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2007年12月

大晦日のご案内

Dsc00750 明日はいよいよ大晦日ですね。雷と雪模様で、ようやくそれらしくなってきました。

まだ大掃除に追われていますが、明晩の予定をお知らせするとともに、ご参詣くださいますようご案内いたします。

★12月31日=大晦日の夜・11時10分より~除夜の鐘撞き108発

 今年の煩悩は今年のうちに打ちます。日付変わって元旦0時から打ち始めると思っている方が多いようですが、元旦と同時に打ち終わるのが本当ですのでお間違えなきよう。どなたでもどうぞ。

 ご門徒のKさんのご好意により、温かい甘酒(ノンアルコール)をご用意しておりますが、数の限りがありますのでご了承ください。

★1月1日=元旦の朝・0時すぎより~修正会(新年発勤行)

Dsc00003  大晦日に打ち始めた除夜の鐘を元旦になると同時に打ち終えますと、そのまま御堂にて2008年初勤行=修正会をつとめます。

 ご門徒であるなしに関わらず、どなたでもご参詣いただけますので除夜の鐘を打ち終えた方から御堂へどうぞ。正信偈のおつとめ、おとそ振る舞い、住職の感話があります。

神社等のように、願い事は受け付けておりませんが、真宗門徒としてぜひ阿弥陀さんとともに、親鸞さんとともに新年をお迎えいたしましょう。皆さまのご参詣、お待ちしております。

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大そうじ

Dsc01302 今日は、御堂の大そうじでした。

御堂の内陣にあるものをすべて外陣に出して、すみずみをからぶきしました。永代祠堂経会や報恩講の前にも掃除しますが、このときばかりは、ご本尊や祖師(宗祖親鸞聖人)や御代(本山歴代)前を中心にすす払いしました。

明日には、役僧T氏がお正月用の仏華を立ててくださいます。ボクらは、引き続き寺務所等の大掃除。お天気は年末年始にかけて雪模様とか。でも、雪が降らないと大晦日、お正月を迎える気がしません。少しくらい降ってほしいですね。

<今週の予定>

12/29>終日~大そうじ

12/30>午前~月忌・午後~大そうじ

12/31>終日~大掃除・除夜会&修正会準備・23:10から23:59~除夜会

1/1>00:00から01:00~修正会

1/2・3>正月休務

1/4>終日~月忌

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やれやれ・・・ふぅ

Dsc01292 寺報、年賀状の発送を終えました。

ようやく年末モードに入れそうです。でも、雪も降らず、気温も比較的に暖かい、どこかまだ今年は一ヶ月くらいあるような感じもしますね。

今日は、ひさしぶりに晴天で、バイクに乗りたいと思いつつも午前は月忌に回り、午後は寺務所で家族と役僧T氏とともに寺報の発送作業に追われました。

相方、愛息、ともに風邪ぎみです。ボクはなんとか風邪とまではいかないまでも、鼻づまりという状態です。御堂の大掃除等、年内の仕事はまだまだありますので、体調管理しっかりしたいものです。

皆さんも、外出後の手洗いとうがいをしっかりして体調管理してくださいね。

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年末・・・しかし(汗)

Dsc00629 今年もあと7日しかないんですねぇ。

でも、まだ寺報が入庫しないので発送もできず、ようやく来年の年忌案内が完成した段階です。あ、年賀状も作らなきゃなりませんよね(苦笑)。

寺報は明後日発送予定です。世話方のみなさま、暮れのお忙しい時期での配布となりますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

暖かいような、寒いような、と気温のせいにしてはいけませんが、なんだか今年の年末仕事は遅れがちですみません。というわけで、今夜はこのへんで失礼いたします(恐縮)。

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忘年会

832905 夕べは恒例の忘年会でした。この集まりは、特定の会などのものではなく、おいでよ、と声をかけ合い集まるものです。

昨夜は20代、30代、40代の若手僧侶がおよそ25名ほど集結しましたが、真宗の僧侶が普段着で集まっていると、どうしてもお坊さんの集まりには見えません(笑)。

やはり、髪があって、服装もジーンズや皮ジャンなどのラフなものだからでしょうかね? でも、しゃべっている内容からお店の人がびっくりして「えっ? みなさん、お坊さんなんですか?」と聞いてきます。

非僧非俗といわれる真宗僧侶ならでは、ですかね(苦笑)? まぁ、そんな感じで、皆だいたい今年の報恩講も終わり、お互いに忙しかった秋をしゃべりあい、初めて参加した人と交流し、和気あいあいでした。

ボクは、会合とか集まりといったものがどちらかといえば得意でない方ですが、年に一度のこの会は本当に楽しんでいます。組織化されていないので、そこに利害や上下関係、駆け引きなどということがなく、普段着の気楽さがあるからですね。

