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2007年6月

蒸し暑い~(汗)

Dsc00966 今日は一日はげしい雨が降ったりやんだりで、しかも蒸し暑いというか、どこもかしこも湿っているようで気持ち悪い日でした。

明日は前々住職、つまりボクの祖父の33回忌法要です。先月の永代祠堂経会にて兼修したのですが、明日のは身内版とでもいいましょうか、東京や富山からも親戚が集まります。

夕べ、やっと寺報の原稿を書き上げて、今朝出稿しました。今日は休務日だったので、ひさしぶりにゆっくりと読書したりネットサーフィンにいそしむ一日を過ごさせていただきました。

そんな夕方、市内に住む前住職(父)の弟、ボクの叔父が明日のことでやってきました。ひさしぶりに会って、びっくり。後姿が前住職にそっくりだったのです。そして、同時に二人揃って祖父に似てきたなぁ、と感じるものでした。

男の子はある時期までは母親似ですが、歳を取ってくると父親に似てくるといいますが、本当にそうなんですね。女の子は、その逆でしょう。ボクも、いずれそうなっていくのでしょうかね(笑)?

<今週の予定>

6/30>午前~月忌・15:00~寺にて親族での祖父33回忌法要~お斎

7/1>11:00~寺にてK家25回忌法要・15:00~T家にて7回忌法要・19:00~A家お通夜

7/2>午前~月忌・11:00~A家葬儀・午後~月忌

7/3・4・5>午前~月忌・午後~寺務(在寺)

7/6>午前~月忌・11:00~寺にてK家13回忌法要

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今回のお講、こんな感じ

Dsc00969 昨日のお講は、予定変更と準備不足の中で開講しました。まずは、「正信偈の心」では当寺編「正信偈」に書かれた前住職の意訳をさらにボクが解釈していき、これを書かれた親鸞聖人のお心に想像を馳せてみます。

20年間比叡山にて、いわゆる修行をされた聖人。その上で下山され、その日生きることに精一杯の一般民衆とともに歩む道を選ばれたのは、そこから救いを見出すことこそが阿弥陀如来の広大無比なる光に照らされた世界を見出すことだと悟ったからでしょう。厳しい修行をできるのは、恵まれた環境にある一部の人でしかない。聖人は、そんな環境とは無縁の圧倒的多数の人々に、念仏申すことによって阿弥陀さんの光に気づいていく真宗門徒の生活を「正信偈」によって表現されたのだと思います。ということをお話しました。

続いての「仏事いろいろ・座談会」は、今回もクイズ形式で仏事の作法を知っていただく時間です。前回は「お焼香とお念珠」、今回は「お内仏(仏壇)」をテーマに進めました。さて問題です。お内仏(仏壇)がなかった時代、真宗門徒はどうやって礼拝(らいはい)していたでしょうか?

①仏像の前で

②掛け軸の前で

③お墓の前で

とホワイトボードに書いて、そうだと思うところで手を上げていただきました。それぞれに手が上がります。間違ってもいいのです。皆さんの認識、思うところを知りたいのです。

正解は②です。というのは、名号(ご本尊)の書かれた掛け軸を床の間に下げ、その前に三具足(みつぐそく=香炉・燭台・花瓶)を置いて、そこで礼拝していたのです。今でも、床の間に香炉を置くことが多いのは、その名残なのです。というように進みました。

ここで、小松から帰寺した役僧T氏と交代し、「正信偈」をともに読む時間。今回は念仏と和讃に入り、節譜(せっぷ=文字の横にある横棒やカギ棒)の基本を学びました。「なあー・あーあーあー・あー むぅーうあー あーみだぁーぶー」という皆さんの声が広間いっぱいに広がりました。とても1時間で会得できるものではありませんが、その触りだけでも皆さんに知ってほしい、そんな思いでなんとか2時間半ばかりを過ごしました。

汗だくのボクとT氏に笑顔でお礼を言って帰っていかれた皆さん。その笑顔は、ボクらはこの一週間の疲労がようやく心地よく感じられた瞬間だったかもしれません。こちらこそ、どうもありがとうございました。また、来月31日にお会いしましょう!

