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オレが・私が・自分が中心

Dsc01114 毎日ろくなニュースのないニュースをみていて、うんざりするコトは多々あれど、今日の夕方のニュースを見ていてなんともイヤな時代だなぁ、とタメ息がでました。

それはふたつの殺人事件の犯人の言い草です。大叔父と叔母を殺した男は裁判で、「ふたりも殺した自分を褒めてやりたい」と言い放ったとか。

もうひとりは、主婦を殺した男で「オレには殺す理由があった」とかなんとか。ちなみにこの男は、過去に5回の離婚歴があり、妻たち以外にもたびたび女性に暴力をふるっていたとか。この男の借金返済のために両親は土地を売っていても、夜の街で女性に声をかけてはだまして借金し、あげくに暴力、そして殺人という遍歴のあげくの言葉だそうです。

殺人は許されざる罪であることは言うまでもありません、そこには止むに止まれぬ事情あってもです。しかし、上記のふたりに止むに止まれぬ事情があるとは思えず、あったとしても自己中心的な事情でしかない、わがままで大人になりきれない心身的な未熟さを感じます。

ろくに働かない、働かないなら働かないなりにできることはあろうにも関わらず、目先の快楽や、退屈しのぎのためのお金ほしさに簡単に人の命をあやめて開き直るこの厚顔無恥さが恥ずかしくないのでしょうか?

大人が子どもをちゃんと叱る姿を見かけなくなって久しい気がします。大人が気分に任せて叱るというのではなく、なぜいけないのかをしっかり教える叱り方という意味ですが、たとえば父母も祖父母も公共の場所(レストラン等)で騒ぐ子どもを叱りません。それでは、その子どもの公共マナーが育たないのは当たり前であり、大人になったからといって身につくわけのありませんね。

さらに叱られない子どもは、叱られることに慣れていないので、叱られること自体が受け入れられずに、いわゆる逆ギレして暴力に訴えるようになります。数年前にホームレスの方を殺した中学生は、図書館で騒いでいるところを叱られたことを根に持って犯行に及んだといいますが、その母親は子どもが殺人を犯しても「叱ったことがないので、どう言っていいかわかりません」と言いました。

子育ては、叱り方がなによりむずかしいのだと思います。ボクもひとりの子を持つ親として、それを痛感しています。また、褒めることと甘やかすことは違います。流行のテレビゲームを買うために、休みの日の早朝からおもちゃ屋さんに並んで購入してあげることが愛情ではありません。

殺人者のニュースにタメ息をつくことは簡単です。では、あなたの子や孫はどうですか? 父母、祖父母のみなさん、そこをしっかり見極める努力、すなわちわが子や孫を常識ある大人を育てることが保護者の義務だと心得ましょう。そして、我々は親同士、悩んだら話をしましょう。どうぞ、コメントお寄せください。解決方法をお教えできるわけではありませんが、話をお聞きすることならボクにだってできます。

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