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仏教徒として

079syaka北京オリンピックの聖火リレーでの混乱が続く中、日本でのリレー出発点となっていた長野の善光寺さんが、その辞退を発表しました。

善光寺さんは「チベットの宗教指導者が立ち上がり、それに対し弾圧しているので、仏教の寺として考えた」結果と語り、また「われわれはチベット人と同じ仏教徒との気持ちが強かった」とも語ったといいます。

そもそも独立国であったチベットを清朝が支配し、清滅亡後に独立するも中華人民共和国が成立後、チベットを開放するという理由によってこの地を武力占拠したと言われ、それ以降は中国による併合である、ないという動乱が起り、チベット人への差別や弾圧が現在まで続くといわれています。

ボクは正直なところ、この問題とオリンピックを結びつけて考えたり、行動したりすることには違和感を持っています。それは以前に書いた重慶でのサッカーの国際試合での騒動と同じで、スポーツは国、政治信条、民族、肌の色などによるものを超えた平和的なものであるべきだと思うからです。

しかし、今回の善光寺さんの決断によって、我々は「仏教徒として」この問題をどう向き合うのか? というご縁をいただきました。他宗派ではどうかわかりませんが、我々はどうしても仏教徒というよりも真宗門徒としての意識が強く、ややもすれば他宗派だけでなく、他国の仏教とのつながり意識が希薄です。

我々は真宗門徒でありますが、仏教徒としての意識を持ち、国や宗派を超えた視点でこの問題と向き合っていきたいものです。チベットはもちろん、中国にも多くの仏教徒が存在するのですから。

<今週の予定>

4/19>午前~寺務・15:00~T家にて49日法要

4/20>午前~月忌・午後~寺務

4/21>休務日

4/22・23・24・25>終日~月忌

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