ここまで来ると、やっと今年も残り少ないのだなという実感がしてきます。さて、連休明けには寺報新年号の発送作業など、今年中にしなければならないことがまだまだありますけどね。

<今週の予定>

12/22>午前~月忌・13:30~寺にてN家永代祠堂経・月忌

12/23>午前~月忌・午後~寺務・19:00~N家通夜

12/24>午前~月忌・10:00~N家葬儀・午後~月忌

12/25>午前~月忌・11:30~O家報恩講・午後~寺務

12/26>終日~月忌

12/27>午前~月忌・午後~寺務

12/28>午前~月忌・午後~御堂等大掃除

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いる? いない?

Dsc01258 先日、このブログをご覧くださった方からお電話をいただきました。

とある写真の自分の周辺にモヤモヤしたものが写っているということで、不安な気持ちを打ち明けてくださいました。

いっしょに写っている友人のお父さんが、その少し前に亡くなっていること、自分自身が病を患っていることが不安の原因になっているとのことです。

実は、ボクにも20年ほど前の学生時代にそんな写真を写した経験がありますが、それは普通に今でもアルバムに貼ってあります。というのも、写真には気温や人いきれ、体温やタバコ等の煙などによって光が屈折して写ることは珍しいことではないからです。

それをいわゆる心霊写真だとかと、騒ぎ立てるテレビ番組やメディアがあるため、なんとなくそんな気になるだけのことだと思っています。

霊魂だとかが見えるの見えないの、そう言っている人がメディアに登場し、もっともらしいことを言っていますが、その人以外には見えないのに、なぜ安易にそれを信じて、ご丁寧に恐れたりするのでしょう?

霊魂を否定するつもりはありませんが、ボクは見たこともなければ感じたこともありません。だから、そんなものがあろうとなかろうと、出会うものはすべてご縁であり、そのご縁を良い悪いと選別している自我の心と向き合うだけのことです。

悪いことがあれば、それを霊魂のせいにして、お祓いを受けて気分的に楽になる、それだけのことです。しかし、厄払いをしたらその一年の間、なにも悪いことはおこりませんか? 新車を購入し、霊験あらたかな神社でお祓いをしてもらった人が、その帰り道に事故にあったという話はめずらしくないですよね?

そうなれば、その神社の霊験が足りないからなどと理由がつけやすいだけの話です。自分のあり方を見つめることをしないで、誰かに、何かに責任転嫁したいという自身の無責任さを見つめましょう。

出会うものはすべてご縁です。そのご縁を良い悪いと選別し、悩み、苦しんでいる自意識から解放されるには、目の前ですでに出会っているすべてのご縁を、出会ったという事実を、受け入れていくことからしか何も解決しません。

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ご先祖は便利屋ではない

Dsc00466 役僧T氏から聞いたお話です。

前日、某墓所にて読経を依頼されたとのこと。ひとりの初老のじご婦人がお墓の前で待っており、お華を供え、おローソクとお線香に火を灯されたところ、お華をお墓の方に向けて立てていたという。

T氏は疑問に思って、なぜ後ろ向けなのか? と尋ねたところ、ご婦人は「細木先生がこうしろとおっしゃったので」とお答えになったとか。T氏は呆れ顔でそう話してくれました。

以前より、こういったケースが増えていて、何度かここでも書いたかと思いますが、本当に困ります。細木さんが何を言おうとボク的には興味もありませんが、一体なにを根拠に仏事を語っているのかがわかりません。

寺の御堂はもちろん、お墓やお内仏(仏壇)のお荘厳がなぜ私たちの方を向いてなされているのか? それは、我々が仏さんに対して供養などをする前に、仏さんの方から我々に願い(本願)と教えがかけられているという意味があるのです。

人は必ず死ぬ、わかってはいてもまだ大丈夫だろうとタカをくくって生き、生かされてあることを忘れ、俺俺が、私が私が、と自力を行使し日常を送っている我らに一寸先は闇、つまりあなたの死は一寸先に訪れるかもしれないのですよ、生かされてある今、その一寸一寸を大事に大事に悔いのないように生ききってくださいね、そう願われてあるのがこの身です。

そして、亡くなった親しき方々(ご先祖)は身をもってそのことを我らに教えてくださってある存在なのです。

ですから、細木さんの言うような「先祖供養をないがしろにすると、幸せが逃げていく」というような浅はかなものではないのです。自分の幸せのために先祖を大事にし、大事にしないと不幸になる? ご先祖はそんな便利屋さんではありません。

