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2008年2月

人の為は偽り

Dsc01346ちょうど今テレビを見ながら書いてますが、歌舞伎役者さんと人気女優さんのご夫婦が正式に離婚されたとか。双方からのファクスによれば「子どものことを第一に考えて」という内容らしいです。

ボクはすぐさま「子どもを第一に考えてたら離婚はせぇへんやろ」とツッこみをいれたくなりました(苦笑)。どちらも人気者であり、今後まだまだご縁もあることでしょうが、芸能人である自分を第一に考えての結論に見えますよね。

まぁ、彼らのことはよいのですが「人の為と書いて偽り」という使い古された言葉がよく似合うご時世だなぁと感じます。人の為と言って、何を偽っているのか? 自分自身の心です。自分の為なのに人の為といっていることが偽りなのです。

非常に厳しいことですが、愛するものを亡くして泣くという行為も結局は「大事な人を亡くして辛いわが身を悲しんでいる」という限界を超えることはできず、供養という行為も亡き人の為になにかをしている自分の心の隙間を埋める行為にしかなっていないんです。誤解しないでいただきたいのは、けしてそういった行為を否定しているわけはないですよ。いたって自然なことなんです。でも、それは自分の為という限界を超えてはいかない行為なんです。

これも有名なたとえ話ですが、あるところに毎月の月命日に亡きご主人のお好きだったコーヒーをお内仏(仏壇)にお供えしているおばあちゃんがいらっしゃいました。そこへお手次寺のお坊さんが月忌参りに来て「ばあちゃん、コーヒー好きなじいちゃんやったんやったら日に3杯くらいは飲むのと違う? 月に一杯のコーヒーでは足りへんやろ」と言っておばあちゃんがびっくりしたというお話。

むろん、このおばあちゃんは純粋におじいちゃんのことを思ってコーヒーをお供えしているし、このおぼうさんはその行為を非難しているという話ではありません。亡き人の為と思っていても、結局は自分の都合による解釈で知らず知らずのうちに「せめて月命日くらい」というツジツマあわせをしているのが人の気持ちの限界だということです。

開運だ、ご加護だ、化けて出るな、と勝手なことを思いながらお内仏やお墓で手を合わせている人などは明らかに自分の為ですが、それは自分の利益や保身のためですし、亡き方はそんな便利屋さんではないことは以前にも書きましたね。

自分が今、生き生かされてあることへの感謝、亡きご先祖たちがいて自分がこの世に生まれ出たという紛れもない事実の自覚から「ありがとう」と言えるかどうか、亡き方が身をもって示している「私も必ず死ぬ身である」という現実(=教え)を自分自身がしっかり引き受けていくことが亡き方との真の関係を開くということです。けして、為といって何かをしてあげるものでも、さらにその見返りを求めるものではありません。

<今週の予定>

3/1>終日~寺務

3/2・3>終日~月忌

3/4>午前~月忌・午後~寺務

3/5>終日~月忌

3/6>午前~月忌・午後~寺務

3/7>終日~月忌

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公人と私人とマスコミ

Dsc01364今日のテレビは朝から、横綱の不機嫌な顔をよく観ましたねぇ。ふだんお相撲はまったく観ないし、あまり興味もないボクですが、この横綱の顔はここ半年ほどよく観ますねぇ(苦笑)。

昨年は巡業(よくわかりませんが)をサボって、故国モンゴルでサッカーをし謹慎してたり、今回は兄の結婚式出席のためハワイに行ってアロハシャツを着ていたとか。サボりはよくないし、謹慎処分はやむを得ないと思います。しかし。

彼が外出するたびに、モンゴルまで、ハワイまで追っかけてはその様子を取材しなければならないものでしょうか? 彼が「死ね、このヤロー」と言ったかどうかは知らないし、なんぼなんでも言っていいことと悪いことがあろうかとは思いますが、どこへ行ってもついてくるマスコミにうんざりしててもおかしくはないと思います。

これが一般人だったら、ここまで付きまとわれればストーカーと呼ばれ、訴えられてもおかしくない、といったら大げさですか? 公人である以上、やむを得ないと言い切れますか? 公人が私人になる場合は許されないのですか?

