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2007年1月

麺類は別腹

Image 夜、一日を終え「ん?」と思うときがあります。そういうときは、たいがい「今日は麺類食べてないなぁ」というときです(笑)。

ウチは、オヤジもその類であり昼食は麺類が主らしいです。ボクもその血を受け継いでいて、さらに愛息もしっかりそのとおりだったりします。

麺類ならなんでも好きですが、むかしから金沢にはあまりおいしいラーメン屋さんがなく、「ラーメン不毛地帯」と呼ばれているらしいです。そんな金沢であえて行くのは「天下一品」さん。京都ラーメンの代表格であり、金沢にも支店があるため、無性に食べたくなるのですね。

京都というと「あっさり薄味」と思う方も多いでしょうが、実はラーメンに関して言うと「こってり」です。この天下一品は特に「こってり」で白濁したスープが麺にからんで癖になる味なのです。学生時代を京都で過ごした方は、たいがいこの味を懐かしがるらしいですしね。

061004_akiyama_05 あと麺類というと、お蕎麦が好きです。でも、これはラーメン以上に好みのお蕎麦に出会えることが少ないですね。蕎麦と出し汁の相性や麺の固さや太さが千差万別なのです。

金沢の繁華街片町に朝方までやってるお蕎麦屋さんがあって、ここのはボクの好みですね。更科系でおいしいです。最近は、お酒を飲んだ後にはラーメンよりもここのお蕎麦が定番です。

実は麺類は別腹と言いつつも、さらにご飯ものも別腹だったりします(笑)。ご飯もの編は、またの機会に。

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勝ち組 負け組 そしてセレブ

Dsc00344 人と人、そこに格差や差別がついてまわるものかもしれません。でも、テレビでよく聞かれる言葉「勝ち組・負け組・セレブ」という言葉の煽りからは、その格差等を助長しているように感じます。

何をもって勝ち負けを決めているのでしょう? バラエティ番組を見ていると、三十歳を過ぎて、あるいはそれ以上の年齢の独身女性タレントは「負け組」であり、結婚しているさらには「セレブ」とやらと結婚しているタレントは「勝ち組」というようなわけ方がなされています。あるいは、「セレブ」と呼ばれる職業の人は男女、独身既婚を問わず「勝ち組」というような枠組みですね。

前の首相は、所得格差が広がっている現状についての疑問に、「成功した人を妬むような風潮はよろしくない」と言い放ったようですが、いかがなものでしょうか?

「セレブ」とは、セレブリティ(=celebrity)であり、「著名人・名士」あるいは「名声・高名な」という意味です。そう呼ばれる人たちが「勝ち組」であるならば、著名ではない大部分の一般庶民はすべて「負け組」ということになりはしませんか? だとすれば、その「負け組」に「妬むな」という発言は、一国の首相として国民を差別していることになりませんかね?

これは、言い方を変えれば「選民主義」であり、独裁者に漏れなく付随している根本思想ですよね。そして、そんな首相の意思を尊重するかのようにその格差を無意識に煽って楽しんでいるテレビの影響力は計り知れないものとなっているように思います。特に子どもへの影響が心配です。

友だち同士で、深く考えずに「勝ち組」や「負け組」という格差をつけるような人間関係を幼い心に持ってほしくないです。最近は大人と一緒に遅くまでテレビを見てる子どもたちも多いので、大人はそこらへんを十分に考えて子どもに見せていいテレビを選んでほしいものです。そのためには、大人自身がテレビの影響力をしっかりと認識する必要性が当然求められます。

人と人のご縁に、格差は不要です。しっかりと肩書きや環境ではなく、その人自身を見る目を養いたいものです。

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人並みの願望?

Dsc00443_2もう18年の付き合いのこいつです。まだ、ちゃんと走ります。イジってもないのに音がうるさく、その割りにスピードな出ません。

そろそろ限界かなぁ? そう感じてはいるのですが、学生時代にバイトして買った愛着もあり、なかなか手放せません。でも、中型免許も持っていることから、買い換えるなら大きなバイクをという願望もあるんですよ。

しかし、相方からは「トシ考えやぁ」と一蹴される始末です(とほほ)。男は、いくつになってもこういうモノに興味シンシンな生き物なのです(苦笑)。

<今週の予定>

1/27>午前~月忌・午後~在寺(寺務=予定)

1/28>午前~月忌・11:00~寺にてN家17回忌

1/29>終日~在寺(寺務=予定)

1/30>午前~月忌・午後~在寺(寺務=予定)

1/31>休務日

2/1>休務日

2/2>終日~月忌

年に数回しかない連休です。長編小説にハマっているので、ゆっくり読書にいそしみます。訃報がなければ、の話ですけどね(苦笑)。

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いただきます!の主語

P1170902 食事の時に「いただきます!」と言っていますか?

