« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月

たまたまのあたりまえ

Dsc00289 先月の地震から1か月余がたちましたが、被災地以外ではどこか過ぎ去ったことのように当たり前の日常が流れています。

あの地震まで、石川県もたまたま地震がなかっただけだったことがわかったはずであり、教訓とすべきことはたくさんあるはずなのですが、たまたま平穏な今が当たり前化していることを感じます。

私という存在は、奇跡のような命のつながりの中から生まれ、そしてたまたま今日まで生きながらえてきた、生かされてきたのですが、そのことを忘れ、当たり前化している日常だからこそ朝な夕なにお内仏に手を合わせそんな自身を見つめなおしていくのです。

私にはふたりの親がいます。その親たちには4人の親がいます。その親たちには8人、その親たちには16人、その親たちには32人、その親たちには64人・・・・・。そのうちにひとりでも欠けたら、私は生まれません。ご先祖を大事にするということは、そんな気の遠くなるような命のつながりから存在する私自身を大事にし、その命を大事に生きるよいうことです。

私が生きているというあたりまえは、実はとても大事なあたりまえです。たまたまのご縁からつながり続ける命を、「おかげさんで」生きて、生かされてある私、あなた、生きとし生けるすべての命。

そんなお話をこの3日間にあった4回のご法事でさせていただきました。合掌。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

GW~旅の恥をかき捨てない!

Dsc00886 GWだそうですが、皆さんはどんな計画をたてていらっしゃるのでしょう。海外、国内問わず、明日から10日間ほどはどこか浮かれた様相になるのでしょうね。

どこに行かれても、なにをしても、忘れてほしくないのは「旅の恥はかき捨て」という言葉を実行しないでいただきたいものです。ボクはこの日本語が嫌いですし、団体行動が苦手な理由でもあります。

多くの時間を過ごした京都はもちろん、ここ金沢も観光地ですし、いろんな恥のかき捨て光景を目にします。一番多く目につくのは、まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」ですね。いかにも観光客風のおじさん方、おばさん方が群れをなして「それ~!」と横断歩道でない場所を横切っていく光景。「ご自分の住む街でも、そういうことをしますか?」と聞きたくなります。

観光地にて、道がわからないことは恥ではありません。しかし、バス停や交差点に停車して地図を広げたり、ケイタイで電話するような「迷惑」はやめましょう。観光施設では、きちんと駐車スペースに駐車しましょう。当然、車椅子マークへの駐車はもってのほかです。あと、言うまでもなくゴミは持ち帰りましょうね。

こんなことを言わなければならないほど、老いも若きもこの国の民のモラルは低下しています。

「人の嫌がることはしないね」

「自分でできることは自分でしようね」

幼稚園(保育園)や小学校で、先生にそう言われましたよね? そして、そのときは「はぁい!」と返事をしました。大人になっても守るべきことは同じです。

「納得したような顔をして、生きようとするが善人です(平野修)」

自分のモノサシでツジツマをあわせ、納得するのではなく、他人のモノサシを思いやる心をもってGWを楽しんでくださいね。ボク? 以下のとおり法務をこなす予定です(苦笑)。

<今週の予定>

4/28>午前~月忌・11:00~Y家にて七回忌法要・午後~寺務(在寺=予定)

4/29>10:30~M家にて三十三回忌法要・月忌・16:00~N家にて一周忌兼七回忌法要

4/30>午前~月忌・10:30~N家にて三十三回忌法要

5/1>休務日(在寺・不在=未定)

5/2>終日~月忌

5/3>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)・夜~月忌

5/4>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

40 LICKS

40licks 今日は40回目の誕生日です。

いやぁ、「おやじ」と言われても反論できない年齢なんですよね、きっと(苦笑)。でも、不思議と30歳になるときほどの抵抗感はないですね。あのときは、人生の一番いいときが終わってしまうような気がしました。

日頃、月忌参りで多くのお年寄りと接していて、「この歳になったらめでたくもないわいね」と苦笑しながら言われる方が多いのですが、「生きていればこそ、歳も取れるんですよ。だから、いくつになっても誕生日を迎えることはおめでたいことでしょ?」と言っています。