以前より疑問に思っていましたが、芸能人に彼氏や彼女ができたり、破局したりした場合に、マスコミは執拗にマイクを向けコメントを求めるシーンを目にします。そして、あたかもそれが当然の権利であり、取材対象がコメントすることは公人としてこれまた当然の義務のような扱いに違和感を覚えます。

そこでコメントするもしないもそれは自由であろうと思います。報道の自由と、公人であっても最低限の私人性やプライヴァシーがあるということの境界線が必要かと思います。少し前にあった歌手の倖田さんの発言問題にしても、不用意であり公人というより大人としての自覚にかける発言だと思います。しかし、それを取り上げているメディアの過剰報道には辟易しました。

たまたまあるニュース番組で、涙を流す彼女を観ました。ボクはあれでじゅうぶん彼女が反省されている様子を知ることができましたが、これがひとつのテレビ局の独占放送だったためかどうかは知りませんが、他局では「やはりもっとちゃんとした記者会見を開くべき」という論調でした。

ボクは彼女の歌をちゃんと聴いたこともないし、とくに興味もないですが、本人は春からのコンサートツアーを自粛したいという意向だとか。それでじゅうぶんではないのでしょうか? なぜ、あらためてさらし者と言ったら言い過ぎかもしれませんが、二度も三度も涙を流す姿をさらす必要があるのでしょう?

一般の犯罪であっても、ワイドショーなどはよくその容疑者の生まれ故郷などに行って幼少のころやかつての同級生、ご近所の人のコメントを集めては報道していますが、これもいかがなものかと観るたびに思いますね。え? 観てるなら言うなって? でも昼間、家にてテレビを見られるからこそ思うことなんですよ。

日本人は故ダイアナ元王妃が好きらしいですが、彼女が死んだ経緯を考えるとマスコミの在り方への疑問もあってしかるべしではないですか?

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ちょっとした間違い

Dsc01369つい先日のこと。ご門徒Tさんからの電話があり、相方が出ました。内容は明後日の月忌を明日の午前中にしてほしいというものだったとか。

そして翌日の午前中、そのTさん宅にお邪魔しましたところ、「あれ? 住職さん? え? なんで?」と、びっくり顔のご主人。「へ? あれ? 昨日電話いただきませんでしたぁ??」とボク。「いやぁ、そんな電話しとらんけどなぁ」という答え。そう言われた以上、そうなんだと思い「あ、わっかりましたぁ! じゃ、なんかの手違いやと思うし、明日また来ますわ!」と辞去しました。

クルマに乗り込み、ケイタイを手に寺に電話し、相方にその旨を伝えると「えぇ? 間違いないはずだけど・・・」と言う答え。そこで「それって、ひょっとして今日の夕方に行ってる○×町のTさんとちがう?」と聞くと、「あ、そうかも・・・」。

そして、すぐに○×町のTさんに電話し「昨日、寺に電話されましたか?」と聞くと「はぁい! そろそろおいでるかなぁと思ってお待ちしてますよ」という答えに、「はい、すんませんな、今からお伺いしますね!」と言って駆けつけました。

金沢、いや石川では在所(農村等)の出身地にちなんだ苗字が多く、かつてその在所密接な関係にあった寺のご門徒には、同じ苗字の方がとても多いのです。で、同じTさんでも、今日行くTさんと明日行くTさんがあったり、同じ日に行くYさんがあったりとややこしいことがあるんですね

「○×町のTですが」と言っていただけるとありがたいのですが、その○×町にもTさんが数軒あったりするから、またややこしいですね(苦笑)。

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たま駅長に会いたい♪

20080106k0000m050025000p_size5この画像は、和歌山電鉄貴志川線・貴志川駅の駅長さんです。左のおじさんじゃないですよ、右の猫の方です。名前は「たま」といい、メスの三毛猫、8歳(人間でいえば45歳くらい)です。