食事を終えたら「ご馳走さまでした!」と言っていますか?

とある小学校で、「ちゃんと給食費を払っているのに、そんな貧乏くさいことを子どもに言わすな」というクレームがあった、という話は以前にしましたが、今一度考えましょう。

「いただきます」の主語は「命」であり、動植物の命をいただき私のこの命を保持させていただくことへの感謝の言葉です。「ごちそう(ご馳走)さま」は、その命を私に代わって殺していただき、それを食材として馳せ参じて提供していただいた方々へのご苦労への感謝の言葉です。

それを「あんなまずいものを食べさせられているから」というような、言語道断な理由で給食費を払わない親たちの馬鹿さ加減に呆れてしまいます。給食費を払う払わない、それ以前の問題です。

最近よく聞く言葉に「食育」というのがあります。食を通して、人を育むこと、食事の時間は、親子が、先生と子どもたちが、さまざまなことを学ぶ場であるという考え方ですね。

ケイタイ電話に数万円も使っていても、食事はコンビニやファーストフードばかり、そんな世情では食育も何もあったもんじゃないですよ。愛息が幼稚園のときにも、よくお弁当の日にお弁当を持ってこない子がいて、先生がその子の母親に電話すると、母親は「そこらのコンビニで買い与えてください」と平気で言ったらしいです。

そのコンビニで買うという行為を先生にさせるということもびっくりですが、子どもがかわいそうでなりません。幼稚園では、かわいらしいお弁当箱に色とりどりの食材を詰めてあり、子どもたちがどれだけ楽しみにしてるかをまったく感じていないのでしょうか?

以前にも書きましたが、愛息が四歳のころ相方が骨折して二週間ほど入院いたとき、ボクがお弁当をつくって持たせました。幼稚園の帰り、愛息はうれしそうに「パパのお弁当おいしかったよ!」と言ってくれたとき、家に帰ってきれいに空っぽのお弁当箱を見たときの感激は今でも忘れません。「ありがとな!」と愛息を抱きしめ、「パパがんばって次もおいしいの作るでぇ!」と張り切ったものです。

食事は生きる上で大事なことは今さら言うまでもないこと。でも、その言うまでもない、当たり前のことがおろそかになっている世情をしっかり見直し、また愛すべき者たちとの食事の場を大切なご縁としましょう。そんな気持ちを大事にすることが第一で、お金を払うことは自然にあとからついてくるのではないでしょうか? 給食やお弁当は、子どもが大人になってもいい思い出となって残るものですからね。

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視線の呪縛?

Dsc00773 金沢に帰ってきて、この春で丸八年になろうとしています。その間、ずっと感じることがあるのですが、皆さんはどうなのでしょう?

というのは、他人の視線です。街中をクルマで走っている、特に住宅街なんかで歩行者と目が合うと感じることが多いのです。また、当寺の前を通る歩行者からの視線、これはお寺だからと思っていましたが、けっこう歩きながら家々を見ながら歩いている方の姿を見かけます。

かつて、本山で出版の仕事をしていたときに出会った文化人類学者のU先生がやはり同じようなことを感じると語っていたのを思い出します。このU先生、もともとは生まれも育ちも東京で現在は東京工業大学にいらっしゃいますが、当時は四国の某県の大学で助教授をされていました。

取材後の雑談で、「いやぁ、地方都市って怖いですよ」とおっしゃるので、よくお聞きすると、「常に人に見られてる感じがして、落ち着かないんですよね」と苦笑されたのです。ボクは、そのときはあまりピンとこなかったのですが、今はよくわかるような気がします。

東京などの大都市では、普通の生活の中で人と目が合うことなどほとんどあり得ません。人が多いこともあって、歩いていても周囲の人を歩く上での障害物として認識し、自分より遅い人は抜くだけの存在です。それも、視線は自分の歩く数歩先の道であって、人の顔に視線を合わせることはあまりないのです。