と、今夜は大幅に遅れている寺報「大慈山」の編集をしながら・・・。

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怒涛の一週間

Dsc00965 この一週間、次から次へと多忙だったため、昨日は日記を書く元気もなく、お休みしてしまいすみませんでした。

前述のように、先週はウチの前住職(父)の従姉妹にあたるJ寺の前住職が亡くなり、その通夜~葬儀。週末に3軒のご法事を勤めている最中には、元役僧の澤さんの訃報が届き、その段取りで大慌て。その翌日には小松市のご門徒さんの訃報と続きました。

澤さんは、なんと享年101歳。明治39年生まれでした。94歳まで、徒歩とバスで月忌を回り、お盆には墓所に詰めていらっしゃいました。つるつる頭にメガネの小さな体ながら、お盆の昼食のカレーライスをおかわりされるなど、その食欲の旺盛さにびっくりするような方でした。

だいぶ耳が遠く、いつも空を見上げるような姿勢で座っていらっしゃいました。そして、時折「はぁ~」と一息つくと、「ナンマンダブ・・・ナンマンダブ・・・」とつぶやくようにお念仏を唱えていました。思い出はつきませんし、さびしいです。通夜、葬儀に安置されていたご遺影のお顔を眺めていると、「ナンマンダブ・・・」と聞こえてくるようでした。合掌。

Dsc00967 今日は「善福寺講~「正信偈」に学ぶ会~」の2回目でしたが、そんなこの一週間だったため、満足に準備もできず、夕べ眠い目をこすりながら予習(?)をして臨みました。午前中の小松での葬儀を終え、月忌を回り帰寺すると、参加者の方々ポツポツ来寺していました。役僧T氏は、火葬場~中陰を勤めており、3時過ぎに帰寺予定。

そんな中、今回も23名の参加者に参集いただき、ありがたいやら申し訳ないやら。23名のうち18名ほどは前回参加者、いわゆるリピーターであり、一見さんは5名ほどです。中には、このブログを見ての来寺の方もありうれしい限りです。

さて、ボクひとりでスタートした今回のお講。どうなりましたことやら。明日、またこの続きをつづりたいと思いますので、またのアクセスお待ちしています。

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お講・前回のおさらい

Dsc00939_1 石川県も、昨年より11日遅れでようやく梅雨入りしました。暑さに弱いボクは、晴れてて暑いより雨で涼しい方が好みです(苦笑)。

さて、来週26日の火曜日は「善福寺講」の二回目を開講します。一ヶ月が早いですねぇ。前回参加された方も、そうでなく今回からの参加を考えていらっしゃる方も、これを見て参加を思い立った方も、ぜひご参加ください。そんなみなさんのために、簡単に前回の内容をおさらいと、次回の予定を押さえておきましょう。

①まず、午後2時からの「正信偈」をともに読む時間ですが、前回は「正信偈」そのもの「帰命無量寿如来~唯可信斯高僧説」までを読みました。細かいことはともかく、とにかく大きな声でともに読むということを押さえてください。次回は念仏と和讃に入りますが、大きな声でという部分は同じです。ただ、切符(せっぷ)と呼ばれる節の基本を聴き発声していきたいと思います。

②3時からは、前回は前住職から「正信偈」の解説をいただき、「無量寿如来」とは「阿弥陀如来」、「帰命」とは「南無」であるということ、計り知れない量の命から生まれ、そして帰っていくこの身を説いたのが親鸞聖人が書かれた「正信偈」であるとご教示いただきました。

③3時半からは、ボクの「仏事いろいろ・座談会」で、前回は「お焼香の作法とお念珠」についてクイズ形式で学びました。焼香台の前に立つ~ご本尊に一礼~お香をいただかずに速やかに2回焼香~合掌~合掌したまま軽く一礼というのが真宗大谷派の作法です。お念珠は、礼を尽くすために礼服を着るのと同じで、素手のみの合掌に心をこめる意味で使用します。

次回は、前住職はお休みですので②と③はボクの担当として、「正信偈」を読む心をお話させていただき、座談ではお内仏(仏壇)あれこれをクイズ形式でみなさんとともに見直していく予定です。ぜひ、ご参加ください。

<今週の予定>

6/23>午前~月忌・11:00~寺にてS家1周忌法要・午後~月忌・14:00~寺にてH家49日法要

6/24>午前~月忌・11:00~寺にてM家1周忌兼33回忌法要

6/25>午前~月忌・11:00~N家にて49日法要

6/26>午前~月忌・14:00~寺にて「善福寺講②」

6/27・28>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

6/29>休務日(在寺=未定)