ボクにも、これを読んでくださっているあなたにも両親がいて生まれた存在ですよね? 離婚しているとか、亡くなったとかではなく、物理的な話です。とすれば両親もその両親がいて生まれた存在です。その両親にも、そのまた両親にも、途方もない命のつながりによって、この世に生まれさせていただき、途方もないご縁のおかげさんで今日まで生きてこられたこの身をありがたいと、思うか思わないか、そこが問われてあるのです。

わが身の存在証明、それがご先祖を思い感謝するということであって、ご先祖にご利益だの、幸福だの、開運だのを求めてもムダです。ご先祖は、生きてる者の都合で、守護神にしたり、祟る怪物にしたりしているような浅はかな存在ではありません。

私は今ここに存在し、今日まで生かされてあるということを大事にできない人には、なにをもっても幸福なぞ感じることさえできず、際限のない欲望に振り回されるだけですから。

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は、鼻が・・・

Dsc00814 昨日から鼻がつまってて、ひどい鼻声です。

風邪かな? と思ってはみたものの、熱はないしどこが痛いということもなく、鼻炎もしくはプチ風邪でしょうかね?

鼻がつまっていると、読経をしていても声が鼻から抜けずにこもってしまい、どこかマヌケなものになってしまうんですね(笑)。さらに、何度も鼻をかんでいると、頭がぼぉ~っとしてきて思考能力や集中力が低下します。

そんな中で、今年最後の寺報を編集しています(苦笑)。

<今秋の予定>

12/15>午前~月忌・14:00~寺にてI家49日法要

12/16>午前~月忌・11:00~寺にてT家49日法要・13:00~U地区報恩講6軒

12/17>終日~月忌

12/18>午前~月忌・午後~寺務

12/19>午前~寺務・午後~月忌

12/20>午前~月忌・13:30~寺にてY家33回忌法要

12/21>休務日

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たいくつが蔓延する国

Dsc00813 最近思うことがあります。

テレビで報じられるわけのわからない事件の数々、街中でみかける人々の顔や動向から思うのですが、今この国の人々は「たいくつ」という名の病魔に蝕まれているのでは? と。

ボクも漠然とそう感じているだけなのですが、在所(農村)では区画整理によって耕すべき田畑を失い、お金は得たものの日がな一日テレビを見て過ごし、あてもなく近所を散歩しているお年寄りたちの姿。

街中では、新しくオープンする大型商業施設に列をなす人のクルマに、平日でもぞろぞろ歩いては旅の恥を掻き捨てる観光客の姿。

忙しく働いている人々も、働けど働けどストレスと疲労しか溜まらず、もんもんとしている。

新しいクルマを買ってみた、テレビを買ってみた、家をリフォームした、海外旅行をしてみた、しかし楽しい気分も最初だけ。お金を使うことで埋まることのない「たいくつ」なのに、お金を使うことの連続で埋まった気になってませんか?

インチキ商法、偽装、宗教もどき等々にだまされる人、サラ金、闇金にまで手を出してパチンコに興ずる人、セレブとやらをもてはやすテレビ。

みんな、心がたいくつしているのに、生き生かされてあるこの身を当たり前として「もっといいことないかなぁ」、「もっと楽したいなぁ」、「もっとお金が手に入らへんかなぁ」、とそんなことばっかり考えてもんもん、もんもんとしているように見えます。

消費するということは、文字通り費やし消えていくということで、何も残らないということです。わが心の残ることをしていきませんか? ボクが思うに、読書という古典的な娯楽はいかがでしょう。自然に漢字とその使い方を覚え、文章を書く力がつきます。そして何より、映像や漫画ではけっして養われない想像力が身につきます。

そうすることによって、浅はかな思考によって浅はかな流れに乗ることなく、「自分」という存在を高め、深める眼を持つことに至ります。それは読書だけに限ったことではないです。そして、たまの浪費はいいですが、それによって「たいくつ」はけっして埋まらないということだけは強く感じますね。なんか、うまく言えなくてすみません。

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晩秋・・・え?

Dsc00804 タイトルを見て、

「え?」と思った方、

はい! あなたは正しいです。

そうですね、今は晩秋というよりも初冬ですよね?

しかし、違うんです。ボクら、というよりも少なくともボクにとっては、今が晩秋なんです。

なぜか? というと秋と言うと、行楽の秋、食欲の秋、読書の秋etc...ですが、ボクにとっては、報恩講の秋なんですね。

そして、9月末から始まり、およそ250軒ほど勤める報恩講も残すところあと10軒となった今が、晩秋なんですよ(苦笑)。今年もいろいろなお宅で、いろいろなご縁をいただきました。あと10軒、しっかり勤め上げたいと思います。

さて、そうなるとそろそろ今年最後の寺報の編集、年末年始の諸準備等、冬支度を始める時期でもあります。いよいよ冬の到来なんですね。

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白菜と大根

Dsc01296 ←この画像、なんだかわかります?

