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両輪の教育

Dsc00190 本日のA家での33回忌法要後、料理屋にてお斎(おとき)をいただきました。その席で、A家の長男さん(44)と話が弾みました。

たいがい、こういう席での若い方は無関心とまでは言いませんが、まだ自分の出る幕じゃないといった立ち位置が多いものです。だから、なんだかうれしかったですね。

そして、その話題が家庭での子どものしつけやクルマのマナーについてだったのですが、大いに賛同させていただきました。

というのも、学校に食事の仕方や作法を教えてほしいという親がいるという話から、それは家庭でのしつけの問題でしょう? ということから始まり、ボクはご法事の席やお斎での席で騒ぐ子どもに何も言わない親や祖父母がおかしいという話でお互いにうなずき合いました。

挨拶ができる、家以外の場所では他の人の迷惑にならないような態度、もちろん家でも両親や祖父母に対する敬い、それが外では目上の人に対する敬い、そんなしつけは家庭でしていくものだということです。

年末に新しいゲーム機が発売され、休日の早朝から家電店に並ぶお父さん方の存在。子を思う気持ちはわかるが、安易にモノを与えることは決して子どものためにはならないということ。

ボクらのころは、家のお手伝いをしたり勉強をがんばったりと、何かを達成した結果、親が「よくがんばったね」といって何かを買ってくれたり、おこづかいをくれたりしたものです。

就職してもすぐに辞める、離婚する、ケンカを通り越してナイフを持ち出す、そんな風潮は、ヒトエにこらえ性のなさや工夫のなさ(応用のきかなさ)によるところが大きいように思います。

「ほしい」と言えば与えられる、そんな子どもには「こらえ性」や「工夫や応用」は身につきません。しつけるということは、そのときは子どもの機嫌を損ねても、その子が成長しても困らないようにという願いを持って人を育てるということだろうと思います。

家庭でのしつけもされていない子どもを預かる先生の身にもなりましょう。先生に教育者としての責任を求めるなら、親は家庭での教育者としての責任を自覚し実践しましょう。

いやあ、有意義な会話ができたもので、ボク自身もあらためて気を引き締めたいと思います。言うなれば、学校と家庭、両輪の教育が子どもを人に育てる、ということでしょう。

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コメント

いやー、ありがたいお話です。
普段から思っていたことを書いていただけて
非常に気分がすっきり致します。

私は教師をしておりますので、
このように考えていただける方がいらっしゃるだけで
どれだけ心強いか。

「家庭」と「学校」は車の両輪なんですよね。
片方だけで頑張っても
もう一方が全然その気が無ければ、
車は前に進めません。
自分が教師であり、親の立場、両方であると、
どうしても今の時代の家庭の“躾”の不足を
感じます。

それを謙虚に感じていただく家庭なら良いのですが、
自分たちが悪者になりたくないばっかりに
「学校で厳しくしつけてやってください。」と
いう親。
といって、少しばかり厳しく言うと
「そんな言い方ないじゃないですか!」って
子どもの前で、くってかかる親。
(子どもの前で、教師の悪口を言うことや
 教師に逆らうのは、かえって子どもの教育に
 良くないですよね。)

当然、教師である事の自覚を高め、
自分があやまちを犯していないかしっかり反省して、
子どもに接するようにしたいと思う自分です。

投稿: 喜右衛門 | 2007年1月14日 (日) 23時57分

いやぁ、教職にある喜右衛門さんに対してお恥ずかしいです(苦笑)。

でも、ボクも含めて今の親たち自体のしつけがなってない部分もあります。もちろん万能な親、完璧な親は最初から存在しませんし、親は子どもが生まれた時点で親になるわけです。だからこそ、子どもとおなじ目線で子どもとともに、親としての成長が望まれるわけですよね。

そのためには、ボクは両親、つまり子どもにとっての祖父母のあり方も大事だと思っています。同居は、若い親たちのために大事な要素であるとも思いますし、祖父母たちにもしっかりしてほしいです。孫ができて、はじめてじいちゃんとばあちゃんになるという意味では、親と同じですから。

先生方には、世間体を気にしすぎてごまかしや隠蔽に奔走するようなことだけはやめていただきたいです。生徒である子どもを大事にしてほしいです。生徒があって初めて先生なのですから。

いや、喜右衛門さんはきっといい先生なんだろうなぁと思ってますよ(笑)。

投稿: Kei@住職 | 2007年1月15日 (月) 21時49分

いやー、
褒めていただくほどの「教師」ではないですので、
まったくもって恥ずかしいです。

おっしゃるとおり、
生徒あってこその「教師」ですから。
子どもにとっての「よい教師」でありたいですね。

しかし、
ご存知のように、
教師の中にも、問題のある人物がいろいろとおりますので、
世間の話題・ニュースになるたびに、
私は歯軋りしています。
一生懸命、休みの日にも自分の時間を返上してまで
「クラブ活動」や「生徒指導」に頑張っている
仲間の教師にどれだけ自分たちが
迷惑をかけているか、わかってないのか!、
って私は腹が立ちます。
一部のおかしな者が、
誠意ある教師仲間の評判を酷く貶め、
「先生は何をしているんだ!」って世間様に言われているのが
非常に悔しいのです。
一度落とした評価は
何倍の努力と誠意でしか
その評価を上げることができないのですから・・・。
(しかし、僧職の方もそうでしょうが、「教師」という“聖職”の肩書きを、年中、二十四時間、背負って生活していくのはしんどいですけれどもね。)

また、
“父母”も“祖父母”も
子どもが生まれてから
子どもと一緒に成長して学んでいくのですから、
『謙虚さ』を持ちたいですね。
(教師なら当然ですよね。)

投稿: 喜右衛門 | 2007年1月17日 (水) 17時34分

実は、一応ボクも教員免許もってたりします。高校ですケドね。二週間の教育実習は、今でも思い出深いです。先生ってこんなにやらなきゃならないことがあるんや! ってびっくり! 二週間の平均睡眠時間は三時間くらいでしたもの。子ども第一、そう思っていてもそれ以外のことに追われる大変なお仕事ですよね、本当に。

ただ、だからこそ子どもを大事に思う、ていうものを根底に忘れずに持っていてほしいです。親と先生は、子どもにとって一番身近な大人であり、いい面も悪い面も手本にするからです。

はい。ボクら大谷派の僧侶資格は、教師資格と言いますし、門徒さんとは御同朋であり、率先して教えに導くのが職分なのですね。

喜右衛門さん、今後とも語りましょう。よろしくお願いいたします。

投稿: Kei@住職 | 2007年1月17日 (水) 22時23分

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