U先生は、身についたそんな歩き方をしていて、「たとえば、ふと顔を上げると身も知らない人と目が合ってびっくりするんですよ。カルチャーショックです」と笑っていましたが、東京に戻られて再会した先生は、「やっぱり東京は落ち着きますよ。人に気にされる、人をきにするって結構しんどいことなのかなぁ」とちょっと複雑な笑顔で語っていました。

とあるお宅でお参り後に、そこのおばあちゃんが東京の息子さんの家に行ったときに東京の人はみんなうつむき加減で歩いていて、それが不思議でいろんな人を見ながら歩いていて、ぶつかってばっかりだったと話されていました。

ボクは、「そんな歩き方してたら、あぶないですよ。人を見てないで流れに乗って歩かなきゃ」と言うと、「だって(人を)見たいんですもの」ときっぱり(笑)! 金沢暮らし(計18年)より、京都と東京での暮らし(計21年)が長いうちは慣れないのかもしれませんね。

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今年最初の役員会

Dsc00238 お寺には、代表役員=住職のほかに責任役員(二名)、総代(八名)の法務局へ届けられた役職、教区門徒会代表(二名)が存在し、さらに当寺には会計監査兼相談役(二名)も存在します。

当寺では、そこに坊守、前住職、前坊守、役僧等が加わって役員会という善福寺執行部を組織しています。年に3、4回の役員会に報恩講等の行事にとご尽力いただいています。

本日は、午後三時より今年最初の役員会が開催され、来る門徒総会兼新年会(2/4)に向けて、昨年度決算や今年度予算案、行事計画案等を三時間に渡って話し合いました。

2011年に執行される本山での親鸞聖人七五〇回御遠忌への懇志は完納し、当寺での御遠忌計画の青写真も決定しました。それに向けての新たな試みも決定し、有意義な会議となりました。概要は、2/4に承認されて以降この場でも発表していきたいと思っています。

本日は会議後、役員新年互礼会と昨秋叙勲されたM氏のお祝いを兼ねて市内某所で一献傾けました。いろいろとぶっちゃけた話もあり、日頃はなかなか飲めないご時勢とあって今夜は楽しい時間がすごせました。言うまでもなく、皆さんタクシーでご帰宅されました(苦笑)。

ご門徒各位には、2/4の新年門徒総会兼新年懇親会にご参加ください。皆さんのお寺です。ご意見ご要望、そして呑み語りましょう。ご参加希望は今月中いっぱい受け付けてます。お電話、メール、お参り時にお申し込みください。

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おかげさまで完納です

Dsc00771 2011年にお迎えする、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌記念事業、いわゆる瓦懇志ですが、昨年末に本山からの当寺割り当て分を完納いたしました。

すでに、もうあと少しとなっていたのですが、ボク個人として残りをお納めいたしました。金額に関わらずお納めいただいた、すべてのご門信徒方に感謝いたします。本当にありがとうございました。完納はいたしましたが、まだお志をとお思いの方には、超過しても結構ですのでお声をおかけください。

Dsc00770 ボクがいただいた記念品は、本山御影堂のクリスタル製ペーパーウェイトです。他、お志一万円につき一名のご芳名が本山の新しい瓦に刻まれます。およそ百年に一度の大修復、先祖代々から真宗門徒の帰依処としてのご本山は、我々自身の自覚でお守りしたいものです。

当寺でも、御遠忌はお迎えする予定です。計画が決定次第お知らせいたしますので、よろしくお願いいたします。

<今週の予定>

1/20>午前~月忌・午後~在寺(寺務)

1/21>午前~月忌・11:00~A家にて三回忌法要・15:00~寺にて役員会・18:30~役員新年会

1/22>終日~月忌

1/23>終日~月忌

1/24>終日~月忌

1/25>午前~月忌・午後~在寺(寺務)

1/26>終日~月忌

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葬式にも地域差あり

Photo2 今月に入って、訃報が三件ありました。そのうち一件は、関東でのもので、お葬式に出仕はできませんので、そういう場合は東京にある当派の出張所に依頼して近在のお寺さんを紹介して葬儀を執行いただきます。

