こんな世の中だからこそ
いったい、私はいつ死ぬのだろう? あと、何年生きられるのだろう?
そんなことに思いを馳せたことはありませんか?
人にはそれぞれ寿命が決まっていると思いこんでいる方が多いそうです。本当ですかね? 仮に著名な占い師さんなり、修験者なりが「あなたは、あと○○年大丈夫ですよ」と言われて、それを信じますか? ボクには、そのお方にそんなことがわかることよりも、それを信じる人が多いことがとても不思議です。
人は必ず、いつか死ぬ。そんなことは、みんなわかっている。しかし、それはいつ? という答えがないから不安になる。
人に「お元気ですね」と言われると、「なぁに、もう先は長くないですよ」と言い、「もう歳なんだから」と言われると、「なぁに、まだ5年くらいは大丈夫だ」と言っていませんか?
その根底には、いつ死ぬかわからない私への不安があるがゆえです。「もう、この歳になったらいつお迎えが来てみいいですわ」と言っていても、仮に「でわ、1分後に死にましょうか?」と言われて、「はい、お願いします」と答えられはしないでしょう。
「煩悩具足の凡夫」とは、そういう我々、つまりいつ死を迎えても悔いのない今を生き切っていない存在なのです。親鸞聖人はご自身をもそうであると表現され、蓮如上人はそんな存在に対して「後生の一大事をこころにかけて」と言われ、だからこそ両人とも「念仏申せ」と言われたのです。
阿弥陀さんから、「今、生かされてあるあなたを生き切ってください」と願われてあることに気づいてこそ、「はい」とその願いに応えることが「念仏申す」と言うことだと思います。そこには、ご利益や開運といった下世話なものは存在しません。ただ、さまざまなご縁のもと生かされてあるわが身を、生ある限り生き切ることのみです。
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