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なぜヒトゴトなの?

Dsc01378とあるお斎(おとき=法要後のお食事)の席でのこと。ボクの斜め向いに座っていた70歳すぎの男性との会話のことです。

「いやあ、ワシャなかなか寺には行く気にならん。これからの若いもんにしても同じや。寺も大変ですわな」と笑って言う。一体この人は誰に何を言いたいのか?と思いながら、「でも、それでいいと思ってるんですか?」と聞き返すと、「今は、もうそういう時代や」と答えになっていない。

その後も何か言っていたんですが、正直この手の話はあまり聞く気になれず、カラ返事していたのは確かです。すると「若、アンタ、もうちょっと人の話を聞かなならん!」と、それまでボソボソしゃべっていた声を大きくして言うのです。

「聞いてますよ。ただ、あなたの声が小さいのと、言ってることがおかしいのでちゃんとは聞いてませんでした」とハッキリ言いました。すると、ボクが言い終わるかどうかの前に、すでに横を向いて「怒られてしもた」と笑っています。

呆れて、しばらく無言でいましたが、やはり言い過ぎたかなと思い、他の人の話の流れの中でその方に「さっきはすんませんでした」と言いました。しかし、なんとなく気まずい空気の中でボクは退席しました。

その方が「この若造が」と思われたことは想像にかたくないし、ボクも大人気なかったと思います。しかし、機会があればちゃんとお話したいです。なぜ、そんなにヒトゴトのように「これからの若いもん」のことを語るのか?ということを。

この方は寺に来たこともない、そのお斎の直前に亡き方から教えられてあるわが身の生と死を、残った我々はどう引き受けていくのかというボクの話を聞いていなかったことも明白です。「時代は変わった」ということを安易に受け入れ、代々受け継がれてきたものを否定し、それを子や孫に引継ぐことをしていないし、する気もないいいトシをしたおじさんたちをボクは嫌というほど見てきてます。

その良し悪しを見極めようともせずに、単純に時代の変化に迎合することで子や孫に理解ある年寄りであろうとする姿に、正直なところ辟易しています。闇雲にガンコであれとは思いませんが、新しくてもダメなもの、古くても残すべき大事なものがあります。それを見極め、子や孫に苦言を呈すのが年寄りの大事な役目であるはずです。そうでないなら、伊達にしかトシを取っていないことにしかなりません、と言ったら言い過ぎですか?

時代は変わります。当たり前のことです。でも、ボクはそれを安易に受け入れるようなトシの取り方はしたくないです。テレビを見て「今どきの」とヒトゴトのように言うのは簡単で無責任なことです。では、我が家の子や孫はどうなのか? と目を向け、間違っていたら「それは違うぞ」と言うことが一番小さな社会単位である家族を育てるということです。その一番小さな社会単位を変えなければ、我々の暮らすこの暗澹たる大きな社会は変わりません、けして。

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