ただ、今回は金沢から行ったご遺族がなにもわからずに、現地の葬儀社さんにお任せしたところ、なにもかもが勝手が違い困惑してウチに電話してこられましたが、亡くなった時点でご一報いただきたかったです。

関東、特に東京および近郊では、葬儀社さんがお寺を抱えていてすべてを差配する場合が多いのです。お手次寺がある、これは地方都市では当たり前ですが、大都市では必ずしもそうではありません。

所変われば品変わる、むかしからそう言いますが、本当にそうなんですよ。首都圏在住のご門徒各位には、どうかお葬式を営む場合、郷里のお手次寺にまずご一報ください。宗派宗務出張所に連絡して、近在で当派のご寺院を紹介いたします。特定のお手次寺はないが、浄土真宗であるというお宅は出張所の方に直接ご連絡(右サイドバーのリンク参照)ください。

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両輪の教育

Dsc00190 本日のA家での33回忌法要後、料理屋にてお斎(おとき)をいただきました。その席で、A家の長男さん(44)と話が弾みました。

たいがい、こういう席での若い方は無関心とまでは言いませんが、まだ自分の出る幕じゃないといった立ち位置が多いものです。だから、なんだかうれしかったですね。

そして、その話題が家庭での子どものしつけやクルマのマナーについてだったのですが、大いに賛同させていただきました。

というのも、学校に食事の仕方や作法を教えてほしいという親がいるという話から、それは家庭でのしつけの問題でしょう? ということから始まり、ボクはご法事の席やお斎での席で騒ぐ子どもに何も言わない親や祖父母がおかしいという話でお互いにうなずき合いました。

挨拶ができる、家以外の場所では他の人の迷惑にならないような態度、もちろん家でも両親や祖父母に対する敬い、それが外では目上の人に対する敬い、そんなしつけは家庭でしていくものだということです。

年末に新しいゲーム機が発売され、休日の早朝から家電店に並ぶお父さん方の存在。子を思う気持ちはわかるが、安易にモノを与えることは決して子どものためにはならないということ。

ボクらのころは、家のお手伝いをしたり勉強をがんばったりと、何かを達成した結果、親が「よくがんばったね」といって何かを買ってくれたり、おこづかいをくれたりしたものです。

就職してもすぐに辞める、離婚する、ケンカを通り越してナイフを持ち出す、そんな風潮は、ヒトエにこらえ性のなさや工夫のなさ(応用のきかなさ)によるところが大きいように思います。

「ほしい」と言えば与えられる、そんな子どもには「こらえ性」や「工夫や応用」は身につきません。しつけるということは、そのときは子どもの機嫌を損ねても、その子が成長しても困らないようにという願いを持って人を育てるということだろうと思います。

家庭でのしつけもされていない子どもを預かる先生の身にもなりましょう。先生に教育者としての責任を求めるなら、親は家庭での教育者としての責任を自覚し実践しましょう。

いやあ、有意義な会話ができたもので、ボク自身もあらためて気を引き締めたいと思います。言うなれば、学校と家庭、両輪の教育が子どもを人に育てる、ということでしょう。

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閑話Q題

09_nakayama 年が明けて早12日ですが、ふと気づくと1967年生まれのボクは今年40歳になります。画像は同年生まれ、Jリーグ・ジュビロ磐田の中山雅史選手です。ちなみに誕生日は4月25日です、およろしゅう(笑)♪

いやぁ、40歳。もう、「おっさん」と言われても反論できない年になるんやなぁ、とは思うものの、思い起こせば不思議と30歳になるときほどの抵抗感はないですね。なんでだろ?

お参りに行ったお宅で、「ボクも今年で40ですわ」と言うとたいてい驚かれます。ウチの前住職(親父)も、前々住職(祖父)も、若く見られたらしいのですが、それは頭髪が減らず、白くもならずという家系のためかもしれません。

若く見られることに対して親父は、「なんや、苦労してないて言われてるみたいで、あんまりいいもんじゃない」と言います。なるほど、女性はどうかわかりませんが、男の場合たしかにそれはありますね。別に老けて見られたくはないですが、年相応でいいかな? とは思います。みなさんはいかがでしょうか?

