加越門徒ご縁の旅(1)
この土日、「善福寺・加越門徒ご縁の旅」に行ってきました。出発当日の朝、Y家のおばあちゃんが亡くなったという電話があり、冷や汗が出ましたが、なんとか手配がつき夕べの通夜、今日の葬儀となりました。
★7月7日(土)朝9時、善福寺出発の加賀門徒7人が集合し出発。森本から、第一目的地である城端別院善徳寺発祥の地である南砺市砂子谷~福光を経由して城端市街地へ。一向一揆のころ~戦国時代と城郭寺院だったといわれる城壁の名残を横目に善徳寺到着。
本堂では、今でも土曜であっても日曜学校が開かれており数人の小学生たちがにぎやかに遊んでいました。職員のU君がボクらを出迎えてくださり、噛みながらも一生懸命寺院内を案内してくれました。この後に行く井波別院瑞泉寺とともに一向一揆や石山合戦では重要な役割を果たし、その後は加賀前田家とのつながり深く数々の歴史ある建造物の多いお寺です。
そんな歴史も去ることながら、この別院では1年365日、毎日2回のおつとめと法話が欠かさずに行われていることと、そこに毎回集まる聞法者いることに驚きました。さらに驚いたのは、前項のコメントにあるようにボクらが行ったこの日の午後、お友だちのnikojuさんが法話されていたこと。
1時間半ほど寺院内と宝物蔵を参拝、見学し、その歴史の深さに圧倒された重いで、ボクらは城端を後にしました。
バスは一路、井波へと向かいました。全国に増殖している道の駅が井波にもあり、そこは井波名物の木彫りとリンクした「木彫りの里」として、欄間や木彫り工芸の美術館やお風呂、お座敷での食事もできる施設となっています。そこには、井波合流組の越中門徒さんが4人が待っていてくれました。
皆さんともに、釜飯やお造りがメインの昼食をいただき井波別院へ。輪番さん自らご案内いただき、本願寺5代目の綽如上人が開祖とされ、後小松天皇の勅願所として、また井波の象徴として大きく根を張ってきた別院だとお教えいただきました。この井波は、いわゆる「お東さん紛争」においては、多くの法難にあったといってもよいのですが、現在は収束し本来の姿を取り戻しつつあります。
城端、井波ともにその地に立っているだけで、真宗の歴史と信仰の深さに思いをはせる参拝でした。門前の参道には、木彫りの工房が軒を連ね、コミュニティもあり街の人々のこの街で生きる力を感じました。
そんな井波市街を散策し、一行は今夜の宿である庄川温泉へ。ここで6名の越中門徒さんがお待ちでした。
つづく
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