だからなのでしょうか? 自己暗示にかかってて「おやじ」であってもいいではないかと開き直っているのでしょうか? たしかにそれもあるでしょう。

でも、ボクは中高生のころからカッコいい「おやじ」たちに憧れてきました。それはミュージシャンたち。日本人ではチャー、世良公則、鮎川誠、布袋寅泰、外国人ではローリング・ストーンズやエアロスミスやU2の面々、デヴィッド・ボウイ、ロッド・スチュワート等々。

4年前、ストーンズが結成40周年アルバム「40 LICKS」を発表しました。ちょうどその頃に還暦を迎えた彼らは、顔にシワが増えてもジーンズを履きこなしギターやベースをかき鳴らし、ドラムを叩き、歌って踊っていました。

そのときに収録された新曲の中には、「まだまだ止まらないぜ」とばかりに「Don't Stop」という曲があり、ボクが観にいった大阪ドームでのライヴでも演奏していました。

ガキっぽいかもしれませんが、40歳を迎えたボクもいつかは止まる、だからこそ今を止まらずにローリング(転がる)し続けていきたいと思います。

蓮如さんの「御文」によく出てくる「後生の一大事を心にかけて」とは、与えられ生かされてきたこの命が止まる、その瞬間まで精一杯転がり続けること、その転がりがいつ止まっても悔いのない今を転がれ! ということだと思うから。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (4) | トラックバック (1)

子どもの喜び

Dsc00887 一昨日の土曜日、めずらしくご法事のない休務日でした。さぁ、ゆっくり&まったり・・・できませんでした(苦笑)。

愛息の所属する小学校の野球チーム・ジュニア(小1~4)の今季初の公式戦があり、グランド当番に借り出されました。

あいにくの曇天ときどき小雨でしたが、当然決行! 朝、8時すぎには金沢郊外の内川スポーツ広場に集合し、パパたちはさっそくグランドのトンボがけ&ライン引き。第一試合終了後の10時半にようやく愛息たちのチームの出番です。

Dsc00888 2年生の愛息も、今季からはスタメン(9番センター)出場♪ ユニフォームに包んだ小さな身体で、精一杯躍動していました。幸か不幸か2打席ともフォアボールで、守備にもエラーなしでした。結局20-1で圧勝しました。

昼食は、各自持参したお弁当でちょっと遠足気分。そして、あとはグランドを使用しての練習です。1、2年生は外野を使ってのショートノック。ボクは、そのバック、つまりポロポロこぼれてくる球を後ろで拾ってあげる係です。

しかし、まぁ、よくもこれだけと思うほどやってくる球(笑)。だいたいは拾った球をノックされた子に返すのですが、たまにノッカーまで遠投して投げ返していました。1、2年生は、精一杯投げてもノッカーまでの半分のところ、ボクはノッカーの手前でワンバンで投げ返します。すると、愛息がうれしそうに「ボクのパパ、すごいやろ~!」と他の子たちに自慢していました。

うれしいやら照れくさいやらなボク。でも、たいがいの土日祝はご法事で、こういう機会が皆無だっただけに、来てよかったと思いました。

子どもの喜びたは、何かをしてあげるのではなく、いっしょにするということなのだとあらためて気づかされた思いの一日でした。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春眠 暁を覚えず

Dsc00865 最近、やたらと眠いです。

春眠アカツキを覚えず、よく言ったもんですね。土日祝日にご法事等で多忙なぶん、ボクらは平日にヒマができたりします。そんなトキは「趣味」のお昼寝をしますが、それこそ地の底に引きづりこまれるように寝ます。

昨日、今日と連日のお葬式でした。一生懸命つとめました。毎度のことながら合間に月忌を回る日程調整が大変でした。そして明日は土曜日ながら、めずらしくご法事がないばかりか、ボクの休務日でもあるコトからゆっくり休み・・・ではなく、愛息の野球のお付き合いです。

ふだんは、土日が休みのサラリーマンのお父さま方にチームのお世話をお任せしぱなしなぶん、がんばろうと思ってます。でも、天気予報では雨。どうなりますことやら。

<今週の予定>

4/21>休務日(不在=予定)