ちょっと前に所ジョージさんの番組で紹介されて以来、猫好きなボクは、すっかりたま駅長のファンになり、一度お会いしに行ってみたいとひそかに思っています(笑)。

しかし、廃線寸前だったこの貴志川線は地元住民の存続を願う熱意と、おもちゃ電車やいちご電車といったさまざまなアイディア、そしてこのたま駅長のおかげもあって、客足は順調に伸びているといいます。

猫を駅長に! という経営陣や地元の方々の柔軟な考え方、そしてそんな期待にこたえるように、毎日ちゃんと駅前でお客を迎え、電車発車時には「にゃあ」と鳴くたま駅長の賢さに感心しきりです。常識はずれでは困りますが、杓子定規なだけでは何も変わらない、頭にも柔らかい部分と、それを素直に受け入れる度量を持っていたいなぁ、と思います。

今年のツーリングの目的地として、この貴志川駅のたま駅長に会いに行く、いいかもしれませんね(笑)♪

<今週の予定>

2/23>終日~月忌

2/24>午前~月忌・11:00~S家にて1周忌法要・14:00~S家にて13回忌法要

2/25・26>終日~月忌

2/27>午前~月忌・午後~寺務

2/28>午前~月忌・11:00~寺にてS家永代祠堂経法要・午後~月忌

2/29>休務日

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スポーツマンシップ

2006070304562530jijpspoview001 今、サッカー東アジア選手権、日本対中国戦を見終わりました。なんか、とてもギクシャクした異様な雰囲気の試合でしたね。場所はやはり以前問題となったとき同様、中国の重慶という都市です。

「正々堂々と全力を尽くして競技するスポーツマンとしての態度・精神」とは、スポーツマンシップを表した言葉です。そして、これはサポーターにも求められる精神ではなかろうかと思います。

さすがに今回は、以前と違って日本側への罵詈雑言は自粛されていましたが、試合が終わってノーサイドというにはほど遠く、国際試合を行う国、国民としてという定義において中国のサポーター方にはまだ学習が必要かと感じました。

ただし、この重慶という都市に関していえば反日感情が高いことは止むを得ないということを日本人の多くは知らないのかもしれませんね。重慶爆撃をご存知ですか? 日米戦争以前、ちょうどナチス・ドイツがスペインのゲルニカを無差別爆撃した翌1938年から日本が南京陥落後に中国の首都が置かれた重慶に対して行った都市への無差別爆撃のことです。

まだ、ドイツ以外の国に戦略爆撃という思想はなく、軍事施設でない都市部への無差別爆撃は戦時国際法違反として国際的に大きな問題となりました。まぁ、結局アメリカもイギリスもここからヒントを得て後にアメリカは日本へ、イギリスはドイツへの都市無差別爆撃を行うわけですが。

ともかく、そんな時代に日本はこの重慶に200回以上の爆撃を行い、一説には死者1万人以上、都市部の8割が破壊されたと言われます。むろん、中国政府による反日プロパガンダといった側面もあろうかと思いますが、ともあれそんな過去から反日感情の強い都市であるということを日本人は知らなさすぎるという部分もありますね。

しかし、ボクが言いたいのはそんな背景があってもスポーツというものは、そんな国家間や国民感情をも超越したものでありたい、あってほしいという願いなんです。たしかに、サッカーのメッカであるヨーロッパや南米でもサポーター同士の乱闘や暴動といったことは多いのです。でも、そんなニュースを聞いて誰が喜ぶでしょう?

一生懸命プレイする選手たちは決して、そんな行為を喜ばないと思います。試合が終わればノーサイド、そんなスポーツだからこそ見ていておもしろいし、感動を与えてくれるのだと思いませんか?