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お寺の通夜葬儀

079syaka_1 前住職(父)の従姉妹が亡くなりました。ウチから歩いても15分ほどにあるJ寺の前坊守さんですが、ボクはほとんど面識のない方です。

J寺には、毎年秋には報恩講に参勤させていただき、現住職と坊守さんは ボクらの仲人さんでもあります。でも、ちらっとお見かけする程度しか知りませんでした。

今夜はその方のお通夜で、親戚寺院として参勤しました。寺族の通夜葬儀は、一般よりも時間を要します。まず亡くなると同時に、多くの僧侶がスタッフとして集まり、段取りをします。多くの寺方が集まるため、通夜葬儀は平日(土日祝は門徒宅のご法事があるため)とし、手書き毛筆の案内状を作成し一カ寺づつ配布して回ります。それと平行して、本堂やお座敷の荘厳に席次決定、お返しの手配等々、連日深夜までその寺に詰めます。

大変ではありますが、ご縁ある方々が集い、亡き方を偲ぶとともに手作りで通夜葬儀を営むという本来のお弔いの姿がそこにはあります。参勤する方、される方、双方への気を配り、新たな仏さんを皆で送り、法(教え)を聴き相続していくということですね。

明日の葬儀、ボクは前住職とともに参勤いたします。

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スタンス・客観と主観

Dsc00947 雨が降りそうで降らず、曇天のうっとうしい日でした。

月忌に訪れたT家にて、ご主人といろいろお話するご縁をいただきました。真宗門徒の家庭に生まれ育ちながら、現在の真宗はいわゆる葬式仏教になっていませんか? との疑問をいただきました。

さらに、お寺は門戸を開いているつもりでも我々世代には敷居が高くなかなか入っていけない、お経などの意味もわからずお仏壇に手を合わすことに抵抗を感じるし、それを子どもたちに「しなさい」とは言えない、時代の流れから考えると数十年後の真宗はどうなってしまうのか等々とのご意見をいただきました。

ボクは、彼のご意見を聞いていて、それぞれに納得する部分を感じつつもそうでない部分、つまり彼は頭の中でいろいろ思考し提言くださっているのですが、あくまでも客観的という位置からの提言ですよね? と思いました。むろん、客観的だからこその視点には、なるほどと感じさせていただきました。

でも、お内仏(仏壇)に手を合わす、お寺に参る、という行動の前に理由づけや無知のままではできないという構えによって、より寺やお内仏からご本人を遠ざけているように思うのです。スタンスを主観的に置くことによって、理屈ではなくはじめてわかるものや見えるものがあるのでは? と。

たとえば、プロ野球をテレビや新聞で見てるだけでは、球場へ足を運び応援することによって得られるライヴ(生、生きる)という感覚はけしてわからないのと同じように。

むろん、いろいろ独学で勉強なさってからという気持ちを否定するものではありません。でも、お寺に来てみませんか? 毎月お邪魔しているお宅の方は、ボクらになんでも話してみませんか? ともに語り、悩み、考えましょう。頭の中でだけで結論づけずに主観として接してみましょう。

蓮如さんの言葉に「仏法を主とし、世間を客とせよ」というのがあります。常に移り変わる世間というモノサシ、それはその時々にお客さんとして迎え、そして迎える主はいつの世にも不変たる仏法、すなわち人が生きる法を据えなさいという真宗門徒としての主観的自覚のうながしです。

今の時代に合う、合わない、そんなモノサシで考えると真宗どころかこの世そのものの行く末が不安でしかないですよ。主たる仏法、ともに体得していくことは、まずそれぞれの家のお内仏に手を合わすことからしか始まらない。家とは、その家の人々が生きる基本だからです。

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「うらやましい」という病?