4/22>午前~月忌・11:00~N家永代祠堂経兼三回忌・午後~月忌

4/23>終日~月忌(不在)

4/24・25>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

4/26>終日~月忌

4/27>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「ご縁」の所在

Dsc00873 長崎とアメリカで痛ましい事件が起きました。

どちらも詳細は不明ながら、現時点で伝えられているところでは、短絡的かつ発作的な感じですね。

長崎市長をはじめ犠牲になった方々とご遺族には、本当にかけるべき言葉もありません。どうして? そう問わずにはいられません。

長崎の容疑者は暴力団関係者とのことで、どうしても「普通の会話や常識の通用しない相手」というイメージがあります。アメリカの容疑者は韓国出身の留学生で事件後に自殺していてその素性がわかりません。

どちらも常識を超えた犯罪であり、その衝撃は大きい。しかし、ここからが問題です。このふたりを「モノサシが違う」という理由で我々とはかけ離れた人格として扱うことで、我々とは無関係な世界へと葬ってしまいかねない。

このふたりを生み出した土壌たる社会は、我々の住むこの社会です。たまたま彼らがそうなったのか、我々がたまたまそうならなかっただけなのかというだけの話、といえば少々乱暴かもしれません。

しかし、このふたりは間違いなくこの社会から生まれた存在です。我々は、間違いなくその社会の構成員です。ともに考えましょう。この社会の問題性を。こういう人間を生み出す理由の根源を。このふたりをヒトゴトの世界に葬ってしまえば、同じような事件は必ず起きます。

良いことだけが「ご縁」ではありません。というより、目の前に起こったすべての事象が「ご縁」であり、良い悪い、関係あるなしを勝手に決めているのが自我意識です。目の前の「ご縁」と真正面から向き合うこと、そこからしか人や社会の本当の姿は見えてきません、きっと。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

使っていないモノを変える

Dsc00875 国民投票法案とやらが衆議院を通過したらしいですね。言うまでもなく、これは憲法9条を変えるための布石でしょう。

改憲そのものへの議論が本当に尽くされているのかどうか? という疑問がまずあります。どうも、自民党をはじめ為政者には改憲ありきという姿勢が強く感じられます。

改憲の主な理由に、「アメリカに押し付けられたから」という意味不明なものがありますが、内容がよければそれほどの問題ではないはずです。あと、「現状にそぐわないから」という、これまたそぐわない現状を誘導しての理由づけであり意味不明ですね。

では、聞きますが、敗戦後60有余年、ちゃんと憲法を守ってきましたか?と。

敗戦後10年ほどですでに改憲の動きは表面化し、靖国国家護持の動き、そして自衛隊という名の軍隊を保持し、長年の憲法違反を積み上げて憲法を有名無実化し続けてきておいて何を今さら、という感が強いです。

その過程に民意はありますか? あったのですか?

日ごろ、戦争体験者と語るご縁の多いボクは、声なき声をたくさん知っています。おじいちゃん方は死ぬ思いをされた方と、そうでない方では、180度意見が違います。前者は「もうあんな思いはまっぴらだ」と言い、後者は「いやぁ、あの頃の日本(人)はすばらしかった」と。

おばあちゃん方は、口をそろえて言います。「戦争なんて、二度とごめんだよ」と。

あの頃の日本(人)はすばらしかった。そう思う人々の集まりの代表格が戦死者の遺族会や戦友会等でしょう。そして、個人個人の思いを超えてそういった組織は為政者たちにとって大事な支持基盤となっています。

東京裁判は、形としては勝者の一方的な裁きです。では、東京裁判がなかったら、ドイツのように日本人は自らの手であの戦争を総括できたのか? という疑問があります。多くの国民は、戦争の実態を東京裁判で初めて知ったのです。

戦争に参加した方々は、自身の命と青春をかけた時代を否定されたくないし、したくないという思いがあります。そのお気持ちはわかるとは言いませんが、人を動かす根幹は「情」であることは理解できます。

人と人が殺しあう、それが戦争。その戦争を「しません」と言い切った憲法を、なぜ頼もしいと思えないのでしょう? まっさきに戦死し、空爆等で犠牲者になる一般市民にとってこれほどありがた憲法はないのですよ。

