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死刑制度に思う

Dsc00350死刑制度について、議論が盛んです。歴代法務大臣の中で群を抜いて多くの死刑執行にGOサインを出したことに端を発していますが、どう考えるのか? それぞれの思いや考え方があろうかと思います。

命という存在を考えた場合、人は無から命を作り出すことができないのですから、それを人為でもって消すことは許されないと思います。ということは、人為でもって命を奪う死刑という行為に反対するということは、殺人も、戦争も反対するということであり、逆に死刑を肯定することは、殺人を、戦争を肯定することになりませんか?

しかし、ここで大きな問題は人の感情です。被害者遺族がその殺人者に死刑を求めることは、当然の感情です。殺人者を許し、ふたたび世に放つことなど考えられないのです。

では、殺人者はどうして殺人者になったのでしょう? 生まれながらにでしょうか? 違いますよね。人は環境によって、何者にでもなります。環境とはなにか? 人が暮らすこの社会そのものであり、それは家族という小さな社会から、学校や職場、大きくは都道府県、国、星といった人が身を置く場所です。

殺人者を生み出す社会、それが我々が身を置くこの社会だとすれば、その社会の構成員である我々と殺人者は無関係ではなく、我々にもその責任の一端があるのではないでしょうか? 警察や教育に責任を押し付けるのではなく、私はこの社会に存在し、社会に対して何をし何が出来るのか? を考えることが、死刑制度の是非を問う前にすべきことだと思います。

道端に座り込む若者に眉をひそめることは簡単なことですが、ではウチの子や孫はどうだろう? と思いを馳せる。横断歩道のない道路を横切るお年寄りをみて冷や汗をかく、そしてそこからボクの両親や祖父母はどうだろうと思いを馳せる。というように、社会で見かける小さなことから、無関係でなく関係者としての視点を持ちたいものです。

人の集まりで暮らすからこそ人なんです。ボクもあなたも、すべての人はその集まりを構成する人として義務と権利、そして責任があるのです。その集まりから殺人者が出る、それは他人事でも絵空事でもないのです。

<今週の予定>

6/21>11:00~南砺市I家にて3回忌法要

6/22>午前~月忌・11:00~寺にてM家3回忌法要・午後~月忌

6/23>午前~月忌・11:00~寺にてS家3回忌法要・午後~寺務

6/24>午前~月忌・14:00~善福寺講②

6/25>午前~月忌・9:30~K家にて25回忌法要・13:00~A家にて1周忌法要

6/26>終日~月忌

6/27>午前~月忌・午後~寺務

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