2007060100000020spnavifightview000 皆さんは、病院のハシゴというのをしたことがありますか? 内科と外科とかいうのではなく、外科なら外科を何軒も回るということです。

あるとすれば、ある病院の診察等に納得いかず、よりよい病院をさがす場合とかですよね、きっと。でも、ボクが月忌に行っているS家のおばあちゃんがハシゴする理由は、その逆なのです。

たとえば、とある病院で歩いていてフラフラするという理由を言うと、そこのお医者さんは「今、そこのドアから入って来られた様子を見るかぎり、しっかりと歩いていらっしゃいますけどねぇ」と言われる。すると、おばあちゃんはそれが気に入らずに他の病院へと行って、また同じことを言い、「では、お薬を出しましょう」と言われると納得するらしい。

このおばあちゃんの兄嫁さんに言わせると、やや高血圧気味以外は特に悪いところはないそうです。先日行ったときにも、「今度、杖を買おうかと思ってるのよ」とおっしゃる。しかし、ボクもお医者さんのおっしゃるとおり、この人は腰も曲がってないし、シャンと歩いているようにしか見えないので、「ぜんぜん必要ないように見えますよ」と言うと、がっかりしたような顔をするのです。

そして、「みなさんアタシに、元気でいいねとか言うんだけど、アタシは病気で心配してもらえる人の方がうらやましいの」と言う。そこで、やっと理解できたように思いました。このおばちゃんには、息子さんがひとりいますが、独身主義者とでも言うのか、もう50は超えていると思うが東京でひとりでいらっしゃるらしいのです。まれに、金沢に帰ってきて数日泊まってもほとんど会話もないとのこと。

さびしいのです。誰かに心配し、いたわってもらいたいのです。だから、病気になれば誰かが心配してくれて、気にかけてくれる、だから病院をハシゴしてでも病気だと言ってもらいたい、ということなんですね。

そうとも知らず、ボクはこれまで「Sさんね、80も半ばでお元気やしこんな立派なマンションにお住まいやし、他のおばあちゃん方からみたらうらやましい限りじゃないですか」と言っていました。

人は、端から見れば満ち足りていてもけっして心まで満ち足りているとは限らないのだと感じました。心が満ち足りていないのです。ボクが彼女に言ったことは、本人も理屈ではわかっているのだろうと思います。でも、心だけは理屈で割り切れないものなんですね。来月、そこらを踏まえて接してあげられたらいいなと反省しきりです。

<今週の予定>

6/16>午前~月忌・11:00~寺にてW家7回忌法要

6/17>10:30~南砺市I家にて33回忌と7回忌法要・夕方~月忌

6/18>午前~月忌・10:00津幡I家にて墓経・午後~寺務(在寺=予定)

6/19>午前~寺務・午後~月忌

6/20>午前~月忌・午後~寺務

6/21>休務日(在寺=未定)

6/22>終日~月忌

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ウルトラマン♪

Ultraman_1 昨日、愛息といっしょに久しぶりにレンタルビデオ屋さんに行きました。以前からいっしょに観よう! と約束していた映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」のDVDを借りてきたのです。

これは昨秋に劇場公開された作品で、最新の(たぶん)ウルトラマンメビウスと我々が幼いころに観ていたなつかしのウルトラ兄弟が競演するという豪華なものです。親子で楽しめるという狙いは言うまでもないのですが、しっかりその狙いにハマッたボクらです(笑)。

ウルトラ兄弟とは? ゾフィーを長兄に、初代ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン(最近ではジャックと呼ぶらしい)、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウの6人で、ボクが幼稚園~小学生までに放送されていました。

今回は、そのうち初代とセブン、ジャック、エースに変身していた当時の役者さんたちも登場し、「あぁ、みんな老けたなぁ」と30年の時間を感じました。愛息も幼いころからビデオやDVDで観て、ほとんどのウルトラマンを知っているだけにいっしょになって、「おぉ! セブンや! アイスラッガ~~~!!」と大盛り上がりでした。

昔と同じように、「どんなときでも諦めない!」、ウルトラマンたちはそう語りかけていました。いつの時代も変わらぬヒーローたちの活躍にいくつになっても胸躍る、これって男だけでしょうかねぇ(笑)? ウルトラマン世代の皆さん、ぜひ親子で楽しんでください。子どもは、親がいっしょに楽しんでくれてることを感じると、とてもうれしそうに「パパ、おもしろかったねっ!!」と笑ってくれますよ。

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季節風

Dsc00946 なんの花でしょうか? 山吹ですかねぇ(苦笑)?