相手が攻めてきたら云々と言いますが、そうしない、ならない政治、外交をするのが為政者の役目です。国民が塗炭の苦しみを受けないために働くのが政治家です。我々はそのために税金を払っています。その努力を怠って、揚げ足取りに終始している国会中継は茶番にしか見えません。

とある元軍人の90歳のおじいちゃんは言いました。「政治家はボランティアでなきゃならん。先生なんぞと呼ぶからおかしくなる。思い上がってはいかん」と。

そして、本当に怖いのは無関心な国民ですよ。ひとりの国民として、ひとりの有権者として、そしてひとりの人としての自覚のみにおいて選挙で一票を投じましょう。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

注目度の差

20061216_155900_n_2 昨日はメジャーリーグ中継や、スポーツニュースに釘づけだった方も多いかもしれませんね。そう、松坂投手(レッドソックス)と、イチロー選手(マリナーズ)の対決でした。

単純にイチロー対松坂という闘いは、イチローを完封した松坂に軍配が上がったが、3失点した松坂は負け投手に。そんなこの試合で、のびのびと2本のツーベースを放った城島捕手はすごいですね。

松坂もイチローも注目度が高く、そこから来るプレッシャーは相当なものだったろうと思います。ちなみに今シーズンをメジャーで迎えた日本人選手は13人。でも、シーズン前から松坂ばかりという感じでしたね。

そして、我がスワローズからデビルレイズに移籍した岩村選手などは、ほとんど注目もされずシーズンを迎えました。ところが! 昨日までに日本人の新人としては新記録となる8試合連続安打を達成しました。それもジャイアンツからヤンキースというエリート・松井選手の記録を抜いてです。

昨日、月忌に訪問したT家のお父さんなどは、ボクがスワローズファンと知って、「岩村ってヤクルトでどんな選手だったの?」と聞いてきました。ボクは、「走攻守そろった不動の3番打者でしたよ~!」と答えると、「そうかね。すごい活躍でびっくりしてますわ」と笑っていた。

注目度を自分のバットで引き寄せた岩村選手! その活躍を期待しつつ、ボクと愛息は東京音頭(スワローズの応援歌)で応援してます!

<今週の予定>

4/14>午前~月忌(不在)・午後~寺務(在寺=予定)・19:30~寺にて町会総会

4/15>9:00~S家にて四十九日法要・月忌・11:00~T家にて五十、二十五、十七回忌法要

4/16>午前~月忌・11:00~寺にてN家十七回忌法要

4/17>終日~月忌

4/18>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

4/19>午前~寺務・午後~月忌

4/20>午前~月忌・午後~寺務(在寺=予定)

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

子どもの笑顔・泣き顔

Dsc00874 燕をみかけました。もう、そんな季節かと思わずパシャ! 燕の季節到来! しかし、スワローズは最下位に低迷中、とほほ(苦笑)。

今週から二年生になった愛息は、近所の一年生といっしょに登校していますが、「オマエは二年生なんやからな、ちゃんと学校まで連れてったらなアカンで」と言っています。「うんっ! わかってるって!」と元気に返事し、「行ってきま~す!」と一年生のK君といっしょに出発。

後ろからしばらく見ていると、十字路の手前でK君を制して右~左とクルマが来ないか確認していました。その後姿に、ボクは思わず笑い、と同時にその成長ぶりに感心しきりな親バカぶりです(笑)。

思えば、昨年の入学から夏休みくらいまでは、同じ幼稚園から入学した子がいないコトから、なかなか友だちができず心配したものです。でも、今では毎日のように複数の友だちが誘いに来ていて安心と同時に親としてはうれしい限りです。学校からも元気な笑顔で帰ってくるので、その笑顔にまたうれしくなります。

町内の小学生たちは大通りの手前で集合し、集団登校しているのですが、その中に明らかに和を乱すというか、傍若無人で困った兄妹がいました。「おはよう」などのあいさつもせず、時間にルーズだったり、車道に飛び出したり、来る途中に兄妹ゲンカして妹が泣いて動かなくなったりと世話をする大人も、いっしょにいる子どもたちも困惑しきりでした。

