2008年12月
年末あれこれ
昨日は御堂の大掃除を終え、今日は晴天だったので車とバイクの清掃をしました。
バイクは、冬の間ほとんど乗れないのでガソリンタンク保護のためガソリンを満タンにするか、カラッポにするかしなければならないので満タンにしようとスタンドへ。
この時期とは思えない暖かな晴天に、このままツーリングにGO! と思わず考えてしまいましたが、そんなことしてるヒマはないです、はい(笑)。
満タンにした愛車で卯辰山を軽くライディングして帰宅、部屋の大掃除にかかります。まずは暖かい昼間のうちに窓を拭きましたが、雑巾が煙草を吸うためにまっ茶色になり「ひぇ~!」とびっくり!
そしてエアコンのフィルター、空気清浄機にテレビ、オーディオと電気製品を掃除したところで早や夕飯の時間です。
明日はリヴィングを終わらせ、明後日は夕方までに寝室&お風呂場という予定ですが、毎年予定どおりには終わらないんですよねぇ(苦笑)。
皆さんも、お掃除がんばってきれいな部屋で新年を迎えましょう!
ようやく年末気分♪
寺報「大慈山」130号と年忌案内と年賀状の発送、年末調整も終わり、やぁっと年末を迎える気分です。
この一週間、寺報編集と校正、その合間に年忌案内作成と仕分けなどをひとりでもくもくとこなし、それが終わった夕べは遅くまで年賀状をパソコンで作成し印刷でした。
なんだか、クリスマスっていっつも年賀状を作成している気がしますね(苦笑)。学生時代~独身時代にはそれなりに世間に乗っかって騒いでいたクリスマスも、いまや子どもサービスくらいです♪
不況、不況といいお正月も家で過ごすためおせち料理が売れているらしいですが、ひと昔前のお正月は本当に静かだったなぁと思い出します。
コンビニもファミレスもなく、大型スーパーやデパートもせいぜい3日から初売りでしたしね。外へ出ても静かなもので、親戚などがお年始に来るくらいでした。
テレビを見て、おせち料理やお雑煮をつまみ、寝ては起き、起きては寝て、それがお正月の風景で、今となっては逆にそれくらいのんびりしていたいと思います。
ウチでは、ボクも役僧T氏も3が日だけは月忌もお休みさせていただいています。ボクらにとって決まった連休は1年でこの3日間だけです。もちろん、お葬式がなければという前提ですが。
日頃、月忌にご法事、報恩講とクルマで駈けずり回っているボクらにとっては、部屋着でゴロゴロすることが何よりの贅沢だったりするんですねぇ(笑)。
まぁ、あとは大掃除をがんばってお正月を迎えたいものです。みなさま、大晦日の除夜の鐘~元旦初参りにはぜひご参詣ください。
忘年会
毎年恒例のこの忘年会、若手僧侶(一部のぞく)という以外に特にククリはないのが特徴です。
教区や組はもちろん、寺の格なんぞは真っ先に排除した集まりです。その年にもよりますが、だいたい30名前後が集結し、今年1年の労をねぎらいつつ、楽しく過ごします。
そこはそれ、お坊さんの集まりのこと、お通夜で遅れる者、途中でケイタイがかかって枕経に走る者などいろいろな中で、秋の報恩講を乗り切ったボクらならではの連帯感がいいものです。
