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他事想論3

Jr 子ども受難の時代、よくそう言われますが本当にそういう事件が後を絶ちませんね。いじめによる自殺、幼いわが子を殺す親、耳をふさぎ、目を覆いたくなるニュースに、テレビやネットを見ていて暗澹たる気持ちになります。

親は決して万能ではなく、至らないところばかりです。でも、子を想う心が喪失しては親とは言えないでしょう? 威厳なんていらない。至らないからこそ本気で向き合うことが大切だと思いますし、乳幼児の間なら「私が」を横へ置いて「子どもが」を第一にしなければならないはずです。

だって、乳幼児はひとりでは生きられないのです。かつてわが身もそうであり、親がオムツを替え、だっこしておんぶして、寒くないか? 暑くないか? と、たくさんの愛情を注いでくれたからこそ大人になったはずでしょう?

親は愛情をそそいでいるからこそ、子どもの笑顔や寝顔に癒され、それを喜びとしている、少なくともボクはそう思ってます。

カミングアウトすると、中学時代にボクもいじめを受けました。それ以来、群れることに嫌悪感を抱くという一面を隠し持っています。でも、ボクを守ってくれた友人がいたおかげで自殺までは考えずに済んだのです。

マイノリティ=少数派でいることを恐れず、大勢に流されることの楽さに安住せず、現状をおかしいと思う心が少しでもあり行動することで、死なずに済む命はたくさんあるはずではないでしょうか?

命は、私の、ボクの中で生きてくれている。私の意志に関わりなく、生きてくれている。私の意志に関わりない以上、その命を絶つ権利は私にはありませんし、ましてや親であっても本人以外の人が絶つ権利はまったくありません。

命を無から作れますか? 無理でしょう? だからかけがえがない命であり、いただいた命であり、大事な命なのではないでしょうか?

日常の生活の中で、ボクらはそのことを忘れてしまいます。都合のいい方、楽な方に転がるのが人です。だからこそ、亡き方への思いから朝な夕なに阿弥陀さんにてを合わせ、ご法事で阿弥陀さんに手を合わせてきたのは、阿弥陀さんの御光がそれを忘れてはなりませんと気づかせてくれたからです。

合掌はその教えをいただく姿勢であり、お念仏は「そうでした。おかげさんでまた気づかせていただきました」と阿弥陀さんに返す言葉、とも言えるのだと思います。

(画像は、カージナルズの田口選手とお子さん。ワールドチャンピオンになったときの歓喜の姿です。ほほえましいので使用させていただきました)

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