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幸せと悲しみ

Dsc01523今日は富山湾をツーリングに行ってきましたが、そのお話は次回に譲るとして、とあるご縁について書きますね。

それは昨日の夕方のこと。愛息とキャッチボールをしていたとき、一台の軽自動車が入ってきました。お墓参りの方かな? と思ってみていると、クルマから降りた女性は寺の玄関の方へ向かうので、「なんでしょうか?」と声をかけました。

女性は「じつは・・・」と話し始めました。今年の2月ごろに流産され、お経をあげてほしいとのことでした。これまでもここでお話したように、真宗には供養という概念はありません。ご縁ある方の死という現実から、私自身も死にゆく身であり、それは一寸先の闇かもしれない今を生き生かされてあるということを教えていただくということだと、説明しそういうご縁での読経ならいたしますとお受けし、御堂に上がっていただきました。

御堂にて阿弥陀経を拝読し、お焼香していただきました。そして、しばしお話をうかがいながら、悲しみにくれる彼女と会話しました。今の悲しみには、その前の幸せがあったらこそではないですか? と問いかけました。

たとえ数ヶ月であり、お腹の中からでることがなかったとしても、その数ヶ月の間は確実にあなたはお母さんだったのですよ。その間の幸せは、なにものにも替えがたかったのではないですか? だからこそ、今の悲しみが大きいのはないですか?

人が生きるということは、すべてご縁によって成り立っています。生まれることなくその短い生を終えた命とのご縁があったという事実はあなたが死ぬまで消えることのないご縁であり、あなたの人生の一部としてあなたをとして成り立たしめています。

あなたがお経を読むことによって、亡き命に供養してあげるのではなく、そのご縁に感謝し、あなた自身がしっかりとその生を全うすることを亡き命は願っています、とお話したつもりですが、こういうご縁に慣れていないボクのお話がどこまで彼女に届いたのかと恐縮しています。

涙を浮かべ、感謝の言葉を述べて帰っていった彼女の背中が忘れられません。またのご縁があるならば、もっとお話したいと切に願います。

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