今日の夕方、デジカメ片手に19年乗り続けている原付で卯辰山を散策してきました。金沢では「向山」と呼ばれ親しまれる卯辰山は、まさに裏山といっていいほど小さな山です。歩いても20分ほどの頂上付近には、見晴らしのよい公園が整備されています。

かつて、ここには「ヘルスセンター(のちにサニーランドと改称)」という小さな遊園地兼動物園兼水族館があり、食堂や喫茶店が点在する市民にとっては身近な場所だったのです。駐車場がほとんどなかったこと等から寂れ、数年前に取り壊されました。動物園は辰口の「いしかわ動物園」、水族館は「のとじま水族館」へと移転し、その跡地が公園となったのです。

Dsc00948 最初の山吹(らしきもの)はそこに咲いていたもので、これはその公園から中ほどまで降りたところにある「菖蒲園」で撮影したアジサイです。基本的に花の名前に疎くても、アジサイくらいは知ってますよ~(苦笑)!

この菖蒲園、愛息が幼稚園のころまでは毎年のようにいっしょに来ていたことを思い出します。小学校に入り、2年生の今は友だちと遊び、野球チームで野球をし、親とともに過ごす時間は減少していきます。むろんそうなってもらわなければ困るのですが、幼かった彼の姿をなつかしく思い出します。

子育てとは、うれしさとさびしさの繰り返しだと言われたことをしみじみと感じる散策でした。

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おかげさまで

Pb0513081 遅くなりましたが、気がついたらこのブログを始めて1年余になります。おかげさまで、2万7千余の訪問数をかぞえ、びっくりしています。

現在、このブログや善福寺ホームページのほかに、趣味のブログやホームページ、大学の同窓生掲示板等を運営・管理していて、暇さえあればパソコンの前にいる生活です。

インドア派というか、出不精のボクにはそれほど苦痛ではなく、むしろ楽しんでさせていただいています。そんな多くのご縁をいただけていることに感謝です。いつもご覧いただいている方、たまたま訪問いただいた方、いろいろだと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

<今週の予定>

6/9>午前~月忌・11:00~南砺市I家にて1周忌法要

6/10>午前~月忌・11:00~寺にてK家1周忌兼17回忌法要

6/11・12・14・15>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

6/13>休務日

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愛息・青空の下で

Dsc00930 ちょっと前の話ですが、先週5/29は愛息の運動会でした。ちょうどボクの休務日と重なったので、朝から応援に行きました。

さわやかな5月の風吹く晴天でしたが、日差しが強く親たちは日陰を探しながらの応援(撮影?)となりました。

ビデオやデジカメで撮影しながら見える愛息の顔は、生き生きと楽しそうでボクもうれしくなりました。というのも、以前にも書きましたが1年生だった1年前、愛息に友だちと呼べる友だちがいなかったのです。

彼とおなじ幼稚園からいっしょに入学した子がひとりもいなかったからです。しかも、他の子たちは学童保育で小学校の授業後もまた保育園に行くためなかなかその輪の中に入れずにいたのです。

1年生の1学期のころには、下校時に途中まで迎えに行っていましたが、ひとりでトボトボと帰ってくる姿を覚えています。「おかえり!」と、声をかけると明るく「パパ! ただいま!」と言ってくれるのですが、「今日は何して遊んだんや?」と聞くと「サッカーした」と言うので、「誰と?」と聞くと、「・・・ひとりで」と答える顔に泣ける思いがしたものです。

運動会のときにも一生懸命がんばっていましたが、周囲のクラスメートと楽しそうにしている姿が見られませんでした。それが、今年の春休みくらいから友だちが誘いにくるようになり、今ではうるさいほどの友だちがやってきます(苦笑)。

そして、今年の運動会。もう、本当に楽しそうに駆け回り、笑う彼の姿がそこにありました。ファインダーを覗いててボクもうれしくなり、「よかったなぁ」とつぶやきました。そんなボクを見つけると、「あ! ボクのパパやぞ!」と周囲の友だちに言う彼の笑顔がうれしい一日でした。

子どもの笑顔は、親の幸せです。また、親バカ日記になってしまいましたね(笑)。

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ご縁という声

Dsc00922_1 先月は、6件の葬儀をつとめました。そのうち、ひとつは自殺された方のもの。

なかなか、このことを書くふんぎりがつかず、かといって今でも割り切れないものがあります。

これまでも、自殺された方の葬儀を1、2件つとめていますが、それはまったく面識のない方のものでした。しかし、今回は毎月お参りに訪れていたお宅の方だっただけに、ボクの個人的感情が揺れました。

ひとつひとつの家族には、それぞれの内情があります。そこは、他人が入っていける領域でないことは仕方ありません。だからこそ、考えさせられます。

「どうして?」

と。そして、この「どうして?」は当人だけでなく、その家族全員に向けられます。

どうして、誰も止められなかったの? 