真宗の坊さんたちは、どのほとんどが髪があることもあってジーンズなどの普段着ではけしてそうは見えないため、よりリラックスして楽しんでます。あ、ウチの役僧T氏のようにつねに剃髪してる人もいますけどね(笑)。
しかし、忘年会シーズンとはいうものの、金沢の繁華街である片町もさほどの混雑もなく、これも不況の影響なのかどうなのかわかりませんが、どこかやや寂しげな感じでした。
さて、年忌案内も完成し、寺報も明日の入庫を待って発送すれば、年末調整と大掃除という流れで大晦日になりそうです。週末に向けて寒波が来るらしいので、みなさんもどうかご自愛の上、歳末を乗り切りましょう。
お通夜にて
さきほど、昨日葬儀を勤めた同じホールに行って通夜を勤めてきました。続くときには続くものです。
お弔いには尋ねるという語源があり、亡き方をご縁として教えと願いを尋ねるためにホールなりに足を運びます。それはボクも含めて同じです。
亡き方から一寸先に死というご縁をいただくかもしれぬ今を生き生かされてある身であることを教えられ、阿弥陀さんから一寸先にわが身の死というご縁をいただいても悔いのない今を生ききってくださいという願いをかけられた身であることに気づかせていただくということ。
合掌は、その教えと願いを受け取るということであり、お念仏を唱えるのはその教えと願いを受け取りましたという返事です。
夕べ、ようやく今年最後の寺報を書き上げ、今朝入稿しました。
来週末には、ご門徒宅に届くかと思いますので、待っててくださいね。
<今週の予定>
12/20>午前~月忌・10:00~かほく市N家にて49日法要・12:00~Y家葬儀
12/21>10:00~寺にてA家35日法要・11:00~寺にてH家49日法要・午後~寺務
12/22>終日~月忌
12/23>午前~月忌・11:00~寺にてN家永代祠堂経・午後~寺務
12/24>終日~月忌
12/25>午前~月忌・14:00~O家報恩講
12/26>終日~月忌
世代を超越する娯楽
「この人たち、漫才師?」と。
そこで返答に困ります。
というのは、漫才師かと聞かれて、そういえばこの人たちの漫才って聞いたことないなぁと。
で、「漫才やってんのは観たことないなぁ。芸人ではあるけど」と返答します。
芸人というククリで言われている人は多いけども、それらの人たちが漫才や漫談やコントをやってる姿ってほとんど見ないですよね。
では、彼らは何者なんでしょう? 芸人ってなんでしょう?
芸のある人=芸人なんでしょうが、いわゆるバラエティ番組に出演してちょっとネタを披露して笑いを取るか、なにか汚れ役のような役まわりを演じている。
もうすぐM-1グランプリという漫才の№1を決める大会がありますが、昔のような万人受けするような笑いはもはやないですね。
お笑い番組で、世代を超えて笑えるのは笑点くらいでしょうか。
お笑いの世界だけでなく、世代を超えて楽しめる娯楽というものが存在しないということはいいのか悪いのかわかりません。
だって、ボクだって長いこと紅白歌合戦を見てないし、大河ドラマも、朝のテレビ小説も見てません。
そんな中で、ウチではボクの両親と愛息は水戸黄門をいっしょに見ています。ボクもかつては、祖母と見ていました。世代を超えて観られる番組ってつくることはむずかしいのでしょうかね?