この兄妹は、別の町会から来ているらしいのですが、どういう理由でここに来るようになったかも不明でした。お母さんが2度ほど忘れ物を届けにきたことがありましたが、「よろしく」のヒトコトもなかったのです。

ところが先日、そのお母さんとウチの相方がお会いすることがあり、事情を話したらしいのです。その日の夕方、そのおかあさんが兄妹をつれて世話をしているKさん宅、Tさん宅、そしてウチに来ました。

兄妹は号泣していました。そして、おかあさんは「いろいろとご迷惑をおかけしました」と頭を下げると、兄妹の頭も下げさせ「ほら、あやまんなさい」と言うと、泣きながら「ごめんなさぁい」と言うのです。

ボクと相方は、もう呆気に取られて「いやいや」と言い、兄弟の頭に手をおいて「わかったよ。もう泣かんでええからね」と言うのが精一杯でした。そして、泣き続ける兄弟の手を引いて、何度も頭を下げながら親子は帰っていきました。

なんとも後味の悪いとともに、兄妹の泣き声が耳から離れません。彼らがあいさつもできず傍若無人なのも、おかあさん、あなたのしつけの問題ではないのかと思います。子どもは、その家庭での生活で人格を形成していきます。挨拶や、公共マナーは幼いころの家庭内での生活が大事だと。

今回の場合、おかあさんにはその点をじっくり考えていただきたい、そのことを伝えられなかったことが悔やまれます。兄妹のかけた迷惑は、そのままおかあさん、あなたの子どもとの接し方の問題ですよ、と。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の一日

Dsc00876 一昨日の土曜日、お花見に行ってきました。

愛息の幼稚園時代から仲のいい4家族が揃い、園遊会の行われている浅野川沿いに夕方から集合。ほぼ満開の桜の下にシートを広げ、大人たちは花より団子ならぬビール(笑)。子どもたちは、きゃっきゃと走り回って遊んでいました。

子どもたちは、それぞれ別の小学校に行って一年、でも顔を合わせれば幼稚園時代の顔になって楽しんでいたようです。しかし、今年も1家族が転勤で金沢を去り、年々減っていくのが少々さびしくもあります。

思えば、昨年の春の卒園式の後、パパ会と称してパパ5人で片町へ繰り出したものです。ママ同士が仲良くなることは多いらしいが、パパ同士もというのは珍しいといわれました。幼稚園の運動会で、ビールを飲んでいたのもボクらくらいで、奇異な目でみられもしましたけどね(苦笑)。

さまざまなご縁でもって構成されているボクという存在。好き嫌いを超えて、その人と出会っているボクと、そうでないボクは別人です。好き嫌いという自我のモノサシがそんなボクという存在の認識を邪魔します。

でも、本当にいいご縁に恵まれて、ボクも相方も愛息も今日を生きてる、生かされてあるなぁ、と思います。今は無理かもしれないが、子どもたちにもいつかそれを感じてほしい、そう思います。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛息の誕生日

Dsc00872 いつまでも肌寒いのですが、昨日と今日の晴天で桜も満開間近といったところです。明日と明後日、近所の浅野川では恒例の園遊会があり、川沿いはその準備が急ピッチでされています。

そんな夜の川沿いを、我が家の一家五人が歩いて東山にある老舗の洋食屋さんに行ってきました。実は今日は、愛息の八歳のお誕生日なのです。週明けには二年生になります。本当に早いものですね。

Dsc00870 歩きながら手をつないでいて、大きくなったことを実感します。手が小さくてボクの指をつかんでいた頃のこと、つないだ手が冷たかった幼稚園に向かう冬の朝、ボクのコートのポケットにいっしょに入れてあげたことなど。

思えば、この子が生まれたのは予定日よりも一ヶ月ほど早い、それもボクたちの結婚式の三日後でした。八ヶ月まで妊娠に気づかなかった相方にびっくりで、結婚式も早めて出産に備えるはずが、まさかの三日後でした。

まだ東京で職場の後片づけや引越しの荷造りをしていたときに、破水して緊急入院した相方。新幹線に飛び乗って京都の病院へ駆けつけると、そこにはわずか2,100グラムのわが子がいました。真っ赤な顔をしたちいさな男の子。

すくすくとどころか病気らしい病気もなく、いたって丈夫に育ったことに感謝しつつ、帰宅後いっしょにお風呂に入りました。

<今週の予定>

4/7>終日~月忌(不在)

4/8>休務日(在寺・不在は未定)

4/9>終日~月忌(不在)

4/10~12>午前~月忌(不在)・午後~寺務(在寺)

4/13>休務日(在寺・不在は未定)

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

町内の番人?

