、意味はわかっているんですよね。まじめに話しているときにこれを言われると、けっこうカチンと来るものです。

だって、考えればその意味はほとんどわかるのに無疑問的に言っているからです。人の言動を理解しようとすることを放棄しているように感じるからです。

変化してもその使い方が間違ってなければいいと思うんです。でも、「意味わかんない」は、明らかに使い方が間違っています。それこそ、その使い方の意味がわかりません(苦笑)。

言葉はもっと考えて使いたいものです。今日は、なんか俗的な意味で説教くさいですねぇ(笑)。

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増加傾向

Dento_higasi今日はご葬儀を勤めてきました。

昨今増加傾向にある、あるケースです。どんなケースかというと、まずお手次寺がない、後継者がいないか未婚である、後継者が遠方にいて仏事を継続できないというようなものです。

ここ数年で急増してきた感があります。例えば、金沢でひとり暮らしだったご老人が亡くなった~子どもはすでに他家へ嫁いだ娘さんだけ~お通夜とご葬儀をつとめてもお骨は預かれないので49日まで寺でお預かりする~49日でお墓に納骨するもお墓の世話はいずれできなくなるといったケース。

あるいは、ずっと独身だった兄弟や姉妹が亡くなる、離婚した両親のどちらかが亡くなる、長男などが東京にいてお墓がなかなか求められないなどなど。

家を継ぐ、守るといった意識の希薄化や過疎化、結婚率や出生率の低さと離婚率の高さなどいろいろと原因は考えられますし、今後こういったケースはますます増えてくるでしょう。

しかし、お弔いをしなければ成仏できないとか、かわいそうだとかいったことではなく、ご縁あった方のお弔いから私自身が必ず死にゆく身であること、そして生きる意義とを教えていただくことがお弔いをつとめるということです。

お墓がなくても、その家が絶えても、人は死にます。生きて残る縁ある私たちはその死をしっかりと受け止め、教えをいただきお弔いすることをはずさないでいただきたいものです。

当寺では49日まではもちろん、それ以降も短期間であればお骨を大事にお預かりいたします。お墓のご相談にも乗ります。でも、上記のことをしっかり理解してください。

<今週の予定>

2/14>午前~月忌・午後~寺務

2/15>午前~月忌・11:00~寺にてY家永代祠堂経・午後~月忌・15:00~M家にて33回忌法要

2/16>午前~月忌・午後~寺務

2/17>終日~月忌

2/18>午前~月忌・午後~寺務

2/19>終日~月忌

2/20>午前~月忌・午後~寺務

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ご縁の深さ

Dsc01929今日、月忌に参ったN家にて。

今年50回忌だというこの家のばぁちゃんいわく、生後4か月で亡くなった長男の50回忌だそうです。

「たった4か月しかおらんかったし、アタシだけで簡単に勤めてもらおうかと思ってるんですよ」とおっしゃる。

そして「生まれた時から身体の弱い子やったのが、アタシがお里につれて帰った時に風邪をひかせてしまってね。それが元で亡くなったんよ」と寂しそうに笑っていました。

「死んだダンナがね、その時、その死んだ子の身体を抱きしめて、アタシに向かって「オマエのせいだ」と号泣したのよ。つらかったわ、本当に」とうっすら涙を浮かべて話してくれました。

だから、せめて自分が50回忌を勤めてあげたいと言うのです。

ボクは、ばぁちゃんの気持ちを察してあげるとともに、「ばぁちゃん、たった4か月でも、ばぁちゃんはその子の母親ですよ。4か月であってもばぁちゃんがその子の母親だったご縁はばぁちゃんが死ぬまで変わらへんよ」

死んだ人が、残された人の中でずっと生き続けるというのは、その人とのご縁があっての私であり、その人が死んでもその事実は変わらないということなんです。

その人との出会いがあった私とそうでない私は、姿かたちが同じでも別人です。だから、人の一生で好き嫌いを問わずに出会ったすべての人が、私という人間を形成している。ご縁によるおかげさんで私があるということです。

それが我が子であればなおさらでしょう。4か月であろうと、40年であろうと私にとって大切なご縁ですよ、と言うとばぁちゃんは少しだけ明るい顔になって「ありがとう」と言ってくれました。

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同期会

Dsc01930お通夜とご葬儀を前住職に託し、ボクは滋賀県の某温泉へと行ってきました。

ボクが宗務役員(本山の職員)となって今年で15年。その時にいっしょに入ったいわゆる同期が23名います。

その同期数人が昨年15年という節目に同期会をしようと企画しこのたび実現したわけです。けっきょく23名中13名が集合し旧交を温めた次第です。

同期といっても年齢は最大5つほど差があり、ちなみにボクが最年長です(苦笑)。今も宗務役員として本山や全国各地の教務所でがんばっている者、ボクのように寺に帰って法務をしている者、同期同士で結婚している者などなどいろいろです。

以外なほどにみんな変わっていないのにびっくりしたものの、よく見ると髪に白いものが混じっていたり少々おでこが広くなっていたりとやはり15年の歳月を感じました。

でも、ともに呑んで話せば15年前と変わらぬ会話が弾みます。気がつけば深夜(早朝?)3時ごろまでしゃべっていました(汗)。

次は20年目にやるか? いや、来年にでもまたやろう! 1年おきってのはどう? などなどご縁は再開し、継続していきそうです。

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重なるご縁と苦悩

Dsc01884今週末、つまり明日から所用で滋賀と京都へ行ってくる予定なのですが、今朝1本の電話によって状況が一変しました。

訃報です。そして、明晩お通夜~明後日ご葬儀という日程に頭を抱えてしまいました。

ボクが泊りがけで寺を空けることは、年に数えるほどしかないのにそういう時に限ってなぜ? とどうしても思ってしまいます。

同時にこればっかりは待ったなしですし、お弔いを勤めたいという思いもあり、どうしたものかとすがりつくように京都にいる前住職に電話しました。

ここで、70を過ぎた父親にムリをさせたくないという思いも加わって苦悩しつつの電話です。幸い快く導師代行を引き受けてくれてホッとしたものの。

誰が悪いわけでもなく、悩んで解決するものでもない。いろんなご縁をただいただき、できることを精一杯させていただくだけなのですね。そのご縁の重なりによって苦悩する、それがまたご縁となってボクをつくっていくということです。

それでも、住職としてお弔いを勤められないことで、喪主さんのご一族に申し訳ないです。前住職、役僧T氏よろしくお願いします。

<今週の予定>

2/7>午前~月忌・午後~滋賀県へ

2/8>滋賀から京都へ

2/9>午前~帰寺~月忌

2/10・11・12>午前~月忌・午後~寺務

2/13>休務日

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酒をふるまえ

Dsc01924酒をふるまえ、寄り合い談合せよ、ものを言わぬ者は恐ろしいぞ

蓮如さんは常々そう言われたといいます。お酒を呑むことにより、腹を割って話す、それをしない者、つまり人との接触を避けて話したがらない者はわからないということだと思います。

むろん、お酒を受け付けない体質の方に強要することはもってのほかです。

先日の新年門徒のつどいにおいて、30名ほどの方が寄り合い談合し、懇親会で呑みました。かつて当寺役員をしていた方の息子さんが初参加し、その頃から現在でも役員をしている方が感慨深そうな表情をしていた光景などが見られました。

皆さん、お酒が入っていろんな話をしていくうちにそれぞれが持っている思いを語り、聞き、なるほどなぁと感心しきりだったりです。

たしかに、お酒が入ると普段話せないことでも話せますよね。そして、それを聞いてもらえるとうれしいんです。話すばっかりではなく、聞くことも大事です。

しかし、蓮如さんの言われたものを言わぬ者は恐ろしいというのは、現代風に言えば引きこもりと呼ばれる人だったり、何を聞いても「別に」と言ってしまう人だったりするのでしょう。本人も気づかぬうちに、人が人との接触を避けてているうちに自分の考え方を一方的に絶対化していく構図ができます。

人は人の中にあって、否応もなく人と接触しているから人として存在するのです。上田紀行さんの「覚醒のネットワーク」という本にアジアに残る悪魔払いの儀式について書かれていますが、それを未開の地の悪習ではないのです。

群れを離れたがる者、引きこもる者、しゃべらない者を夜につれてきて、村人が一晩中その人の周りで呑んで踊って、歌うことによってその人の悪魔の部分、つまり心の闇からの開放を促すためなんですね。

たいがいの場合、朝までにはその人もいっしょに呑み、踊り、歌う人の輪に加わってくるといいます。かつての日本でも、祭りがそれにあたっていたのでしょうね。

悪魔払いという言葉から誤解を招きますが、かつてはどこの国でも民族でもあった人が人として存在するための儀式だったんですね、きっと。そういう集いとしての祭りや講をもっとやっていくこともおかしな犯罪防止にも繋がっていくのかもしれませんね。

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御遠忌に向けて

Dsc01923昨日、新年門徒のつどいを開催しました。

午後3時より御堂で「正信偈」を同朋唱和し、ボクの感話、広間にて門徒総会、懇親会という日程です。

門徒総会では、昨年のいろいろな行事や出来事ご報告と決算報告、今年の行事予定と予算案提示から、きたる親鸞聖人七五〇回御遠忌への取り組みをお話しご承認いただきました。

真宗の宗祖である親鸞聖人の七五〇回御遠忌を再来年にお迎えし、京都のご本山では1年をかけて法要が執行されます。

当寺では来年の5月、ご本山に先駆けて執行いたします。再来年、ご本山にひとりでも多くのご門徒がお参りくださいますよう、本山御遠忌お待ち受けという意味を兼ねます。

それまでにすべきことは多々あり、ご門徒方にお願いしなければならないこともあります。来月発行の寺報「大慈山」にてご報告となります。

中でも、ボクが一番必要だと考えていた寺内のバリアフリー化もようやく実現できそうで、それも含めて皆さまのご理解をいただきたくお願いいたします。

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