<今週の予定>

1/13>11:00~M家にて33回忌

1/14>月忌・10:00~A家にて33回忌2つ・月忌中

1/15>午前~月忌数軒・午後~在寺(寺務)

1/16>午前~月忌数軒・午後~在寺(寺務)

1/17>終日~月忌数軒

1/18>午前~月忌数軒・午後~在寺(寺務)

1/19>午前~在寺(寺務)・午後~月忌数軒

※予定から報恩講がなくなると、気が抜けてます(苦笑)。

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あなたは尊い

079syaka 前回に続いて釈迦さんのお言葉ですが、2,500年を経た現在でも生き生きと躍動しますね。

「為無上尊=あなたは、あなたであることにおいて尊い」

数年前、SMAPの「たったひとつの花」・・・でしたっけ? たしかそんなタイトルの曲がありましたね。ナンバー1である以前に、オンリー1、つまり唯一の存在としての自分を歌っていました。

これは、すなわちこのお釈迦さんの「為無上尊」、あるいは「天上天下唯我独尊」を意識した、かどうかは知りませんがわかりやすく表現していました。

国、民族、宗教、肌の色、言語、文化と習慣、価値観等、差異(ちがい)はあって当然です。でも、差異あって当たり前、さらにその中で100%同じ顔、性格な人はいません。それを同一化したいという考えは、為政者の安易な考えでしかないと思います。

現在の社会の在り方は、日本で言えば昭和初期に似ている、そう語った方がいました。つまり前首相のように、経済格差を奨励するような姿勢や、現首相のように上辺だけの美しい国を強調していく姿勢を指しています。

真宗大谷派では、数年前の蓮如上人五百回御遠忌の際に「バラバラでいっしょ~差異(ちがい)をみとめる世界の発見」という法要テーマを発信しました。みんな一見バラバラであり、それぞれがそれぞれのモノサシを持ち、その長さが違うと言っていがみ合う社会への警鐘です。

互いに差異を認める、そのことによって人と人は真に交わっていけるのです。一人ひとりが尊い存在であるからこそ、わたしは、あなたと同じだけ、あなたはわたしとおなじだけ、尊い存在です。

考えましょう、悩みましょう、でも唯一の存在としてのあなたと私は同じ人であり、心の奥底では認め合いたいと思っています。それぞれの立場や経験や年齢による上下意識やプライド、そんな意識の下(阿頼耶識)にそういう願いをみんな持っているのです。そう、お釈迦さんから諭されているこの身です。

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殺してはならぬ

Photo_hotoke_kugyou 殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ

年が明けてからも、殺人のニュースが後を絶たないです。上の言葉は、釈尊(お釈迦さん)の言葉と伝えられています。正確には、

「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」

という法句経の言葉だということです。

親鸞聖人は、歎異抄で「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」と、人はしかるべき状況に出会えばどんなことでもすると言われています。

どちらもそのような状況を避けることしかない、ということであり、またそんな状況に陥れば人はなんでもしてしまうこの身であるという自覚を求められています。殺人を犯した人は、たまたまそんな状況に陥ったわけであり、たまたま私は陥らなかっただけかもしれません。

朝な夕なに仏に手を合わすのは、そんなこの身を再確認していく作業です。ご利益や加護を求めることではありません。もう殺人のニュースは見たくない、そう想うなら、わが身の業縁を見つめ直す作業をしていきましょう。

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楽と不安

Dsc00494_1 暖かく、雪もないお正月でした。月忌等で訪れたお宅でも、「楽な冬でいいわ~」と皆さんおっしゃる。

でも、スイスでは雪が降らずヨーロッパ中がスキーができず、ロシアでは1500年ぶりの暖冬でチョウが舞う世界的な異常気象です。

どこか末恐ろしい気がするのはボクだけでしょうか? 楽に身を任せることは簡単です。でも、この自分を立たしめているこの大地が揺らぐ日が、いつか来そうで怖いです。

地球も長くないのかも? 取り越し苦労ならいいのですが、あまりの楽さに不安にならずにはおれません。しかしながら、たとえこの大地が揺らいだとしても、人にできることはタカが知れていますし、受け入れるしかないのでしょう。

でも、その前にできることは? 一人ひとりがそう感じていく、結果的に手遅れであったとしても、楽さに身を任せすぎていては今日までこの身を支え続けてくれた大地に申し訳ないと思います。今、この瞬間生きてある、生かされてある、明日をも知らぬ身であるからこそ、今日できることを精一杯させていただきたい、とは思っていますが(苦笑)。