Dsc00809 先日、とあるご門徒宅に月忌参りにお伺いしたときのこと。路地を入った場所にある訪問するY家に近づくと、Y家から4、5軒先の家の前にひとりのご老人がいます。

そのご老人は、ボクのクルマの前を走っていたクルマを目で追いながらタバコを吸っていました。そのクルマが去って行くとクルリとこちらを向き、今度は、Y家の前にクルマを切り返しながら駐車するボクの方を見ています。

ボクは特に気にも留めずにクルマを降り、Y家に入っていきました。約20分後、月忌参りを済ませ、Y家のおばあちゃんと雑談をし外へ出てびっくり!

先ほどのご老人が、Y家の前まで移動していてY家の玄関をじぃっと見つめていたのです。やはりタバコを吸いながら。その顔はいたって無表情で、ボクはどうリアクションしてよいものやらわからずに軽く会釈しクルマに乗り込みました。

今朝、この話を役僧T氏に話すと、「おるおる、そういう人」と笑っていました。たしかにいます。日ごろ、さまざまなお宅を訪問するボクらはこういう町内の番人のようなご老人に出くわすことが多いのです。

昔からの町並みにある旧市街地などで、狭い駐車スペースで何回も切り返しているときなどに視線を感じ、ふと顔を上げるとお向かいの家のご老人にじぃっと見つめられていたりします。ときには、その視線が家の中からだったりすると悪いことをしているような錯覚をも感じますね。

けして嫌ではないのですが、びっくりするとともに戸惑いますよね。前にも書きましたが、これが地方都市というものなのでしょうね(苦笑)。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

他事想論4

Dsc00132 以前からの素朴な疑問としてあるのは、なぜ政治家は迂闊な発言が多いのだろうということです。それも、わざわざ国際問題に発展するようなことをポロポロと。

国会中継なんぞを見ていると、茶番劇というか、揚げ足取りのオンパレードで、そこに国民は不在であることだけを感じます。正直に言うなら

「こいつらはいったい何しとんねん?」

としか思えず、税金を払っているのがアホらしくなります。

従軍慰安婦などの戦時中のあらゆる事柄を、どう検証するのか? 現在のモノサシだけでは計れず、かといって戦時中だからと免罪されるものでもない。しかしながら、東京裁判を是か非かと問うばかりで、日本人自身があの戦争、そして戦争そのものをきっちり検証してこなかったことは確かではないでしょうか?

外交カードなどというその場しのぎの使い方しかしていないから、ポロポロといろんな愚痴がこぼれるのではないのか? 

何度も言いますが、「兵戈無用(=ひょうがむよう)」という釈迦の思想がいまだに浸透しないことは悲しいかぎりですが、戦争を肯定することで成り立つ思想や立場の存在に疑問を感じます。

狭義だとか、広義だとか、政府や軍が関与したかしないか、それよりもそこに戦争があったから苦しんだ人々がいるという事実を戦争をした国としてどう責任を取るのかということが大事なのではないですか?

そんな苦しみを無視しているというか、見えていないからこそあの戦争はよくて、この戦争は悪いだとか無責任な発言が出てくるのだと思いますし、その姿勢がイコール国民の立場を無視し、見えていない政治家たちの本質がそこにあるように感じます。

選挙運動が盛んですが、「○○県の明日をいっしょに考える」とかいう選挙のときだけのリップサービスが空虚なものにしか聞こえません。

しかし、だからこそ、選挙に行きましょう。人を見る自分の目を養い、立場ではなく自分の考えで投票しましょう。それが国民に許された政治への参加そのものだから。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »