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ご縁という声

Dsc00922_1 先月は、6件の葬儀をつとめました。そのうち、ひとつは自殺された方のもの。

なかなか、このことを書くふんぎりがつかず、かといって今でも割り切れないものがあります。

これまでも、自殺された方の葬儀を1、2件つとめていますが、それはまったく面識のない方のものでした。しかし、今回は毎月お参りに訪れていたお宅の方だっただけに、ボクの個人的感情が揺れました。

ひとつひとつの家族には、それぞれの内情があります。そこは、他人が入っていける領域でないことは仕方ありません。だからこそ、考えさせられます。

「どうして?」

と。そして、この「どうして?」は当人だけでなく、その家族全員に向けられます。

どうして、誰も止められなかったの? 

話を聞いてあげられなかったの? 

と。死んだ方が楽になる。そう思うほど辛い現実が目の前にあった場合、本当に人は自らの死を選ぶしかないのでしょうか? 

お釈迦さんは、生老病死を四苦と表現されました。生きるということを、老いる、病になる、死ぬのと同じ苦しみだと。しかし、彼は死ぬ間際に言いました。

「人生とは、なんと素晴らしいものだろう」

と。自らの生まれ育った国が滅び、肉親も死んだ。それでも「人が生きる」ということを追求し続けた釈迦が、最後にそう言い残した心境とはどんなものだったのだろう。

気の遠くなるような命の連鎖から生まれたこの命を、「天上天下唯我独尊」と表現され、オンリーワンとしてのこの身の存在、そしてすべての命あるものの存在を尊いと言われました。

楽しいこと、苦しいこと、泣く、笑う、寝る、食べる、人はそんな毎日の生活の中から少しづつの「喜び」を積み重ねていくものであり、そんな生活は多くの「ご縁」と「命」、つまり他力によって成り立っています。

その人の生死はその人に関わるご縁、つまり周囲にいる我々が支え、我々はまた支えられた存在なのです。意識のあるなしに関わらずです。声をかけてほしい、そう思うことが私にあるように、私の周りにいる人にもあります。私の、そしてあなたの声によって、人は生きる苦しみを乗り越えていける存在なのだろうと思います。

声をかけ合いましょう。そこから素晴らしい、そう言える人生をともに歩む道、人の道が開かれていくのだと言えます。

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