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ご注意ください

Dsc01365金沢は一昨日からの降雪により30~40センチの積雪となっています。そんな昨日、雪カキをしているボクらの横を一人のご婦人が素通りし、当寺の墓地へと入っていかれました。

あっけに取られていると、しばらくして出てこられ、母が「お墓、入れなかったでしょう?」と言うと、「ええ、道の雪は少なくなってもお墓にはあるんですね」とボソッと言って帰っていかれました。

ひと昔前なら、こんなことはなかったものです。冬場はどこの墓地も雪で春彼岸くらいまではダレも立ち入ることなどなかったものです。しかし、最近の積雪の減少と開運だとかご利益だとか意味不明なお墓参りブームのせいで、こういう方が増えました。

どこのお寺でもそうですが、御堂の大屋根の雪はその重みを軽減するために滑りやすい瓦を使用し、落下しやすくなっています。また、その面積の大きさから落下する雪も大量です。たとえば30センチの積雪であれば、大屋根の下にはその倍が堆積すると考えてください。

そんな墓地に入れないのは言うまでもなく、入れないだけならまだしもその雪の落下するところに人がいたら大惨事になります。ひと昔前なら、こんなことは注意しなくても、みなさん心得ていてくださったものですが。

ご注意ください。御堂前にも張り紙をしましたが、積雪時のお墓参りは無理であり、それ以前に危険です。雪解けの春までお控えくださいますように。

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モンスター○○?

Dff0d384モンスター・ペアレンツ、モンスター・ペイシェント、日本語で言うと「怪物・両親」に「怪物・患者」でしょうか。やたらと増えているそうですが、一体なんなのでしょう?

親たちは学校に、患者たちは病院に、理不尽な要求をする現象の原因はどこにあるのでしょうか? たとえば、要求をしないまでも、自分がどういう時に理不尽な感情を持っているかを考えると、お金を払っているのに満足が得られないときだったり、対応に不満を感じたりという場合かもしれませんね。

そこで思うのは、この「お金を払っている」という前提に問題があるにでは? と思いますが、いかがか? ちょっとした買い物などでも、お店側が「ありがとうございました」と言っていても、お客側は言わない光景をよく見ます。ちょっと前までなら、お客も「ありがとう」と言っていませんでしたか?

お金を払うこと至上主義とでも言えばいいのか、お金をもらう方は言うことを聞いて当たり前という感覚が蔓延しているように思います。だから、そこに感謝もなにもなく、当たり前という感覚がエスカレートしているのだと思います。

いくらお金があっても、使用する場所や接客し応対してくれる人がいなければなんの役にも立たず、病院があって、医師や看護師さんがいて、初めてわが身の健康状態を知ることができ、学校があり先生がいて初めてわが子がそこへ通い授業を受け、お友だちができるわけですよね。

そんな医師、看護師、先生、店の店員等々は給料をもらっていても、お金を入れればほしいものがでてくる自動販売機ではありません、我々とおなじ地の通った人間です。お金のやりとりがあっても、人と人のご縁の場であり、お互いにおかげさんでの関係がそこにあるはずですよね。仕事をしていて「ありがとう」と言われて嫌な気分になる人はいませんから。

<今週の予定>

2/16>午前~月忌・11:00~N家にて50回忌法要

2/17>午前~月忌・11:00~T家にて3回忌法要・月忌

2/18>午前~月忌・午後~寺務

2/19>午前~寺務・午後~月忌

2/20>午前~月忌・午後~寺務

2/21>休務日

2/22>終日~月忌

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連休ぎらい・2

48574067この三連休、みなさんはいかがお過ごしでしたか? ボクは疲れ果てました。

一昨日はご法事2軒、昨日はご法事とお葬儀、今日はご法事で、その合間には月忌参りがあって、3日とも走り回ってました。それも距離が長く、時間がないという状況です。

たとえば昨日は10:30に金沢市内でご法事を45分で終え、12:00かほく市でご葬儀です。休日のお昼前後は混みます。それでも遅れるわけにはいかないので、頭の中で精一杯地図を広げて少しでも早くいける道を考えながら走りました。

今日は、10:30のご法事でのお斎が湯涌温泉で、会食を中座しまたまたかほく市に走って月忌3軒という日程でした。車があり、環状線という道路があってこその芸当ですが、どっちもなければこんな日程は組めないし、望まれないと思うと便利なものはしんどいものなんだなぁと思います。あぁ、疲れた。寝ます(苦笑)。

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差異を認める世界の発見?

