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名のつけ方

Dsc01196 昨日は、10/29、30の当寺報恩講に向けての仏具おみがきをしました。役員さん以外にKさん他が参加され、2時間半にわたって御堂の仏具はピカピカになりました。ありがとうございました。

そんな仏具おみがきの間の雑談の中で、最近の子どもの名前についての話になり、「ようわからん」という声。ボクも、ぶっちゃけそう思います。というのも、子どもの名前とは、そこに親や家族の願いがこめられるものであろうと思うからです。

昨今の名前は、字そのものの意味などではなく音でつけられているものが多いなぁ、と感じています。むろん、それはそれで悪いことではないのでしょうが、漢字というのは、その一字だけでさまざまざ意味や歴史があるものだということへの認識が希薄なのでは? という疑問を感じるのです。

たとえば、多いのが世界に通じるという意味なのでしょうが、英語名を漢字に当てはめているもので、麻里亜(まりあ)とか、亜具里(あぐり)とか、礼欧奈(れおな)とか。

名前の考え方が音から入る、つまり漢字はただの音を表すものでしかなくなりつつあることに疑問を感じます。英単語にはない、漢字ならではの深い意味や願いを考える力が今の若い親世代に欠如していることへ疑問というより、ある意味の危惧ですね。

ボクの友人に賀多里と書いて、かおりという人がいますが、これは一見当て字っぽいですが、「賀=祝いのめでたいことの多い里=村や家」と考えると、この人が生まれたときの両親の喜びようが想像できますよね?

ボクの愛息は、哲と書いてさとしと読みますが、これは物事を明らかにするという哲という字を選んだあとで、なんと読むかを考えた結果の名前です。さまざまなご縁に出会っても、そのことひとつひとつを明らかにし、受け入れていってほしいという願いからです。

音から入ることを否定するつもりはありませんが、生まれてきたたったひとつの命を預かる親として、画数による吉兆だとかというあるかないかわからないものを頼りにしたり、流行や安易な思いつきで名をつけてほしくないと思います。せっかく漢字という、一字で深くさまざまな意味を持つ言語を有する国に生きるものとしての自覚が、もちょっとあってもいいのでは? と思いますがいかがか?

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