白菜と大根です。今日のN町の報恩講では、例年このように白菜と大根、お米とお餅をたくさんいただきます。

ボクのコンパクトカーの後部には、青々とした白菜と大根の葉で埋め尽くされて帰ってきます。そして、これをウチの母と相方が数日かかってお漬物にするのです。

今でも、報恩講はもちろん、通常の月忌でも農家へ行くとその季節、その季節のお野菜や、その家で漬けたお漬物や梅干などをいただきますが、本当にありがたいことです。お米やお餅は、お金でいただくことが多くなってきましたが、お野菜はまだまだ健在です。

前述のように、N町では平日でも親戚が集まりにぎやかに報恩講を勤めることができました。報恩講も終盤の山を越え、あとひとがんばりです。

<今週の予定>

12/8>9:00~T町報恩講6軒・午後~休務

12/9>午前~月忌・11:00~W家報恩講・13:00~寺にてA家永代祠堂経

12/10>午前~月忌・11:00~T家報恩講・11:30~Y家おわたまし

12/11>午前~月忌・12:00~K家報恩講・12:30~K家報恩講・午後~月忌

12/12>午前~月忌・11:00~Y家報恩講兼17回忌

12/13>午前~寺務・16:00~T家報恩講

12/14>午前~月忌・午後~寺務

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在家の報恩講

Dsc01291 昨日はN町、今日はO町の在所報恩講の日でした。昔から農村の報恩講は日が決まっています。だいたいが、農閑期に入るこの時期なんですね。

しかし、どの家も半農どころか区画整理等で農業そのものでなくなってきています。近い将来、どうなっていくのか? と心配です。

かつて見られた農村の報恩講、それはその家から出た親戚が、その日に一同に集まり、ともに「正信偈」を唱和しお斎(おとき)を囲み一杯やるというものでした。昨今は、どの家もその家のお年寄りだけでお参りするのが当たり前になりました。

そんな中で、今日のO町のY家では昔ながらの風景があり、ごいっしょさせていたいたボクと役僧T氏も楽しい時間を過ごすことができ、ありがたいなぁ、と思っています。Y家のじぃちゃんの姉妹さんや娘さんたちが、にぎやかに会話し、ボクらにも自分の嫁ぎ先のお手次寺の話なんかを振ってこられます。

「ウチもここのお寺さんに来てほしぃわ♪」などと、大笑いしながらの会話にボクらも思わず大笑いです。明後日のN町では、そのほとんどの家でまだこんな風景が見られる貴重な在所ですので、楽しみです。

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葬儀にて・どうして?

Dsc01286 本日は、10:00からM家の葬儀、その合間に月忌5軒を勤め、午後からは役僧T氏とともに在所の報恩講を5軒(うち2軒が法事兼)、夜にも月忌をい1軒と駆けずり回っていました。

この時期は葬儀が多い時期であり、報恩講と重なることはやむを得ないのですが、今日の葬儀での出来事でどこか1日気が晴れなかったのです。

今年になってからしばしば見かけるようになったのかと思いますが、葬儀の真っ最中の私語がありました。それは、たいがいお焼香中にあるのですが、本日の場合はヒソヒソというのではなく、普通の声でしゃべり続けるおじさんでした。

見たところ、品のいい初老の紳士風のこのおじさんは、自分のお焼香が済むと自席にもどり、隣の人にさかんにしゃべりかけているのです。多少のあいさつ程度なら、と思っていたのですが、延々続くので後ろのT氏にちらっと目で合図し、式場の係員に注意していただいた次第です。

どうして? 今、この場で声高にしゃべる必要があるのか?

どうして? 今、この葬儀の場でじゃべってよいと思うのか?

あとでT氏が式場の係員に聞いてみると、こういう人はここ最近急増しているとのことです。ボクが覚えているだけでも、今年3、4例ありますもの。

以前にも書きましたが、場をわきまえる、姿勢を正す、礼を尽くす、そんなあたりまえのことができない、しない人があまりにも多くなってきました。これは葬儀の場に限ったことではありません。

ご法事にて、足腰が悪いわけでもないのに最初からあぐらをかいて合掌する人、お墓参りに来て分別もしないであらゆるゴミを捨てていく人、境内地での自分さえよければよいという駐車の仕方、歩きタバコに投げ捨て等々。

いったい何をしに葬儀に、お寺に、ご法事に来ているのですか? 自分が礼を尽くして初めて自分も礼を尽くしてもらえるのですよ。仏の前では、社会的な地位は関係なく、与えられた命を生きる一人として、みな平等なんですよ。

今さらこんなことを言わねばなりませんか?

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