お斎=ご膳
報恩講も残すところ、あと10軒ほど。疲れが出てきたのか、ちょっと元気がないです。
今日は、内灘方面のT家で五十回忌兼七回忌法要をつとめさせていただき、法要後には近くの料理屋さんでお斎(おとき=一般にご膳とも言う)をいただきました。五十回忌はひとつのお祭り的要素もあって、昔からオカシラつきの鯛がつくのが定番なんですね。
T家のご主人は、自分の父親の五十回忌を勤めることの感慨深さや複雑さを感じておられるようで、まだご健在の母親のご苦労などにも思いを馳せていらっしゃいました。こういうお話をゆっくりお聞きできるのも、お斎のいいところです。
でも、昨今のご法事、特に金沢の街中のお宅では、お斎をされないことも多くなってきました。ボクらは、お斎があるなら可能な限り同席させていただきますが、最初からない場合が増え、楽といえば楽であり、物足りないといえば物足りない感じがします。
ご法事を催されるお宅によって、さまざまな事情があり、それはそれでいいのですが、ご縁がなかなか深まらず、どこか形式化していくような感じもしますね。かつてのお斎は、ご自宅に仕出し屋さんから料理をとって行うのが普通でしたが、それが料理屋さんへ行って、そしてしないというふうに流れています。
ご自宅で、となるとその家の方々は大変です。でも、そんな大変な思いが、一家総出で大事なご法事を勤めたという達成感や、思い出深いものとなっていくのです。ボクらも、楽になれていくと、お斎のないご法事が当たり前になり、お斎のあるご法事を面倒と感じるようになりそうで怖いですね。
お経の配達人と言われ、事務的にご法事をつとめるようにはなりたくないです。ご法事やお通夜での感話(=法話)をされない僧侶が増えてきている現実は、そんな事務的にこなす感覚がすでに日常化してきているからかもしれません。
ご馳走というのは、お金をかけた料理ではなく、文字どおり走り回るような思いをして、お客のために精一杯のもてなしをする料理を言うのだそうです。お金ではなく、そこに心がどれだけあるか? ということが問われてあるということなんでしょうね。
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