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反応

Dsc01536一昨日、ご法事の席で「ブログ見てますよ」とうれしいお声をいただきました。「ありがとうございます! ぜひ、コメントもお願いしますね♪」と言って笑っていたのです。

しかし、「ご住職は死刑に反対なんですね。ボクは賛成派なんですよ」とおっしゃいました。「いえ、反対、賛成の前に考える土壌というものがあるということを書いたつもりなんですよ」とボク。その方が「あ、そうか」とおっしゃったところで、他の方がお酌にいらっしゃって尻切れトンボ。

死刑制度に関して、ボクはどちらかといえば反対ですが、反面、万が一にでも被害者遺族になったら賛成するだろうという人としての感情もあるんです。だからこそ、ボクも含めて皆が被害者遺族にならずに済むにはどうすればよいのかを考えたいのです。

2200年ほど前のことです。秦の始皇帝が中国大陸を初めて統一し、秦という法治国家を建てました。しかし、あまりに法の締め付けが厳しすぎて全国から秦朝に対する怨嗟の声、さらには反乱が相次ぎ、後の漢の高祖・劉邦によって秦は滅亡します。

劉邦は、①殺人には死罪②盗人には流罪③人を騙した者には鞭打ちという明快なみっつの法を打ち出し民衆に支持されました。しかし、2200年前の話です。人はこの2200年間、文明は進化したかもしれませんが、今だに人として成熟していないのかもしれません。

なぜなら、2200年を経た今でも殺人も盗人も詐欺もなくなってはいないのですから。感情でもって人を殺すことと、愛する人を殺された怒りの感情でもって死刑を叫ぶことは同じ目線ではないのか? と言ったらいいすぎかもしれませんね。すみません。

でも、いっしょに考えませんか? 殺人、盗人、詐欺を生み出す社会にともに暮らす人と人として。

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