07最近気に入って観ているテレビ番組に「秘密のケンミンSHOW」(毎週木曜21:00~よみうり系)というのがあります。

いやぁ、おもしろいですねぇ。この小さな国にある47都道府県の県民の習慣や言葉にはこれだけ多種多様さがあるものかと感心し、笑い、驚いています。しかし、中でも一番驚くのは、その多種多様さよりも、そこの県民もそれを当たり前だと信じ込んでいるということなんです。

たとえば、画像は今週放送で紹介された宮城県のお話ですが、宮城県では「とても」という言葉を「いきなり」と言い、それは宮城県だけだというと一様に驚いているんですね。これは、宮城に限ったことではないようです。

これも今週放送の話ですが、「きびだんご」というと多くの人は岡山県とイメージしますが、北海道にはまったく別物の「きびだんご」があるそうで、全国的にどうであろうと北海道でのきびだんごは平べったくて長細くて茶色いものなんだそうです。

不思議ですね。これだけ情報が氾濫し、テレビ、ネットでは標準語とやらが飛び交っているのに、宮城では「あ、標準語ではイキナリって使わないんだ」と思わず、北海道ではきびだんごは岡山というイメージがなされない。

東京に住んでいたときに、羽咋出身の後輩がいました。彼は東京に5、6年住んでいても能登弁(?)のままで、あるとき座敷の掛け軸を直していると「あ、そこ、かたがってますよ」と東京の職員に言いました。その職員は「え? かた・・・なんだって?」という反応で、それを横で見ていたボクは思わず噴出してしましました。

いや、べつにどちらがおかしいというのではなく、単純にそのやりとりがおもしろかったんですが、「かたがっている」はおそらく石川県内か、せいぜい北陸でしか通用しない方言で、東京の人はもちろん、他府県の人には通じない。そして北陸では「曲がっている」あるいは「歪んでいる」ということを、「かたがっている」と表現する差異の発見があった瞬間でした。

さぁ、差異の発見の次は、その差異をお互いに認め合う関係が開かれていくことです。それは人と人は差異のカタマリ同士であり、よく言う価値観が同じなどということはあり得ないことです。だからこそ、そこにお互いを理解しあう関係を開いていくことが人と人の交わりには不可欠なんだと思います。

おもしろい番組ですが、ただその差異を笑い飛ばすだけでなく、そこに「なるほど」という理解をもって観ることによってさまざまざ発見がありますよ、きっと。

<今週の予定>

2/9>午前~月忌・10:00~I家にてご移徙法要・午後~月忌・14:00~寺にてT家永代祠堂経法要

2/10>午前~月忌・10:30~I家にて3回忌法要・正午~T家葬儀

2/11>午前~月忌・10:30~N家にて49日法要・午後~月忌

2/12>午前~月忌・午後~寺務

2/13>休務日

2/14・15>午前~月忌・午後~寺務

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ギョーザ騒動

Gyoza毎日ニュースもワイドショーも農薬ギョーザの話題です。

ボクもギョーザは大好きで、画像にあるのは中でも大好きな京都祇園の泉門天というお店のものです。いわゆる一口ギョーザで、女性でも2~30個は食べられます。たとえば、3人でお店に行ったとしたら「とりあえず100個」と注文するんですよ(笑)。たまぁに食べたくなってネットでお取り寄せしてます。

そんな日本人の大好きなギョーザに農薬が混入し、全国で被害が出ていることはなんとも痛ましい話だと思いますし、ウチも生協を利用しているのでヒトゴトとは思えません。ただ、どこの過程で農薬が混入したものかが判明していない現段階で、中国産だからとなんでもかんでも排除している動きはいかがなものかと思います。

人件費などの安さから中国産に頼っている現状でのこの風潮は、今後の日中両国に、そして我々日本人の食事情にあらたなシコリや変化を残す危険性もあり、厳密な調査の上、再発防止に努めていただきたいと思いますね。

日本は、食だけでなくあらゆる分野で中国だけでなく世界中に依存して成り立っていることをもう少し自覚する必要性があると感じます。そしてそれが地球温暖化に大きく関与していることも。世界中から運ばれてくる食材等は船、飛行機などを使って、地球の裏側からも日本にやってきますが、それらの乗り物はすべてCO2を排出しています。

毎日ピストン輸送されるそれらの食材を使ったもの、たとえばコンビニのお弁当の多くは賞味期限切れ等で廃棄処分されています。残れば捨てる、なければ買えばいい、そんな安易な思いや行為が確実に地球に、つまり我々の住む環境にダメージを与えていることを考えなければならないのではないですか?

