« GW、あと1日♪ | トップページ | 5月の風 »

多忙の後に思う

Dsc00345GWを乗り越えホッとしながら今日も月忌参り、寺報配布をして回っていました。車を運転しながら思い出すのは、最近ご法事の席でよく聞かれることです。

それは「いやぁ、お宅のお通夜とお葬式に出て、いいお話だったし、いいお声明でした。お通夜もお葬式もよく出ますが、なんかショボショボとお経を読んで、お話もなしに終わるのがほとんどなんでねぇ」というお話。

ボク自身も、他寺のご住職が導師をされるお通夜やご葬儀に出仕することがあり、同様の感想を持つことが多いのは事実です。うまいとかヘタとかではないんです。事務的に勤めているなぁ、と感じるのです。

これはご法事でも、月忌でも本質は同じなんですが、ボクらにとってはたくさん勤めるうちの一軒でも、その一軒にとっては唯一なんだと思うか思わないかだと思うんです。

前回に書いたとおり、4連休でご法事7軒にご葬儀2軒、疲れ果てました。でも、だからといって、そのうちの1軒や2軒を適当に勤めていいという理由にはならないんですよ、当たり前のことですが。

よく「お経の配達人」という言葉を聞きますが、そうなってはボクらはおしまいだと思うんです。一軒一軒とのご縁を大事にしなければ、お寺は成り立っていかないのです。いずれ、ご門徒の方が先祖代々のご縁よりも、お買い物の場所を選ぶように「安くて、早くて、合理的な」お寺を選ぶ時代が来かねないと思います。

そして成り立つ、成り立たないという以前に、ご縁を大事にするという姿勢をお寺が捨ててはならないと思います。一軒一軒のお参りのご縁を大事に勤めていくことは僧侶の在り方そのものであり、どれだけ世の中が変わっても「安くて、早くて、合理的」でない、もっと大事なものを守っていく存在であろうかと思いますが、いかがでしょうか?

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

|

« GW、あと1日♪ | トップページ | 5月の風 »

法務あれこれ」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

善福寺さんの正信偈訳で「いのちの喚び声のうた」と明示してあるように、宗教は本来、生命の賛歌なのだと思います。
日々をいきいきと暮らすための智恵。うつむかないで希望を支えに過せるように。
いのちを根本から説いて行く姿が優れたところなのでしょう。

お葬式を営むことにだけ意識が行ってしまうと、お坊さんも「好きでもないのに・・」としゃあないお経を読むことになるでしょう。

宗派の違いはいろいろあっても、佛教の深い慈悲というのは、やはり「生命の賛歌」として、脈々と流れているのだと思います。


投稿: 風鈴 | 2008年5月 9日 (金) 07時25分

そうなんですよねぇ。しゃあないで勤めていては何も伝わりませんし、ご縁への感謝もありませんね。

誰もがさまざまなご縁の中で生きていることを少しでも感じていただき、またボクたち自身においても再確認していくことで関係が成り立っていくはずなんです。
さまざまな職業があってビジネスライクにこなす、しかしボクらは法務で生計を立ててはいても、ビジネスライクではいけないはずなんですね。

投稿: Kei@住職 | 2008年5月 9日 (金) 17時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« GW、あと1日♪ | トップページ | 5月の風 »