話を聞いてあげられなかったの? 

と。死んだ方が楽になる。そう思うほど辛い現実が目の前にあった場合、本当に人は自らの死を選ぶしかないのでしょうか? 

お釈迦さんは、生老病死を四苦と表現されました。生きるということを、老いる、病になる、死ぬのと同じ苦しみだと。しかし、彼は死ぬ間際に言いました。

「人生とは、なんと素晴らしいものだろう」

と。自らの生まれ育った国が滅び、肉親も死んだ。それでも「人が生きる」ということを追求し続けた釈迦が、最後にそう言い残した心境とはどんなものだったのだろう。

気の遠くなるような命の連鎖から生まれたこの命を、「天上天下唯我独尊」と表現され、オンリーワンとしてのこの身の存在、そしてすべての命あるものの存在を尊いと言われました。

楽しいこと、苦しいこと、泣く、笑う、寝る、食べる、人はそんな毎日の生活の中から少しづつの「喜び」を積み重ねていくものであり、そんな生活は多くの「ご縁」と「命」、つまり他力によって成り立っています。

その人の生死はその人に関わるご縁、つまり周囲にいる我々が支え、我々はまた支えられた存在なのです。意識のあるなしに関わらずです。声をかけてほしい、そう思うことが私にあるように、私の周りにいる人にもあります。私の、そしてあなたの声によって、人は生きる苦しみを乗り越えていける存在なのだろうと思います。

声をかけ合いましょう。そこから素晴らしい、そう言える人生をともに歩む道、人の道が開かれていくのだと言えます。

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絵に描いた餅・金沢

Dsc00891 明日(今夜)から恒例の百万石まつりです。加賀藩祖、前田利家が金沢城に入城する姿を再現する祭りです。といっても、敗戦後に始まった新しい祭りであり、観光資源としてのイベントの感が強い。

そもそも、歴史を紐解けばこの加賀の地は蓮如上人以来の真宗王国であり、蓮如上人は諫めたものの、一向一揆によって支配者層であった武士勢力を駆逐して成り立った国だったのです。文献によれば、「百姓の持ちたる国」とあり、現代用語でいえば民衆共和国を形成していました。

その「百姓の持ちたる国」は、およそ100年間続いたのち、戦国の覇王・織田信長によって滅ぼされ、前田は信長の名代として加賀を支配すべく入城してきた、いわば進駐軍的存在だったのです。

その後の徳川幕藩体制下の前田政権によって、「百姓の持ちたる国」は骨抜きにされ、明治以降には「百万石」の名のもとに城下町としての輝かしい歴史観を植えつけられてきました。それは、行政と地元新聞社、それらのお抱え歴史学者が一体となったキャンペーンでした。

そんな作られた百万石史観を表現するのが百万石まつりです。全国各地には、民衆の風俗から生まれたさまざまな祭りがありますが、この祭りはそうではありません。今夜の子どもたちによる提灯行列などは、戦中の戦勝パレードのようにも見えます。

厚木市で、マッカーサー上陸を祝した祭りがあるかどうかは知りませんが、百万石まつりは、いうなればそれと同じです。保守的な地方都市、そういってしまえばそれまでですが、無疑問的に上からの情報を受け入れるだけの、人としての狭さだけは持ちたくないものです。

金沢に帰ってきて8年。ボクは、金沢とは「絵に描いた餅のような街」と表現するにいたっています。ご意見ある方、どうぞコメントいただきたいものです。

<今週の予定>

6/2>終日~月忌

6/3>午前~月忌・11:00~I家にて49日法要・夕方~月忌

6/4>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

6/5>午前~月忌・10:00~F家にて3回忌法要・午後~月忌

6/6>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

6/7>午前~月忌・11:30~K家にて17回忌2・午後~寺務(在寺=予定)

6/8>休務日

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