雪が少なくなった冬。楽でいいなぁ、と言ってられる今がいつまで続くかはわかりません。その楽は、そのうち取り返しのつかない状態への序章にすぎないのかもしれません。昔から言いますよね、楽あれば苦ありと。

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新年門徒懇親会

Dsc013582月第1日曜日の昨日は善福寺・新年門徒懇親会でした。

役員総代に世話方、一般門徒が集って昨年の決算や活動、今年の予算や活動予定等を報告し承認いただく門徒総会~懇親会という日程です。

伐採したケヤキの活用法、善福寺講~正信偈に学ぶ会、宗祖親鸞聖人750回御遠忌に向けた取り組みなど住職のボクや前住職、役僧T氏だけでなく門徒さんの声を少しでも拾いながらともにつくっていくお寺でありたいという願いから毎年開催しています。

しかし、この集いや次の春彼岸会、夏の盂蘭盆会など、永代祠堂経会と報恩講という軸になる法要以外への参加が少ないのが課題ですね。今回も24名ほどと総会というにはほど遠い人数です。

懇親会の席でも、なんとかしようという話が出て「住職、もっとがんばってくださいよ!」と言ってくださったのですが、ボクだけががんばってもタカがしれてます。そこで「そらもう、がんばってますよ。でも、Kさん、ボクだけでなくあなたもできることからお願いしますよ。まず、奥さんを連れてくること、そこからですよ」と答えました。

結局のところ、ヒトゴトで言うだけなら誰にでも言えるんです。ひとりひとりが門徒である、役員である自覚を持って有言実行してもらわなければ寺は成り立ちません。その自覚をうながす、教えでつながっている同朋としての自覚をもってもらうのがボクらの役目かな、と思ってますが、それがまだまだ足りないのでしょうね。がんばります。

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Love the Earth

Badge1皆さんはラブ・ジ・アースという活動をご存知だろうか? バイクを愛する人たちの地球を愛する活動であり、コンセプトは

「バイク乗りだから知ってる大地

バイク乗りだからわかる風

そしてバイク乗りだからできること」です。

そんなボクらは、どう地球と向き合っていくのか? を考え、ライダーだから感じる小さなことから始めて行こうということです。ラブ・ジ・アースは走ることの楽しさをいただいている地球に何を返していけるか? をひとりひとりのライダーから考えて行こうと定期的に日本全国の海岸などのゴミ拾いや清掃活動をしています。

実際、山や海へツーリングに行くと自然の美しさや爽快さを感じるとともにゴミが散乱する光景を目にします。なんで、こんなキレイなところに? という疑問、そして自分はどうか? 吸殻や空き缶、ペットボトルのポイ捨てをしてないか?

ライダーひとりが、空き缶一個でも二個でも持ち帰り、そんなライダーがひとりがふたりと増えていくという輪を広げていこう、そんな活動です。バイク乗りにあまりいいイメージを持っていない人もいらっしゃるかもしれません。でも、こんなふうに考えているライダーが全国にいるんですよ。ボクもこの活動に参加してみることにしました。

もちろん、バイク乗りだけでなく、圧倒的多数である車に乗る方おひとりおひとりもいっしょに考えていきたい問題ですよね。

興味ある方はLove the Earthホームページをご覧くださいな。

<今週の予定>

2/2>午前~月忌・13:00~S家にて1周忌兼17回忌法要・月忌

2/3>午前~月忌・15:00~新年門徒のつどい

2/4>午前~月忌・午後~寺務

2/5>終日~月忌

2/6>午前~月忌・午後~寺務

2/7>終日~月忌

2/8>休務日

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