« 明日は春彼岸会です | トップページ | 個人的な話題ですが »

彼岸にて想う

Dsc00845 越中ツアー、春彼岸会と続く日程に疲れました。来年は一日あけようと思います(苦笑)。

昨日の彼岸中日は、快晴の春の一日でした。多くの方がお墓参りに訪れる中、午後二時から春彼岸会をつとめました。昨年亡くなられたご門徒のご遺族をご招待する門徒物故者追弔法要も兼ねて行います。

法要後の住職感話では、先日見た「不都合な真実」の感想から、当たり前に我々が立つこの大地へ、われわれはそのご恩を返していく時期に来てるかもしれませんという話から、五月から開講する「善福寺講」を開催する意義をお話させていただきました。

その中で、住職とは、もともと留守職という名称であり、僧俗ともに仏法を聴聞する御堂の留守を預かるのが本来の職分ですというお話もしました。というのも、このときもお墓参りにはたくさんの方々が来ているのに御堂に入ってお参りする方が少ない。年末にも除夜の鐘をつく方は多いのに、そのあとの修正会にお参りする方が少ない、ということが根底にあります。

もっと、気軽に御堂に入っていただけるお寺でありたいなぁ、そう思うことからの「善福寺講」であり、御堂前に寺報や各種ご案内を置いてみたりの試行錯誤です。以前、前住職が言っていた御堂の入り口をガラスの戸にするということもアリかな、そう感じてもいます。いかがなものでしょうか?

人気ブログランキング【ブログの殿堂】 にほんブログ村 哲学ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へ

|

« 明日は春彼岸会です | トップページ | 個人的な話題ですが »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

気楽にお参りできるように
開放された御堂、良いですね。

昨日のお彼岸には、
私は我が家のお墓と
母の実家のお墓とお参りし、
それとともに、両家の菩提寺(檀家寺)にも
参詣いたしました。
(夜は家族一同で、仏壇の前でお勤めしました。)

しかし、我が家の檀家寺も
(母の実家の禅寺も、)
本堂は硬く扉が閉ざされた様子。
中に入らず、御堂の前で
「南無阿弥陀仏・・・」と
手を合わせてお参りするのみでした。

決して、入堂を拒否してはいないのでしょうが、
もし、もっと気楽に中へ入って、
阿弥陀様に話しかけられるような様子だと
よいのになあ・・・、と思ったのですよ。

ガラス戸も良いですし、
ご面倒でしょうが、
扉を鐘を撞く(5時)時まで
開けておいて、時間になったら
閉めていただくと、
すっと御堂の中へ、仏様から
手招きしていただけるような気がします。

投稿: 喜右衛門 | 2007年3月23日 (金) 08時58分

喜右衛門さん、コメントありがとうございます。

実は、ウチは数年前まで彼岸であったり、お盆であったりの時期には御堂の扉を全開にしてどなたでも参れるようにしていたのです。

でも、不審者の侵入が何度かあり、それなりの被害もあったため御堂の扉は15センチ程度しか開かないようにし、玄関も常に鍵をかけた状態となってしまった次第です。ボクら寺族の生活空間がすべて二階であるため、やむを得ない処置と思っています。

だから、ガラス戸という案もいうなれば苦肉の策かもしれませんね。どなたでも気軽に入ってお参りできる御堂、なにか良い方策がありましたら教えてくださいね。

投稿: Kei@住職 | 2007年3月23日 (金) 21時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/178949/14354472

この記事へのトラックバック一覧です: 彼岸にて想う:

« 明日は春彼岸会です | トップページ | 個人的な話題ですが »