けっこう、そんな身近なところから家族がもっと近づけるご縁を発見できるのかもしれませんね。
あるじぃちゃんの戦争
先日、とあるご門徒宅の報恩講を勤め、お斎をいただきました。このお宅では毎年恒例で、夕方に勤めた後に酒肴をいただきます。
この家のじぃちゃんは呑んで話をするのが大好きなため、毎年いろんな会話をするのです。じぃちゃんは、朝な夕なに欠かさずお内仏に参り、正信偈を拝読する熱心な真宗門徒であり、ボクのような若造でも「権現さん」と言って敬ってくださるありがたいご門徒です。
呑んでの会話も世界平和を願い、どんどんおかしくなっていく日本を憂い、政治のあり方などにもしっかり筋の通ったご意見を持っているのですが…
戦争は罪悪であるという話には「もっともです!」と言うにも関わらず、そこからご自分の戦争体験に及ぶと「○○○やら、×××××(どちらも戦時敵国民への蔑称)やら、あんな連中はどうしても許せん!」と言い、拉致問題等の国に対しても「あんな国が存在しとってはいかん!」と激高します。
ボクは、それらの国の体制には問題はあるし、戦時中のいろいろにもいろんな見方ができるが、そんな国の国民ひとりひとりが必ずしも悪いわけではない、と言うと「いや! あんな国のやつらもみんな一蓮托生! すべて裁くべきです!」と手に負えなくなってきます。
どんな国に生まれても人は人であり、腹を割って話せばわかる場合もあり、そんな人も大勢いるでしょう? と言っても「あんな国の連中と話す気はございません!」と。
とくに共産国に対する憎悪にも似た嫌悪が強く、旧ソビエトや中国には蛇蝎のごとくの言い分です。それに反論しようものならボクまで「赤」呼ばわりする始末でした。
選ばず・嫌わず・見捨てずという阿弥陀さんに朝晩手を合わせている意味はなんでしょう? ともにこの世に生を受けた人間同士が選び合い、嫌い合い、見捨て合ってる私自身に気づかずにいるなら、阿弥陀さんの御光に照らされてあることを拒否しているのと同じでしょう?
と問うと、じぃちゃんは言葉に詰まりました。そして「わたしは…、親鸞さんのお心に少しでも近づきたいと思ってお参りしているんです」と小さな声で語りました。だったら、どこの国だろうと、肌に色がなんだろうと、人と人のご縁が開かれていくこと、御同朋として交わっていくことを嫌ってはいけないでしょう?
と言うと、「でも!……」とまた激高しかけて、しゅんとしてしまいました。ボクも途中でだいぶ荒い言葉も言ったことを詫び、これからもいっしょにお参りしましょうと言って帰ってきました。
このじぃちゃんは戦時中、主に中国大陸に従軍し、台湾で敗戦を迎えたらしいですが、国のためにと命をかけてその時代を生き抜いてこられたことでしょう。殺さなければ殺される、敵を人だと思っていては殺せない、殺して当たり前の連中だと思うことで闘い、生き抜いてきたのでしょう。
そんな命と青春をかけた時代をどうこう言われたくない、それは正しかったことでなければ自己消化できないのだと思います。
敗戦後、60年以上もたっているのに、ボクがそう思ってみてもじぃちゃんにはまだそれが続いているのです。戦争の犠牲者というと、戦死者、空襲や原爆の被害者などを連想しますが、戦争をし、生きて帰った人もまた犠牲者なんですね。
人の心に深く深く沁み込んで離れず、いつまでも戦争から開放されない、なんて辛いことだろうと痛ましい気持ちです。また、ケンカになるかもしれませんが、このじぃちゃんとはずっと付き合っていきたいです。
小さなコート
本格的な冬かと思えば、また少し暖かくり、来週にはまた冷え込むそうですね。
愛息は元気に半ズボンで登校していますが、さすがにコートを羽織っていきます。
しかし、一昨年にはダブダブだったコートもやや窮屈そうに見え、来年は着られないかなぁ? と思わせます。
小さくなった衣類は、ご近所にいる幼稚園児に引き取っていただいていますが、こういうときに我が子の成長を感じますねぇ。
所属する学童野球チームのユニフォームも、だんだん大きなものを上級生にいただき、その姿も板についてきました。
毎朝、「行ってきまぁーっす!」と元気に出て行く子の後姿も、頼りなげさからたくましさに変化してきたようで、見ていて飽きません(苦笑)。
雪が積もれば、雪遊びをする姿もまた楽しみなものですよ♪
<今週の予定>
12/13>10:00~M家にて1周忌法要・15:00~寺にてT家50回忌法要・16:00~T家報恩講
12/14>午前~月忌・11:00~H家にて13回忌法要・午後~寺務
12/15>午前~月忌・11:30~O家報恩講・午後~寺務
12/16>午前~月忌・午後~市内U地区報恩講5軒
12/17>終日~月忌
12/18>午前~月忌・午後~寺務
12/19>終日~月忌
他人への配慮と意識
先日テレビで見たのですが、自分の額に「Q」という字を書いてみてください。
書きましたか?
で、なにがわかるのかというと、「Q」の字をどっち向きに書いたかということが問題なんですが、自分向きに書いた人は他人への配慮が希薄な人で、逆に書いた人は他人への配慮を意識している人なんだそうです。
あなたはどちらでしたか?
ボクは、日頃クルマを運転していると、こういう意識の有無がちゃんと運転に出るものだなぁと感じます。
ウィンカーを出さずに車線変更をし右左折する人。
雨や雪、早朝や夕暮れ、トンネル内でライトをつけない人。
車椅子マークの駐車スペースや、スーパーなどの出入り口付近に平気で駐車する人。
消防署などの前にある斜線の描かれた駐停車禁止スペースで信号待ちをする人。
これらの人々は、他人への配慮が希薄な人だといえます。
西川きよし師匠の口癖ではないですが、小さなことからコツコツと、ってのが大事だと思います。
私は私だけで生きているのはなく、否が応でも他人との関係の上に生きています。そんな関係の集まりが社会を形成しています。社会がおかしいなら、私という人間がおかしいからです。ともに考えましょう。
夫婦で200歳
怒涛の(?)在所報恩講ラッシュが、今日でようやくほぼ終わり今夜はホッと一息です。
報恩講も残すところあと15軒ほどで、やはりトータル250軒ほどになりそうですねぇ。
先日お邪魔した某在所には103歳のおじぃちゃんがいらっしゃいます。そして、その妻、おばぁちゃんはもうすぐ97歳で、おふたりで200歳ということを聞いてびっくりしました。
おふたりともいたってお元気で、しっかり正座してお参りになり、目も耳もお達者で会話にもまったく支障なしなので、感心しきりです。
このおじぃちゃん、明治39年生まれと今となっては貴重な明治の男で、おばぁちゃんもギリギリ明治の女なんです。今でも畑に出ているというからすごいし、だからこそお元気なのでしょうね。
百姓には土日も定年もないといいますが、100年以上変わらぬ生活を続けることが長生きの秘訣なのかもしれません。なにもせずに、日がな一日テレビを見てるだけでは、仮に長生きはできてもこのおふたりのようにはいかないでしょう。
今、できることをさせていただく日々。その日々の積み重ねが100年、おふたりで200年のご縁を継続させているんだなぁ、と思います。見習いたいですね。
年末? まだまだです
今年ももう終わりやねぇ、今日も報恩講を参った先でそう言われ、いーえ、まだまだそんな気にはなれませんと答えました(苦笑)。
報恩講そのものは200軒を超え、先が見えてきましたが、来年の年忌案内作成、今年最後の寺報編集など片付けるべきことがあるんですよ。
ちなみに来年の年忌は以下の通りです。年忌法要は寺から言われてつとめるものではなく、本来は各家にて管理し執り行うものです。
◇1周忌:2008(平成20)年没の方
◇3回忌:2007(平成19)年没の方
◇7回忌:2003(平成15)年没の方
◇13回忌:1997(平成9)年没の方
◇17回忌:1993(平成5)年没の方
◇25回忌:1985(昭和60)年没の方
◇33回忌:1977(昭和52)年没の方
◇50回忌:1960(昭和35)年没の方
<今週の予定>
12/6>午前~月忌・13:30~T家報恩講・14:30~T家報恩講
12/7>午前~月忌・12:00~T家報恩講・13:00~市内N地区報恩講7軒
12/8>9:00~市内T地区報恩講6軒・午後~寺務
12/9>午前~月忌・11:00~W家報恩講・午後~月忌
12/10>午前~月忌・11:00~T家報恩講・午後~寺務・16:00~U家報恩講
12/11>午前~月忌・12:00~K家報恩講・12:30~K家報恩講・午後~寺務
12/12>午前~月忌・13:30~Y家報恩講・14:30~H家報恩講
