« やっぱり、夏は海っす^^ | トップページ | 書中お見舞い申し上げます »

供養ってなんでしょう?

Dsc00988 今日はO家のお通夜でした。いわゆる通夜法話では、いつも親しき方の死を悲しむことは自然な感情ですが、それに終わってしまうことは、本当のお弔いの意味にならないとお話させていただいています。

悲しみという感情は、親しき方を亡くして悲しんでいるわが身、つまり悲しみにくれる自分自身を悲しんでいることでしかなく、お弔いの本当の意味、つまり仏の教えと願いを尋ねることにはなっていないのです。

人は必ず死ぬ、理屈でそうわかっていても「まだ5年や10年、大丈夫やろう」という希望的観測の上に自分を置いています。一寸先は闇、それは一寸先にこの身の死を迎えるかもしれない今を生きている、生かされているにすぎないこの身だという覚悟を、親しき方は身を持って教えています。そして、だからこそ、そんな今を精一杯生き切ってくださいと願われてある身だということを知ってください。

そんな自覚を蓮如さんは、お文で「後生の一大事をこころにかけて」と再三おっしゃいました。供養とは、親しき方の死を悲しむわが身を悲しんでいるという限界があり、だからこそさまざまな形で供養をし、そんなわが身を慰めていることでしかないのです。むろん、それが人を動かす根幹たる情というものに他ならないのですが。

実は先日、どなたでも知っている一般週刊誌の編集部から電話をいただきました。秋の彼岸特集で、全国の永代供養墓を取り上げるという趣旨で、当寺のホームページにある「総合墓・倶会一処」を北陸から取り上げたいというものでした。その趣旨を丁寧に説明していただきましたが、いわゆる永代供養というものと、当寺の総合墓はその意味合いが違うし、上記のような理由で真宗大谷派では供養という概念はないということをお話させていただき、掲載をお断りいたしました。

亡き方への思い、「情」の限界を超えて亡き方からの教えと願いを受け取っていく真宗の教義は、なかなか難しいもののようですが、しっかりボクたち僧侶と話し理解し合い、ともに考えていきましょう。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

|

« やっぱり、夏は海っす^^ | トップページ | 書中お見舞い申し上げます »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/178949/16051598

この記事へのトラックバック一覧です: 供養ってなんでしょう?:

« やっぱり、夏は海っす^^ | トップページ | 書中お見舞い申し上げます »