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街中にて

Dsc00627 お正月も、あっという間に過ぎ、また日常です。世間さまは三連休らしいですが、ボクは普通に法務にいそしんでおります。

1/2の午後には、相方&愛息が里帰りし、しばしの独身期間(?)も今日までで、ふたりを駅に迎えに行くと「パパぁ~」と相変わらず抱きついてくる愛息の姿はかわいいものです。

さて今日、月忌参りの最中に両極端な光景を見ました。とある大通りをクルマで走っていると、向かい側の歩道を歩くひとりの老人がいました。この老人、スーパーの袋からなにやら出しながらそれをポイポイと溝に捨ててるんです。紙くずか何かのようですが、遠くてよくわかりませんでした。

もうひとつは、とある路地から出て右折しようとしたとき自転車に乗った小学4年生くらいの女の子がボクの前を横切ろうとして、その手前で止まりました。ボクは、手を振って「お先にどうぞ」と合図すると、ペコリと頭を下げて走って行きました。

前者には呆れ、後者には清清しさを感じました。昔は「今どきの若いもんは!」といわれましたが、「今どきの老人は!」と言いたくなりましたね。実際どこかタカをくくって、なんでもありみたいな年配の方をよく見かけます。前にも言いましたが、歳を重ねるということは、世間のお手本となる自覚が必要なんだと思います。

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お正月の風景

Dsc00720 新年のヒトトキ、いかがお過ごしですか? 雪もなく、暖かいお正月ですね。ウチは、昨日の午後には、相方&愛息が里帰りし、しばしの独身気分です(笑)。

ヒト昔前のお正月は、とても静かでした。最近はコンビニはもちろん、デパートや大型スーパー等も元旦から営業しており、なんだか平常と変わらぬ雰囲気ですね。そして、お墓参りの姿が多く見られるようにもなりました。

以前にもお話しましたが、お墓参り自体が悪いことではありませんし、むしろいいことだと思いますが、ご利益や加護、ましてや開運などを求めるものではありません。H木さんのテレビの影響は大きいなぁ、と苦笑しています。

ご先祖あってのこの身、そのことに純粋に感謝することがお墓参りの唯一の意味です。今を生かされているこの身を大事に生きることが、ご先祖への何よりの供養となります。お忘れなく。

元旦から今日まで、法務をお休みさせていただきました。明日から、平常法務に戻ります。しかし、ちょっと呑みすぎかなぁ~(笑)?

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大晦日~元旦

Dsc00755 夕べの大晦日は、恒例の除夜の鐘でした。除夜の鐘は、元旦になったと同時に打つものと思っていらっしゃる方が多いようですが、大晦日の内に打ち終わるのが本当です。

当寺では、大晦日の23:10から打ち始めますが、やはり00:00近くになると多くの方が見えますね。早めに来ていた中高生たちは、他に打つ人もないので何度も打っていました。

Dsc00764 毎年、108の飴玉を用意し、一発打つと一個づつ差し上げていますが、今年はご門徒Kさんの差し入れで温かい甘酒を振る舞うことができ好評でした。

うちの愛息は、飴玉を配る係を最後までこなしました。去年までは、大きな鐘の音を怖がっていたのですが、さすがに一年生、立派にお手伝いしてくれました。

日付け変わって元旦00:00からは「修正会(=しゅうしょうえ)」、つまり新年初勤行をおつとめしました。勤行~おとそ振る舞い~住職感話という流れです。昨年を振り返り、今年を展望するお話をさせていただきました。執着心や煩悩で見えなくなっている、わが身にある「選ばず・嫌わず・見捨てず」を見直すこと、つまり日々、阿弥陀さんに手を合わすことを忘れない日常が大事なんだと思う、ということをお話した次第です。

修正会を終えると、役員方とともに新年をお祝いする席であらためて祝杯をあげました。今年はどんな年になりますやら? 良い方に向かう気があまりしませんが、我々は我々の日常をしっかりつとめていくことより他に何もできないと思います。しっかり、大地に足をつけてその大地でつながるご縁を大事にしていくことを日々繰り返していくしかありません。

今年も、生あるかぎりしっかり生ききりましょう。よろしくお願いします。

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