あるばぁちゃんの現状
報恩講を勤めていると、報恩講のときにだけお参りするお宅もあります。月忌でお邪魔するお宅は毎月いろいろなお話ができますが、こういうお宅では年に1回なため、驚くようなお話も聞きます。
市内某在所のSさん宅でのこと。
一昨年くらいまで元気だったじぃちゃんが倒れ、寝たきりとなったのですが、ばぁちゃんがひとりで介護し、田畑を耕し、大きな家を守っています。
じぃちゃんがお元気だったときには、当寺の永代経や報恩講にご夫婦そろってお参りされていました。しかし、じぃちゃんが寝たきりになり、ばぁちゃんは週に2度リハビリに病院に送り出す日々。
古くて大きな、いわゆる百姓屋敷です。じぃちゃんを車椅子に乗せて送り出したり、トイレに連れて行ったりするだけで小さな身体のばぁちゃんには重労働で、畑は自分の食べる分の野菜だけ作っているものの、田んぼまで手が回らず放置に近い状態とのこと。
そりゃそうですよ。と思い、ふと息子さんがいることを思い出し訪ねたところ、歩いてものの3分もかからないところの家に妻とともに住んでいるらしいのです。
手伝ってくれないのか? と訪ねたところ、いろいろ頼んでみるものの「忙しい」等の理由で相手にしてくれないと言う。
この家から歩いて行ける距離に、食料等を買いに行けるスーパー等はなく、生協の宅配と、自身がバスで病院に行った帰りに買ってくるしかないとも言う。病院では、ばぁちゃんの身体は疲れきっていて休養が必要だと診断されたと言われたらしいのです。
実の両親がこんな状態でも、なにもしない子とは? と疑問に思って聞いてみると、ひとり息子であり、S家の跡取りとして甘やかせすぎたと、その息子の家もじぃちゃんが建ててあげたものだと。
結局、ボクと役僧T氏は30分ほどこのばぁちゃんの話を聞いて、せめてヘルパーさんを頼んでみることを進言すると、ばぁちゃんはヘルパーさんの存在もよくわかっていないらしく、孤立無援さを感じました。
じぃちゃんがリハビリに行っている病院の人や、ばぁちゃんが通っている病院の人などに尋ねて、市役所なりに行ってみることを念押しして帰ってきましたが、暗澹たる気持ちです。
国の責任者は「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何でわたしが払うんだ」と愚痴を言う前に、こんな暮らしをしているご老人方の存在を知ってほしいし、手を差し伸べるシステムを考えて欲しいものです。
そして、両親にオムツを替えてもらい育ててもらったボクたちは、両親にオムツが必要になったならそのお返しをしてあげるご縁をいただく覚悟を持っている必要がありますよね、本当に。
植木屋さん
長年来ていただいている植木屋のYさんには、時節時節に来ていただいては境内の植木たちのお世話をしてもらっています。
そのYさんいわく、今週末には雪が降るから早めにタイヤ交換しておいた方がいいとのこと。お百姓さん、漁師さんなど常に空を見て外で仕事をしている方の予報って当たるんですよねぇ。
ということで、おそらく今年最後の休務日だった今日の夕方、母の愛車とボクのと2台のタイヤ交換をしました。ちょっと腰が…(苦笑)。
タイヤ交換の前には、さわやかな晴天に誘われて2時間ほどバイクに乗ってきました。
近所の卯辰山の紅葉、10日ほど前には今ひとつでしたが、今季初霜が降りた今日はとてもキレイでしたよ。思わず、バイクを止めてカシャ!
ですが、やはりだいぶ寒かったです。そろそろロングツーリングも春までお預けでしょうかね(笑)?
さて、明日から8日までは連日の在所報恩講で、ボクにとって1年で一番過酷な1週間の始まりです。がんばります!
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